優異な鬼
「私を弟子にして下さいっっ!!」
シュリーを前に、土下座する勢いで頭を下げる男。
シュリーが呼び出したマイスン窯元の陶工、ベンガーである。マイエと同じように、最初は東方の野蛮人王妃を見下すような態度だった彼は、ものの数分で様変わりし、シュリーに跪いていた。
「まさか……東洋の神秘、白い金とさえ謳われる白磁の製法を教えて頂けるとは……っ! 釧以外には決して伝承されぬ秘技中の秘技だと言うのにっ!」
「大したことではないわ。私、陶芸には多少の心得がありますの」
ニヤリと笑ったシュリーは、扇子を閉じてシュリーを崇拝の眼差しで見上げるベンガーに向き直った。
「貴方の作った皿を見ましたわ。何の面白みもない皿でしたけど、釧の白磁の製法を真似ようとした試行錯誤がありありと見て取れましてよ。材料に関してはいい線をいっていると思うわ。王宮にある皿の中で一番見所があったので、貴方を選んだまで。それで、本気で私の弟子になりたいのかしら」
「勿論でございます、王妃様! 東洋の白磁を作り出すことは、西洋の窯元の悲願。これが成功すれば、我が窯元は西洋一の称号を得られましょう!」
ベンガーの必死な様子を眺めたシュリーは、リンリンとランシンに合図してある物を持って来させた。
「これは釧で皇帝陛下が愛用していた皿よ。そしてこれは、私がレイモンド陛下に贈った書の文字。これを組み合わせた白磁の絵付け皿を、一ヶ月以内に三十枚用意しなさい。妥協は認めないわ。私が納得する出来のものをね。そうすれば弟子にしてあげましてよ」
「い、一ヶ月でございますか……!?」
「できないと言うのであれば、他の陶工を呼ぶわ。納期を守らなかった場合と失敗した場合は、白磁の製法を公開して西洋中に広めますことよ。西洋唯一の白磁窯元の座を手に入れたければ、私に従うことね」
ベンガーは、美しく笑う王妃が恐ろしくて仕方なかった。全く新しい製法で磁器を完成させなければならないばかりか、普通の陶芸品の納期と変わらぬ短い期間で釧の文字を組み込んだ絵付けをするという無理難題。一ヶ月間の不眠不休は確定である。
しかしそれでも、東洋の白磁技術が手に入れば、窯元の大成は間違いない。それ程までに誰もが喉から手が出る程に欲しい技術なのだ。
「つ、謹んで。やらせて頂きます……」
「結構よ。期待しているわ。そうね、流石に可哀想だから、絵付けのデザインは私が考えて差し上げる」
「あ、有り難き幸せ! 王妃様、何と御礼を申し上げてよいか……」
「あら。礼を言うのはまだ早過ぎましてよ。まずは白磁の製法を、みっちり教え込んであげますからね。覚悟して頂戴」
うふふ、と楽しげに笑うシュリーを見て、ベンガーは思った。鬼だ。この美しき東方の姫君、我が国の王妃殿下は、間違いなく鬼だ。悪魔だ。鬼畜だ。真正のサディストだ。と。
「王妃殿下、先程のお話……侯爵夫人のお茶会には間に合わないのではないですか?」
心配するドーラへ向けて、シュリーは柔らかく微笑んだ。
「ベンガーに依頼した皿は、別の用途に使うつもりよ。侯爵夫人のお茶会には、私の嫁入り道具の中から貴婦人達が好みそうなものと、私の刺繍を持参するわ。流行の刺繍の図案を用意してくれるかしら」
「はい、すぐにお持ちします!」
ドーラが出て行ったのと入れ違いに、シュリーの夫であるレイモンドがシュリーの元を訪れた。
その姿を見て、シュリーは思わず駆け寄る。
「まあ、陛下! いったい何があったのです?」
レイモンドを一目見たシュリーは、一瞬でその顔から疲れを読み取ったのだ。そしてレイモンドの手を引いて座らせた……どころでは飽き足らず、隣に座り込んで自分の膝を枕にレイモンドを寝かせた。
「シャオレイ……こんなに窶れて。無理をなさらないで下さいまし」
「いや、そんなに顔に出していたつもりはなかったのだが……」
「それでも私には分かりますわ。何かありましたの?」
「……少しな。公爵が謁見に来て、相手をするのに疲れたのだ」
とても公爵との会話の内容をシュリーに言えないレイモンドは、それだけ言って誤魔化そうとした。しかし、そんな誤魔化しがシュリーに通用するはずもない。
「つまり……私に言えないような話を公爵から持ちかけられて、お疲れになったのですわね」
ギクリ。と、レイモンドが固まる。レイモンドの頬を撫でていたシュリーの手の、薬指と小指の長い爪先。それを覆う金属の装飾が異様に冷たく感じられる。
「よろしいのですわ、陛下。だいたい想像ができますもの」
「シュ、シュリー……?」
「大方、公爵から巫山戯た話を持ち掛けられましたのでしょう? 例えば……愛妾を置けだとか」
「い、いやそれは……っ」
レイモンドは妻の顔を見るのが恐ろしかった。いくら何でも勘が鋭すぎる。公爵が切り刻まれる想像がより鮮明になり、レイモンドは慌てて妻の手を握った。
「こ、これだけは言わせてくれ。私は今後、そなた以外を女として見ることは絶対にないっ! 私に秋波を送るような女と会話することも、目を合わせることも、接触することすらしないと誓おう! 私にはそなただけだ、シュリー」
「陛下……」
満面の笑みでドス黒いオーラを漂わせていたシュリーは機嫌を直し、優しくレイモンドを撫でた。ホッとしたのも束の間。
「分かりましてよ。あまり過激なことは致しませんわ」
「……」
それは、過激じゃないことはするという意味なのか……とは、レイモンドは怖くて聞けなかった。




