異観とお茶会の終章
「この草の塊がお茶ですって? ですけれど……そのように得体の知れないものを口に入れる気にはなりませんわっ」
ここぞとばかりに噛み付いてくるフロランタナ公爵夫人を内心で笑いながら、シュリーは丸まった工芸茶を一つ手に取った。
「このお茶は、見た目が異質ですわよね。けれど、それに惑わされてその中身の華やかさを知らずにいるのはとても愚かだわ」
ガラスのポットに少しのお湯と工芸茶を入れて、その上から更にそっとお湯を注ぎながら。セリカ王妃ことシュリーは不思議そうに見つめる貴婦人達へ微笑んだ。
「干からびて不恰好な、取るに足らぬものと馬鹿にしていると、思いも掛けない中身が飛び出して来ますのよ」
セリカ王妃の言葉を合図にするかのように、丸まっていた茶葉は湯の中で解け、文字通り花開き出した。そして蕾から花が咲くかのように、茶葉の中に隠れていた花々が現れて花弁を広げていく。
「まあ……! お茶の中に、花束が現れましたわ!」
「素敵! まさか茶葉が花開くだなんて、想像もできませんでした」
感嘆の声を上げる貴婦人達へと、セリカ王妃は優雅な仕草でその茶を注いだ。
「どうぞ召し上がって下さい。お味もなかなかのものでしてよ」
王妃に促されて恐る恐るカップに口を付けた貴婦人達は、驚きに目を見開く。
「すっきりとしていて、甘さもあるわ。何より、華やかなお花の香りが口いっぱいに広がって……こんなに素敵な飲み物を頂いたのは初めてですわ!」
「このお茶にはジャスミンが使われておりますの。ジャスミンには美容効果もありますのよ」
「見て華やか、味わって良し、更には美容まで……このような素晴らしいお茶があること、全く知りませんでしたわ!」
うっとりとお茶を見つめるガレッティ侯爵夫人が溜息を漏らすと、他の貴婦人達も一様にセリカ王妃の持ってきた茶を絶賛した。
「公爵夫人のように、上辺だけを見てすぐに判断するのは少し浅慮ですわね。その中にはどんなに美しく、美味で有用なるものが隠されているのか。きちんと見極めなければ、損をすることになりますわ」
暗にシュリーは、異邦人の王妃、野蛮人の姫、と偏見だけで自分を軽視することに対し、遠回しに釘を刺しているのだ。チクリと言われたフロランタナ公爵夫人は、サッと頰を赤らめて慌てて扇子で隠した。
「今回のお茶会は、間違いなく王妃様が主役ですわ。このお茶が一番のお土産ですもの」
ガレッティ侯爵夫人の言葉に、貴婦人達は次から次へと頷いた。そんな様子を眺めて微笑んだシュリー。しかし、これで終わりではないのが、セリカ王妃である。
「それは有難いわ。ですが、このお茶だけでは心許なかったものですから。皆さんに工芸茶とは別に刺繍のハンカチを用意致しましたの」
セリカ王妃が直々に刺したという刺繍を受け取って、貴婦人達は今日何度目かの驚きに目を見開いた。
「これは……白地に白い糸で刺繍を、それもハンカチ全面に……」
「こんな技法は初めて拝見しました。緻密で精巧な模様がなんて美しいんでしょう……!」
「王妃様、こちらは布地も糸も全てシルクではありませんこと?」
「ええ。皆さんに差し上げるものですもの。勿論、釧の最上級のシルクで作りましてよ」
王妃の言葉を聞いて、あちこちから感嘆の声が上がる。フロランタナ公爵夫人でさえ、その見事な出来に魅入っていた。
「あ、あの……王妃様、もし失礼でなければ……この刺繍を教えて頂くことはできませんこと?」
無礼を承知で恐る恐る手を上げた貴婦人の一人に向けて、シュリーは優しく微笑んだ。
「あらあら。そんなに気に入って頂けて嬉しいわ。勿論ですわ、と言いたいところなのですけれど。一度陛下に確認してもよろしいかしら? 私の優先順位は陛下の妻であること。陛下に黙って勝手なことはできませんからね」
シュリーの言葉はどうやら、好奇心旺盛で噂好きな貴婦人達に火をつけたようで、途端に貴婦人達の目が輝く。
「宴での様子を見た時も思いましたけれど、王妃様と国王陛下は本当に仲がよろしゅうございますのね!」
「お恥ずかしい話なのですけれど、私はこの国に嫁いでくるまで、殿方に興味を持ったことがございませんでしたの。それが……陛下に初めてお会いした時、一目で心を奪われてしまったのですわ」
「まあ……! それでは、お二人がとても仲睦まじいと言うのは」
「勿論、事実でしてよ。陛下も私のことをとても大切になさって下さいますわ」
セリカ王妃の答えに、貴婦人達は興味津々といったふうに顔を見合わせた。
「国王陛下は何と言いますか……第二王子殿下であらせられた時までは控えめでお優しい方、という印象でしたけれど。セリカ王妃様を迎えられてからは、とても頼もしく勇ましい印象になりましたわね」
「特に宴でのダンスは本当に素敵でしたわ!」
「確かに以前まで陛下はあまり目立たないお方でしたわね。あ、でも……王子殿下時代の陛下に想いを寄せていたご令嬢がいましたわ」
「私も覚えております。確か、婚約の話も出ていたのではなくて?」
「アカデミー時代に親交を深められたと伺ったことがございますわ」
「…………何ですって?」
と、そこで。和やかだった空気が、セリカ王妃の低く冷たい声で凍り付く。普段は軽やかに鈴の音のような声を響かせる王妃から、まさかそんな声が出ようとは。気のせいだろうか。貴婦人達の目がセリカ王妃に向けられる。そこには変わらず美しく微笑する王妃。きっと気のせいね、と誰もが思った瞬間。
「その雌豚……そのご令嬢とは、どちらのご令嬢かしら」
とてもにこやかに。いい笑顔で。微笑むセリカ王妃に、貴婦人達は背筋を凍らせた。雌豚と聞こえたのはどう考えても聞き間違いではない。
「え、えーっと……あら? 誰だったかしら、ど忘れしてしまいましたわ」
「わ、私も……思い出せませんわ」
答えれば確実に死人が出る。そんな気がしてならない貴婦人達は、冷や汗を流しながら揃いも揃って知らぬ存ぜぬを通した。
セリカ王妃の目が、スッと細まる。その時だった。
「あ、主人が帰宅したようですわ! あら? あれは……まあ! 陛下ですわ!」
馬車の音を聞いたガレッティ侯爵夫人が空気を変えるために声を上げると、その視線の先にはガレッティ侯爵と共に来たのか、国王レイモンドの姿があった。
貴婦人達は助かったと安堵の息を吐く。と同時に、国王レイモンドに憐れみの視線が向けられる。
「陛下! 迎えに来て下さいましたの? ちょうど陛下とゆっくりお話ししたいことがございましたの」
貴婦人達がレイモンドに頭を下げる中、立ち上がった王妃が鉄壁の笑顔で夫を見た。
「シュ、シュリー。そなたが心配で迎えに来たのだが……な、何をそんなに怒り狂っているのだ?」
妻は迎えに来たことを喜んでくれるだろうと思っていたレイモンドは、シュリーの予想外の怒りに身を震わせた。
「あら。陛下には、私が怒り狂っているように見えまして?」
にっこりと微笑む妻に引っ張られ、国王レイモンドは蜻蛉返りの如く帰りの馬車に押し込められた。
「皆さん、今日はとても有意義な時間を過ごすことができましたわ。私は少し陛下とお話があるので、お先に失礼させて頂きますわね。ガレッティ侯爵、ご挨拶もできず申し訳ないわ。侯爵夫人、今度は私のお茶会に招待させて頂戴。それでは皆さん、ご機嫌よう」
嵐のように帰って行った国王夫妻を見送りながら、アストラダム社交界の中でも指折りの貴婦人達は、セリカ王妃という新星にすっかり魅了され、そして恐怖していた。あれは只者ではない。逆らおうものなら手酷く返り討ちに遭うだろう。経験豊富で鋭い貴婦人達が揃いも揃ってそう思う程に、セリカ王妃は強烈だった。
それは、王妃を邪魔しようとしていたフロランタナ公爵夫人も例外ではなかった。公爵夫人は帰ったら夫に忠告しようと決意する。『例えどんなに邪魔であっても、セリカ王妃にだけは手を出してはいけません。火傷では済みませんわよ』……と。




