駆け引きと異文化
「それで。首尾はどうかしら」
シュリーは、呼び出したマイエに問い掛けた。
「とても順調でございます! 王妃様が提供して下さった釧の衣服を分析し、アストラダムの流行を取り入れた新作ドレスがもうすぐ完成致しますわ! 既にあの夜会の王妃様の衣装を見た貴婦人達から、釧風のドレスを作れないのかと問い合わせが殺到しておりますのよ!」
興奮気味のマイエが差し出したデザイン画を受け取って、シュリーは満足げに微笑んだ。
「大変結構よ。でも一つだけ、このドレスには足りないものがあるわ」
「そんな、何でございましょうか……?」
「ドレスの宣伝名よ。全くの新作ですもの。何か宣伝効果のある名前を付けるべきじゃないかしら。そこで、相談なのだけれど」
デザイン画をピラピラと振ったシュリーは、弟子のマイエを手招きした。急いで近付いたマイエへ向けて、シュリーは口角をつり上げる。
「私の名前を特別に貸してあげるわ。このドレスを『セリカ王妃モデル』として売り出すのよ。そして、今後同じ釧風のドレスを作る際は全て『セリカ王妃シリーズ』として展開していけば、宣伝効果は抜群じゃないかしら」
それを聞いたマイエは、目を輝かせた。
「王妃様! お師匠様! 最高でございます! 王妃様の名前なんて宣伝効果しかありません! 何と慈悲深いのかしら、まさか我が店に王妃様のお名前を無償で貸して下さるなんて!」
喜ぶマイエに、シュリーは扇子の先を向けた。
「あら。何を言っているの? それは勿論、料金を頂くわ」
「…………え?」
「タダで王妃の名前を借りられると思って? 弟子ですもの。特別価格にしてあげるわ。売上の三割で手を打ちましょう」
「さ、三割!? 王妃様、それは流石に……」
途端に尻込みし出したマイエへと、シュリーは扇子を広げて口元を隠しながら畳み掛けた。
「私の衣装を一着、研究用に提供してあげたじゃない。他にも助言を沢山してあげたわ。刺繍の指導もよ。それを全て、サービスしてあげてるのよ? それくらいは破格だと感謝すべきだわ。私は別に、他の洋装店にこの話を持っていってもいいのよ? いくら貴方が最初にこのドレスを売り出したところで、今後同じ型のドレスがあちこちで模倣されて発売されるでしょうね。私の名前が付けば、他店との差別化、特別化が容易よ」
ピクピクっ、とマイエの体が跳ね、頭の中で計算しているように目が動く。
「理解したようね。それで? 返事は?」
シュリーは弟子に容赦なく決断を迫った。
「つ、謹んでそのお話をお受け致します……」
頭を下げたマイエに、シュリーは満面の笑みを向ける。
「それで良いのよ。賢い弟子は好きだわ。上手くやってくれれば、今後安定的にシルクを仕入れられるようにしてあげる」
「シルクを!? 本当でございますかっ!?」
「まだ先になるでしょうけれど、ちょっとした計画があるの。うふふ、今より安価に確実にシルクを手に入れられる方法よ」
ぽーっと惚けたマイエは、改めてシュリーの手腕に舌を巻いた。この人について行けば間違いないと思わせる凄み、どんな提案をされても思わず頷いてしまう魅力を持つシュリーは、やはり只者ではない。
と、師弟が談義を交わしている場に、ノックの音が響いた。
「シュリー」
「陛下! 来て下さいましたの?」
その途端、パァッと美しい顔を更に美しく輝かせたシュリーが、やってきた夫に駆け寄った。
「仕事が一段落したので様子を見に来た。何か困ったことはないか?」
「陛下にお会いできず寂しかった以外は、特に何もございませんわ」
「そ、そうか……」
頰を掻く照れた夫を見て、クスクス笑うシュリー。そんな二人の空気を察したマイエは、急いで荷物を纏めた。
「それでは国王陛下、王妃様、私は失礼させて頂きます」
「そうね。マイエ、良い報告を期待しているわよ」
マイエを見送ったシュリーは、レイモンドを座らせてその隣に滑り込む。
ぺったりとくっつく妻に再び頰を掻きながら、満更でもないレイモンドは抱えていた書類を取り出した。
「今日はこの書類を読んで終わりなのだ。ここで仕上げても構わないだろうか?」
「勿論ですわ。終わるまで、大人しくしております」
自分の隣にちょこんと座り、お茶を持ってきたり肩を揉んだり何かと世話を焼いてくれる可愛い妻に気を取られながらも、レイモンドは書類に目を通しサインを終えた。
「この国の文字はウネウネとミミズがのたうち回ったような滑稽な文字ですわね。それに、文字を書く道具も奇怪ですし、紙も硬く黄ばんでいて粗末だこと」
夫の仕事が終わったことを悟ったのか、羽ペンと紙を興味深げに見るシュリーへ、レイモンドは驚いたように尋ねる。
「そなたの国ではペンを使わぬのか? では何で文字を書くのだ?」
「筆ですわ」
「筆? 筆とは、絵を描く筆のことか?」
「釧では文字も絵も筆で書きますのよ。そうだわ。良い機会です。陛下に是非、書を贈らせて下さいませ」
「書? 書とは……?」
何が何だか分からず首を傾げる夫に、シュリーは楽しそうに説明した。
「書とはそのまま、文字を書いたものですわ。美しい書は芸術品として取引され、時には高値がつき、しばしば貴人の邸宅に飾られるのです」
「文字を書いて飾る? よく分からない文化だな」
飾るといえば絵画しか思い浮かばないレイモンドには、文字を飾るという発想が少しも理解できなかった。そんな夫を見て、シュリーは手を叩く。
「まあ、お見せした方が早いですわね。リンリン、ランシン。書の用意を」
侍女と宦官に命じたシュリーは、ニコニコと夫を見上げた。そして、最早お決まりとなった台詞を口にする。
「私、書には多少の心得がございますの」
【我愛你小蕾】
(愛してるレイちゃん)
シュリーが書き上げた書を、レイモンドは長い間見つめていた。
「素晴らしい。実に素晴らしい。……これが釧の文字か?」
「左様ですわ」
「実にクールだ。珍妙でありながら、均衡が取れ巧妙で美しい。こんな文字であれば、文字を書くだけで芸術になるのも納得だ。この黒いインク、四角い石を擦り出して何をするのかと思ったが、あの硬く黒い石からインクができるとは。更にこの真っ白な柔らかい紙……そしてこの見事な筆。全てが丁寧に作られていて、書というものへの情熱を感じられる」
書をいたく気に入ったらしいレイモンドの絶賛は止まらなかった。
「何よりも、書を認めている時のそなたの美しく凛々しい横顔、ピンと伸びた背筋の潔さ、思わず息を止めてしまうような空気感。何もかもが芸術であった。本当に素晴らしい。ちなみにこれは、何と書かれているのだ?」
褒められて嬉しいシュリーは、機嫌良く夫の問いに答えた。
「こちらは釧の崇高な格言でございますわ。この世の真理を表現した言葉とでも言いましょうか。難解な上にあまりにも高尚過ぎて、この国の言葉に訳すのはなかなか難しいですわね」
「ほう……。そうか。シュリー、これは私への贈り物だと言ったな?」
「左様でございますわ。陛下のためだけに認めましたの」
「よし。これを玉座の間に飾ろう」
「…………はい?」
「私はこれをとても気に入った。この国で最も高貴な場所に飾るべきだ。すぐに額装を施して、手筈を整えよう」
俄然やる気を出す夫を見て、シュリーは今一度、自分が書いた書を見下ろした。
【我愛你小蕾】
(愛してるレイちゃん)
これが玉座の間に。国王が座る最も高貴な場所に。謁見に来た要人や異国の使者がレイモンドに拝謁する際、その目に必ず触れる場所に。
「陛下……それは、とても良い案ですわ!」
「そうであろう?」
「ええ。陛下に気に入って頂けて、とても嬉しいです。どうぞお好きなだけ、なるべく目立つところに飾って下さいませ」
「勿論だ。早速額縁の職人を呼ぼう。玉座の後ろに掛かっている絵を外して、最も目立つ場所を空けさせなければ」
和気藹々と書を前に語らい合う夫婦を見守りながら、書の意味を理解しているリンリンとランシンは、固く口を閉ざしていたのだった。




