天変地異
「レイさま、あのキレイな女の人は誰?」
「あれは私の妃だ」
「きさき?」
「そう。私のお嫁さんだ」
「わぁっ! それじゃあ二人は、とっても、とーっても、あいしあっているの?」
幼い少女達に囲まれたレイモンドは、キラキラの無垢な目を向けられて頰を掻いた。
「……ああ。そうだ。私達は、とてもとても愛し合っている」
院長と話し込んでいたシュリーは、夫の元にやってくるとスッと目を眇めた。
「陛下。少し近過ぎじゃありませんこと?」
「ん? 何がだ?」
目を瞬かせるレイモンドを見て、シュリーは子供達の前で夫の膝に座った。
「な、何をしているんだ、シュリー!」
「陛下が女子に囲まれているから悪いのですわ。陛下のお側に侍って良いのは私だけです」
プリプリと怒るシュリーを見て、レイモンドは絶句した。
「いや、シュリー。この子達は子供だぞ?」
「それが何だと言うのです。女には変わりありませんわ。私のシャオレイを誑かそうだなんて、百年早いわ。ちょっとそこの貴方! 私がレイ様のお膝に乗るのは妻だからでしてよ。私以外が乗って良い場所ではないの。分かりまして?」
シュリーを真似てレイモンドに飛び付こうとしていた少女をピシャリと止めたシュリーは、女の子達を追い払うかのように手を振った。
「子供相手に何もそこまで……」
レイモンドの苦笑とは裏腹に、シュリーは本気だった。
「子供であろうとなかろうと、私から陛下を奪おうとする痴れ者は切り刻んで魚の餌にしてやりますわ」
なかなか過激な妻に冷や汗を垂らしながらも、レイモンドはそんな妻を可愛いと思う自分もまた重症であると自覚していた。
「それで。話は済んだのか?」
「ええ。院長には概ね了解を頂きましたわ。なので早速明日から、この建物の改修工事を始めます。こんなに隙間風の多い建物では、大切なあの子たちが病気になってしまいますもの」
「あの子たち……?」
首を傾げるレイモンドを他所に、シュリーは子供達に向き直った。
「良いこと、貴方達。私はこれから貴方達の雇い主となる、レイ様の妻ですわ。真面目に働けばたっぷり報酬を用意しましてよ」
「ほうしゅう?」
「はたらくの?」
「つらいことはヤダよ」
「詳細は次に来た時に説明しますわ。それまでにまず、院の改修工事をします。労働時間や報酬、休暇等の労働条件については貴方達の健康に配慮するわ。更に教育についても保証し、陛下や院長の意見も交えて考える予定よ。決して悪いようにはしないから安心して頂戴」
「しょうさい?」
「ろうどうじょうけん、ってなぁに?」
少しも子供達と話が通じないことに気付いたシュリーは、当惑しながらレイモンドに目を向けた。
「…………陛下、この子達を甘やかし過ぎではございませんこと? これしきも理解できないだなんて」
「いや、このくらいの歳の子は普通、この程度だと思うのだが……」
「あ、あら。そうですの……ごめんなさい、私、所謂〝普通〟というものがよく分からないのですわ。幼い頃から何をやっても必要以上に上手くできてしまうものですから……」
「それは……何となく、そうだろうなという気がするが」
本気で取り乱し出した妻を見かねて、レイモンドは子供達に声を掛けた。
「私の妻が、君達のために仕事を用意してくれる。この建物も、新しくしてくれるんだ。仕事をしてお金が貰えれば、君達が大人になっても生活に困らなくて済む。そのための準備をしているから、もう少し待ってくれ。仕事はあまり君達の負担にならないようにする。だから私の大切な妻に協力して欲しい」
レイモンドの言葉に、子供達は顔を輝かせた。貰ったお金で何を買おうか、美味しいものは食べられるか、もう隙間風で寒い思いをしなくて済むのか、と。期待に胸を膨らませる子供達。
レイモンドとシュリーは、並んで楽しげな子供達の様子を見ていたのだった。
「いったい、何を始める気なのだ?」
王宮に戻ったレイモンドがシュリーに問うと、シュリーはリンリンとランシンに命じて木箱を持って来させた。
「これでございます。もうすぐ休眠が終わり、卵が孵る頃でしたのでちょうど良かったですわ」
木箱の中を覗いたレイモンドは、思わず跳び上がった。そこに在ったのは、ブツブツとした、無数の小さくて丸い塊。
「な、な、何だこれは? 虫の卵か!?」
ゾッと鳥肌の立ったレイモンドが声を裏返させると、シュリーはクスクスと笑みを零した。
「虫は虫でも、ただの虫ではございませんわ。これは蚕の卵です」
これが蚕だと知った瞬間の夫の反応を楽しみに待つシュリー。しかし。レイモンドは驚くわけでもなく、キョトンとして妻を見返した。
「カイコ? この虫が、何か役に立つのか?」
目をパチパチさせる夫を見て、シュリーは大きな瞳を限界まで見開いた。
「まさか……蚕をご存知ないの?」
「……この虫は、そんなに貴重なのか?」
少しも話が伝わらず、シュリーはレイモンドの手を取り、自身の胸元に当てた。
「シュ、シュリー! まだ昼間だぞ? 何を考えて……」
「違いますわ、それはまた夜のお楽しみに取っておいて頂いて、私が触って頂きたいのはこれでございます」
シュリーの手が導いたのは、シュリーの着ているシルクの衣装だった。
「これはまた……上質なシルクだな」
「陛下は、この絹が何からできているかご存知ですか?」
「それは……ふむ。考えたこともなかったが、確かにこの手触りは尋常ではない。余程特別な羊の毛でできているのでは?」
「羊の毛……」
今度こそシュリーは、フラフラとよろめいた。
「シュリー! 大丈夫か?」
「え、ええ。ちょっとしたカルチャーショックを受けたようですわ。まさか、絹が羊毛でできていると思われていたなんて」
何とか立ち直したシュリーは、改めて夫に説明した。
「陛下。よくお聞き下さい。この蚕こそが、絹の原料なのでございます」
それを聞いたレイモンドは、たっぷり十秒は押し黙った。
「……これが?」
「はい」
「この虫が、シルクになると?」
「左様でございます」
レイモンドは、鳥肌を立たせながら木箱の中の卵をもう一度覗き込んだ。そして理解しようとして失敗したのか、文字通り頭を抱えた。
「ちょっと待ってくれ。いったいどうやって、虫から布ができるのだ?」




