攻守所を異にする
「いったい、どうなっているんだ!?」
フロランタナ公爵は、取り巻きの貴族達を前に怒りを露わにしていた。
「釧から嫁いでくるのは、何もできぬお飾りの姫だと言っていたではないかっ!」
テーブルを叩く公爵に怯えながらも、そのうちの一人が弁明する。
「我々もそう聞いていたのです、アストラダムの言葉を話すことはおろか、姫としての威厳すらないような、冷遇されていた名ばかりの娘だと……」
「あの王妃のどこが、名ばかりの姫なのだっ!? あの威厳、美貌、気品。そして異国語を完璧に操る聡明さ。あれは間違いなく、皇族としての教育を受けた正真正銘の姫君であろうがっ!」
「そう言われましても……」
「釧の使節団には確認したのか?」
「それが……宴の後は泣くばかりで、通訳が何を聞いても、『急いで釧に帰り、皇帝陛下にご報告しなければならない』としか言わなかったそうです。そして本当にそのまますぐ出立してしまいました」
ビクビクする取り巻きに溜息を吐きながら、公爵は王妃に関する報告書を手に取った。そして中身を確認し、再び怒り狂った。
「なんだこの報告書はっ! 殆ど白紙ではないかっ!?」
報告書を投げ付けられた部下の一人が、土下座する勢いで頭を下げた。
「申し訳ございません! お申し付け通り、王妃に探りを入れようとしたのですが……不思議なことに、王妃の元に送り込んだ間諜が、誰一人戻って来ないのです」
「何だと? それはいったい、どういうことだ……?」
「分かりません……誰一人連絡が取れず、行方知れずのままです。逃げ出したのか、寝返ったのか、はたまた抹殺された可能性も……」
顔を青くする部下に、公爵は顔を引き攣らせながらも声を荒げた。
「そんなことがあり得るわけないだろう!? お前の調査が甘過ぎるのだろうが! 今まで何人送り込んだのだ?」
「……十三人です」
「じゅっ!? それが全員、戻ってこないと言うのか!?」
「はい。もう誰も、この任務を受けたがる者がおらず、私も途方に暮れております。閣下、あの王妃は只者ではありませんっ! あまり手を出さない方が良いのではないでしょうか……」
必死な部下の懇願を受けて、公爵はわなわなと震える手で拳を握り締めた。
その只者ではない王妃が、傀儡として据えた国王の側にいるこの状況は、公爵にとって非常に良くない状況だった。
「……レイモンドと王妃の仲は、本当に良好なのか?」
「はい、それだけは確実です。二人連れ立って歩く姿は多くの者に目撃されておりますし、国王陛下は王妃を迎えてから毎夜王妃様の元へお渡りです」
「…………それは、良くないな」
目をギラつかせた公爵は、自慢の口髭を触って立ち上がった。
「愚かな甥には忠告が必要だ」
急に押し掛けてきた公爵を、レイモンドは玉座の間で出迎えた。
いくら叔父であるからと言え、あまりにも急な謁見要請。頭痛を覚えながらもレイモンドは、ふんぞり返ってやって来た公爵と対峙した。
「アストラダムに栄光を。陛下におかれましては……」
お決まりの挨拶を早口で口にしようとした公爵は、レイモンドの背後を見上げて固まった。
何事かと思ったレイモンドが背後を振り返ると、そこにはデカデカと掲げられた、シュリーの贈った書が異様な存在感を放っていた。
「ああ、これは王妃が書いたものだ。釧ではこういった文字を書き、芸術品として飾るらしい。実に見事だと思わないか?」
「は、はい……」
思わず頷いてしまった公爵は、色とりどりの絵画が並ぶ中で目を引く白と黒だけの書を、単純にカッコイイと思って見惚れてしまった。
奇妙な紋様は、釧の文字なのだろうか。何と書かれているかは分からないが、緻密で繊細な造形が美しく、バランスよく並んだ文字が真っ白な紙に映えて流れるように踊り、何時間でも眺めていられそうだった。
「これを認めた際の王妃がまた実に優雅でな。知っているか? 釧では筆で文字を書くらしい。インクは黒い石を削り出して作り、書を書く際は……」
いつも大人しい甥が珍しく饒舌になったのを見て、公爵は我に返った。
「おほん。陛下、書の説明は結構です。本日はその王妃殿下のことで、陛下にご相談に参ったのです」
「…………王妃のこと? なんだ?」
身構えたレイモンドへと、公爵は前のめりで言い放った。
「陛下はあの野蛮人の姫に肩入れし過ぎでございます。異邦人の王妃をそのように丁重に扱われては、我が国の王室の威信に関わるかと。距離を取り、決して寄せ付けてはなりません」
それを聞いたレイモンドは、玉座の肘掛けをミシリと音がする程強く掴んだ。
「…………それは可笑しな話だ。王妃を釧から招き、私の妃にと推薦したのは、他でもない公爵。そなたではないか。婚姻も済んだ今更、何を言い出すのだ」
静かに怒りながらも、レイモンドは努めて冷静に言い返した。
そんなレイモンドを小馬鹿にするように、公爵は鼻を鳴らす。
「それはあくまで、釧との交易の為でございます。王妃が嫁いだ今、釧との国交が強固となり、シルクや陶磁器が優先的に我が国に納められるようになりました。しかしながら、王妃個人を丁重にもてなす必要はありません。万が一にも異邦人の王妃が身籠り、権力を持っては如何するのです。名ばかりの王妃として放置すべきです」
自分の熱弁に酔い痴れる公爵は、レイモンドの目が異常なほど鋭くなっていることに気付かなかった。
「されども、若く精力漲る陛下がお辛いと仰るなら、愛妾を側に置くのも良いかもしれません。私に心当たりがございます。よくよく陛下のお相手ができるような、若く美しい娘が……」
「黙れ」
公爵は、聞き間違いかと思った。大人しく、公爵の言うことであれば従う他ないはずの甥が、公爵に向かって『黙れ』とは何事か。
眉を寄せた公爵は、顔を上げて思わず後退った。
見たこともない様な形相で、レイモンドが怒りを露わにしていたのだ。その周囲には思わず頭を下げたくなるような威圧感が漂っていた。
「愛妾だと? そんなものは不要だ。二度とその話はするな。特に、王妃の前でその話をすれば、命は無いものと思え」
「なっ……! 私を脅す気か!?」
驚愕する公爵とは裏腹に、レイモンドは怒りつつも焦っていた。もし、万が一にも、今の話を嫉妬深いシュリーに聞かれていたら。この国は終わる。間違いなく、確実に滅ぼされる。血祭りだ。
公爵への牽制ももちろんあるが、それ以上に言葉の通り、シュリーの前でそんな話をすれば公爵の命が危うい。死ぬだけで済めば良い方だ。
自分をいいように操ろうとする憎い相手ではあるが、叔父であることに変わりはない。そんな公爵が手足を切り刻まれてあらゆる拷問を受けた果てに笑顔のシュリーに首を切り落とされる様がありありと脳裏に浮かび、レイモンドは怒りや憎しみを超えて親切心で公爵にそう言っていた。
しかし、当の公爵はそんなレイモンドの想いなど知らず、甥に口答えされた屈辱に憤怒していた。
「私に向かってそのような態度をとっていいのですか、陛下! よく分かりました。いいでしょう。陛下がそのつもりならば、私にも考えがあります。きっと陛下は後悔されることになるでしょうな」
こうして国王と公爵との間に決定的な確執が生まれたのだった。




