殊異なる心
「良い機会です。陛下のこれまでのこと、公爵との関係、全てお聞かせ下さいませんこと?」
妻にそう言われたレイモンドは、妻の膝に寝転んだまま深く息を吐くと一度目を閉じた。
シュリーから香る甘く不思議な香り。それはレイモンドを落ち着かせ、公爵との謁見で強張っていた体が嘘のように楽になっていった。
両親と兄を亡くしてから、暗闇の中に一人投げ出されたようにわけも分からず足掻き苦しんできたレイモンドは、やっと拠り所を見つけたのだ。
強く頼もしい妻が、その美しい笑顔や声でレイモンドを引き上げてくれる。一度は絶望し、全てを投げ出したいとさえ思っていたレイモンドは、シュリーに出逢ってもう一度前を向くことができた。
「私は、自分が王位に就くとは思ってもみなかった。優秀な王太子の兄がいたからな。私自身が前に出て国を主導する立場になることなど、永遠にないと思っていた。両親と兄が死ぬあの日まで……」
「お三方に何があったのです」
「……分からない」
「何ですって?」
「最初は馬車の事故だったと聞いた。それが……最終的には父の忠臣達の陰謀だったとされた。そして彼等は公爵の手により粛清された。しかし、真相は闇の中だ。遺された私には家族も味方もおらず、公爵の言うままそれを事実として飲み込む他なかった」
それを聞いたシュリーの頭の中で、様々な情報が駆け巡る。そして苦しげなレイモンドを見て、シュリーは生まれて初めて他者の心を慮ろうとした。
「陛下はどうしたいのです? 真相を知りたいと思いますか?」
シュリーは十中八九公爵が黒幕であると断定していた。いつものシュリーならば公爵の罪の証拠を集め、あっという間にその罪を暴くだろう。しかし、夫であるレイモンドが辛い現実から目を背けたいと言うのであれば、全力で夫の気持ちに寄り添おうと思った。
自分が他者を思い遣れるということを、シュリーはレイモンドに出逢って初めて知った。
「……今はまだ、何も考えたくはない。公爵は唯一残った私の肉親なのだ」
消え入りそうなその吐露は、暗に事件の真相について思うところがあると滲ませるものだった。レイモンド自身がその可能性を認識していて敢えて考えないようにしているのだと察したシュリーは、取り敢えずレイモンドの気持ちが整理できるまでは、公爵のことは最低限の処理で済ませることにした。
「その後、拒む間も考える間もなく私は国王として即位し、公爵を筆頭とした貴族派の望むままそなたとの婚姻が決まった」
シュリーは、目を閉じるレイモンドの頭を撫でながらただ黙って話を聞いた。
「父の時代には貴族派と中立派の他に国王派が存在し様々な政治的議論が交わされたが、今はもう国王派は存在しない。在るのは私という傀儡の王のみだ。貴族派に偏った派閥は議会から議論を奪った。私が声を上げようとも、全てが無意味のまま消えてしまう。父は……先代国王は、私のことを情けなく思っているに違いない」
久しぶりに父と母、兄の顔を思い出したレイモンドは、自嘲気味に笑いながら目を開けてシュリーを見た。
「そなただけは、いなくならないでくれ」
「……何を仰いますの。シャオレイが嫌がったとしても、私は貴方様のお側におりますわ」
美しく笑ったシュリーは眉間に皺を寄せる夫の鼻を摘んだ。途端にレイモンドが目尻を下げる。
「そうだな。そなたは、例え地獄に堕ちようとも這い上がって来そうだな」
「あらあら。それは褒め言葉と受け取ってよろしいのかしら」
「ふっ……そう拗ねるな。私はそんなそなただからこそ、安心して側に居られるのだ」
柔らかく笑う夫を見て、シュリーは改めて思った。生まれて初めて守りたいと、愛おしいと思った男。彼の為ならば、自分の身を削ることなど何てことはない。
シュリーは自分を欠けた人間だと思って生きてきた。何をやっても誰よりも完璧にできてしまい、世の中の全てに張り合いがない。何よりシュリーの中には、人間ならば誰しもが持っているであろう一番大事な部分が欠けていると思えてならなかったのだ。
空洞のようなシュリーの心、その空虚な核を、レイモンドこそが確かに埋めてくれる。だからこそシュリーはレイモンドに執着してしまうのだ。そして何より、自分自身で自分をそんなふうにしか分析できないことに呆れていた。
「どうぞ陛下のしたいようになさって下さい。まだその御心が定まらないと言うのであれば、気が済むまでゆっくりお考え下さい。貴方様が向かう方向を見つけられたその時には、私が何もかもをお手伝い致します。心配なんてする必要がないくらいに、あらゆる要望にお応えしますわ」
シュリーが胸を張ると、レイモンドはふっと息を漏らした。
「そなたは本当に、頼もしいな」
「左様でございましょう。これ程に良い女は、世界中を探し歩いても見つかりませんわ」
「ふははっ! ああ、そうだな。こればかりは公爵に感謝しなければ」
起き上がったレイモンドは、妻を抱き締めて笑った。肌越しに伝わるその振動に頰を綻ばせたシュリーは、夫の腕の中から声を上げる。
「ですけれど、貴方様をこの国の真の国王にして差し上げると言った私の言葉に嘘はございません。こればかりは譲れませんわ。貴方様が軽んじられているのだけは、耐えられませんもの」
「そうか。……好きにしてくれ」
夫の許可を得て、シュリーはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「では手始めに、この国の社交界を掌握しに参りましょうかしら」




