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祝炎の英雄  作者:
第二章 黒鉄の正義
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道を外れ、目的の場所を木々をかき分け進んでいた。

彩華の目の前を進む大きな熊。

燼は人の姿だと、歩幅が小さく鈍まだと、よく熊の姿でいた。

四本足で、のしのしと歩くその姿は、獣そのもので、手触りの良さそうな毛並みに、つい、手が伸びそうになる。

ほんの一年前ぐらいまでは、撫でても何も言わなかったが、最近になって、恥ずかしいのか、嫌がる様になってしまった。先程も、人前で髪を拭っただけで、逃げ出そうとした。年齢を考えても、そう言う時期なのは分かるが、少し寂しい。


「(今やったら、怒って、先に帰っちゃいそうだしな。)」


横を歩く御仁を横目で見ると、特に警戒はしていない。

燼の姿を見ると、大抵の者は逃げ腰になるが、その様子もなく、面白がっている様にも見える。


「貴女は、彼の友人と言ったが、主従関係では無いのか?」

「……保護者に近いものは有りますが、彼を従者と思った事はありません。」

「では、彼は郭家に仕えている訳ではないと?」

「そうなります。」

「中々の腕前だった。獣人族特有の、その身の強さ以上に、恐れを知らないのが気に入った。」


何とも楽しげだ。賢雄と名乗った男は、勧誘でもしようとしているのか、燼だけを見ていた。

妖魔など怖くないと、燼はその爪と牙を容赦なく敵に向ける。体重を乗せた、あの手で殴られたのなら、妖魔など簡単に潰れてしまう。

戦っている姿を間近で見ていたのなら、この男も、燼の強さを実感しただろう。彩華に牙を向ける事は、無いものの、恐らく彩華も敵わない事だけは良く理解していた。


「あの子は、礼儀作法が殆ど身についていません。朱家に仕えるには不十分かと。」


燼を卑下している訳ではないが、今のままでは、朱家の様な格式の高い家柄には向かないだろう。何より、燼は、従う相手を自分で決める。

話は聞こえているだろうが、今も、聞こえない振りを決め込んで、こちらを向くことすらない。


「保護者ならば、勧誘には貴女の許可も必要だろうか。」

「私としては、良い家柄に仕えてくれたなら、安心出来ますが……。」


これは、本心だった。

自分が、次期郭家当主であったなら、いつか従者になる事を前提で、今の関係でも問題無いだろうが、いつかは家を出ていかなければならない身。いつまでも、自分一人にだけに目を向けさせる訳にも行かない。

今の所、嫁に出る予定も無ければ、本家に仕える予定も無いのだが。


「貴女の腕前も、見事だった。しかし、従者も付けずに山中を見回っているのか?」

「趣味ですので。父も、燼の実力があってか、そこまで煩く言いません。」


本当は、心配されているし、止められている。

燼が護衛として側にいるから、口出し程度に止まっているだけなのは知っていた。

それでも、誰かがやらなければならない事がわかっているからか、父も本気で止めようとはしていない。


「他には、いないのか?」

「……いるには居ますが、私は空を飛べるため身軽ですので。」

「それで、一人で飛び回っていたと?」

「えぇ。他にする事も有りませんし。」

「貴女の実力であれば、玄家や皇軍に勤める事も容易であろう。」

「誰かに仕えるほど、野心や使命感がある訳でも無いんです。自由気ままに山を巡るくらいが、丁度良い。」


まだ、出会って間もないというのに、妙に踏み込んでくる。主人は相変わらず無口だというのに、この男は余程お喋りと見える。

こちらは、大した質問も出来ないのに、こちらが答えるしかないと、わかってやっているのか。

その後も歩くだけでは暇な為か、質問ばかりだった。


暫くして、特に何も無い、木々が有象無象に生い茂るだけの場所で、燼の足がぴたりと止まった。

木々に光が遮られ、昼過ぎだと言うのに、妙に暗い。

ただ、異様な迄に立ち込める瘴気だけがそこにあった。

土が黒く染まり、付近の草木は枯れ、異様な空間が広がっている。


「これが、妖魔が湧く場所……という事でしょうか。」

「そうだが、此処は枯れてしまった様だな。」

「確かに、何の気配も有りませんが……」


誰が言ったか、妖魔が現れる事を湧くと言った。あれらは、陰から湧き出るのだと。そして、枯れるとは居なくなる事を明示しているのだと、彩華は思っていた。


「(湧き出る根源地が“枯れる”だったのか。)」


人伝に聞いた言葉は当てにならないのだと、彩華は更に近寄った。黒ずんだ地面を触るも、湿って、ぬめぬめと気持ちが悪い感触に、思わず顔を歪ませる。


「私はてっきり、木の陰から生まれているのだと、思っていました。」

「木の陰からも湧くが、湧きやすい場所が有る。木々が生い茂り、光が当たり難かったりすると、根源地となる。今は枯れているが、その内また、戻るだろう。」

「……木々を伐採すれば、治るでしょうか。」

「多少は効果はあるかもしれんが、やるなら、山が静まる冬が良いだろう。」


山道以外は、あまり手が入っていない。獣人族が暮らす地も限られており、人が住まぬ地は、木々により光が届かない。

父に進言してみるべきかと、悩んでいると、燼が険しい顔をして、のそりと近づいた。


「……彩華、ここぐらいまでなら、木を切るのは問題ないけど、少し先は止めた方が良い。」

「どうして?」

「獣人族の領分が近い。面倒になるだけだ。」


いつになく、真剣な顔を見せる燼に、彩華は頷いた。

確かに、もう少し先に行けば、獣人族の居住区に辿り着く。下手に森を荒らせば、彼らは黙ってはいないだろう。


「そうね。どの道、父様にも言わないとね。」


何気無く近づいた燼の頭を撫でると、手触りの良い毛並みに、何度か繰り返していると、後退りで立ち上がってしまった。


「(やりすぎたか。)」


人前というのもあり、不機嫌そうに、こちらを見る。

ふと、賢雄とその主人に目をやると、何やら気まずそうな顔をしていた。やはり、人前でやるべきでは無かったか。


「……邪魔をする様で悪いが、次に案内してくれると助かる。」


不機嫌ながらも、燼はのそりと動き出した。

何度か、彩華をちらちらと振り返っては、何かを確認している様だった。



結局、その日は雲景と賢雄の気が済むまで、山を歩き回った。

その間、何度も妖魔に出会っては、討伐した事で、暫く彩華が山に入らなくても良い程に、妖魔の気配が減っていた。ある意味二人のおかげではあるが、未だ、賢雄の言う調査というのがよく分からなかった。


陽が落ち、いくら妖魔の気配が減ったとは言え、山が危険である事には変わりない。


「そろそろ、街へ戻った方が良いかと。」

「そうだな、今日はこれくらいにしよう。」


一日、山を歩き回ったというのに、体力があるのか、山歩きに慣れているのか、二人は一切の疲れを見せてはいなかった。


「明日は、どうされますか?」

「数日、間をおいて妖魔の出現を確認したい。申し訳ないが、暫く付き合って貰いたい。」

「私は一向に構いません。ですが、皇宮からの正式な依頼でしたら、一度父に話を付けた方が良いかと。一応、父にも統治者の面子なるものが有るかもしれませんので。」


突き放した言い方に、賢雄は笑うだけだった。主人に向くと、またも頷くだけ。賢雄との様子から、話せないわけでは無いだろうに、何故、頑なに人前で口を開かないのだろうか。


「問題無い。こちらも勝手にやりすぎて、後に障るのは困るのでな。」

「では、一度我が家まで、ご同行下さい。」


開けた場所に出ると、体の力を抜いた。

龍に転じるのは、どういう気分かと、聞かれた事がある。

龍人族である自分には、当たり前の事ではあったが、人として生まれた、その者には、奇異な者に見えているのだろう。ただ、殻を被る様な感覚があるとしか、答えられなかった。


人の身から、黒龍の姿に転じるも、背に乗ったのは、人の姿に戻った燼と賢雄だけだった。


「雲景様は、如何されますか?」

「私は、問題ない。」


そう言って、同じ様に転じるも、その姿は髪色と同じ赤い龍。

鈍色に光る黒龍とは違って、真紅に煌めく姿は何と見事なものか。

同族の多い墨省に留まっていると、あまり他族との交流も無い為、他の龍族をみる機会は少ない。

稀に、他種族が嫁ぎに来たりもするが、朱家は特に皇族に仕える者が多いため、その姿を見るのは初めてだった。


「では、先導します。」


――


墨省 エイシン


行燈の灯りに照らされた街が、小さな賑わいを見せる時刻。

墨省は鉱石の生産地としてよく知られている。その殆どが、玄家所有の山で有り、僅かに郭家が所有するものも有るが、玄家に比べれば、お溢れの様なものだ。エイシンに住むのは、鉱山で働く者が多く、採掘の為に出来た街でもあったが、今は藍省へと繋がる道の為の宿場町と化してしまっている。

お陰でいかがわしい店が増えたが、税金を納めそれなりに収益も出る為、放っておくしか無い。


上から眺めていると、仕事が終わった者達は、何やら楽しそうに店の戸をくぐっていた。


屋敷に着く頃には、日は完全に落ちていた。流石の父も心配してか、龍の降り立つ姿を見てか、慌てて家から出てきたが、もう一体の赤い龍に目を丸くするばかりだった。


「朱雲景と申す。主の命により、この地の調査に参った。少しばかり、説明をしたいが……」


朱家と聞いてか、父は頭を下げた。今更だが、自分は一切、頭を下げる事を忘れていたものの、一度として、不敬だと、咎められ無かったと思い起こした。


「この様な地に、わざわざ朱家の方がお越しになるとは。話は、中でお聞き致しましょう。」


恭しく頭を下げるも、胸中では何を考えているのか、その声は冷静そのもの。

頭を上げ、此方を見るも、怪訝な顔つきを見せるだけだった。


「先に、娘と話をしても?」

「こちらも押しかける形になってしまっている、構わない。」


雲景と賢雄を応接間に案内し、燼に休む様に伝えると、父と共に執務室へと向かった。部屋に入るなり、父は怒りを見せた。


「皇宮からの使者とは、どういう事だ。」


朱家が主を指す家柄は、姜家だけだ。雲景の主が、姜家の誰かなど問題では無い。朱家が仕えるならば、皇宮でそれなりに地位の有る者、もしくは皇帝に血が近い者となる。

どちらにしろ、皇宮から来たことには、変わりない。


「さあ、山中で偶々、出会っただけですので。朱家の方の頼みを断る事も出来ませんし。」

「一度、私に話を付けるべきだとは思わなかったのか?」

「優先すべき事柄を考えた結果です。」


父親とは言え、小規模な街の統治者と、皇宮で仕えるとされる朱家。父の機嫌を損ねる事など、最初から分かっていた事だったが、どちらが上かなど、考えるまでも無いと、澄ました顔を見せた。


「私は、玄家から何も聞いてはいないのだぞ。」

「確かに、墨省は玄家の領地では有りますが、それでも皇宮が上である事には変わり有りません。一度、朱雲景様に話を伺った方が宜しいかと。」


あくまで、玄家も皇宮に仕える身。自分が軽んじられている事に納得出来ないと苦々しくも、唇を噛む姿に、つい笑ってしまいそうになる。


「山で何をしていた。」

「妖魔が湧く場所が見たいと。それ以上は何も知らされていません。」

「いつも、お前が見回っている山なのだな。」

「……そうです。」

「鉱山については何か言っておられたか?」

「特に何も。」


父は何かを怪しむも、本当に知っている事はそれだけだと言うと、これ以上の話は無意味と、早々に部屋を追い出された。

一日山に篭もりきりな上、いつも以上に妖魔と戦った。流石に疲れがどっと押し寄せ、やっと休めると、湯浴みを済ませ、食事時まで部屋に篭ろうともするも、背後からの下男の声で、やむなく阻止されてしまった。


「お嬢様、お父上が応接間まで来る様にとの事です。」


同席は避けられたと考えていたが、甘かった様だ。仕方ないと、踵を返すと、応接間へと足を向けた。

扉に手を掛けようとするも、中は妙に静かで話し声も聞こえない。

恐る恐る戸を開けて中を見ると、何やら和かな賢雄がこちらへ手招きして見せていた。それに反して、賢雄の正面に座る父は俯き、表情は暗い。

状況が飲み込めないが、とりあえず父の隣に座るも、こちらを見る事も無く、口を閉ざしたまま。

せめて説明して欲しいと、賢雄と雲景を見ると、雲景が口を開いた。


「貴女の同行の許しが出た。三日後、再び調査を行う。賢雄と共に、山への同行を願う。」


明らかに、それだけの話では無かっただろう。


「他には何か……。」

「特には無い。一応、父君の許可が降りた事を証明する為に、この場に呼び寄せただけだ。」


父を見るも、明らかに様子がおかしい。俯いて表情を隠そうとはしているが、怯えている様にも見える。

普段は、威厳を保てと口うるさく言う父が、ここまで縮こまっているのも、珍しい。一体、何を言われたのか気になるが、朱家が相手では、聞き出すことも出来ない。


「ご同行は了承致しました。」

「報酬については、後日話そう。」

「え?」


思わぬ言葉に、つい声が出てしまった。


「無償でなどとは、考えてはいない。勿論、貴女のご友人についても同様だ。貴女達の働きは、評価されて然るべきだ。」


山々を巡るのは、趣味が半分だったが、半分は街の為でもあった。だが、人知れずやっているため、父が危険だと咎める事はあっても、誰かに感謝される事は一度として無かった。趣味と割り切る事で、悠々と生きられる身分を満喫しているのだと思い込ませる事にしたが、付き合わせている燼に申し訳なく思っているのも、また事実だった。

言葉も無いと呆然としていると、徐に賢雄が口を挟んだ。


「父君の意向で、この屋敷で滞在する事になった。また、宜しく頼む。」

「承知致しました。」


人を煽てるのが上手いのか、それに乗せられたのは自分だが、悪い気分では無かった。

無愛想ながらも、評価と言ってくれたお方と、目の前で、笑顔を見せる従者らしき人物は、今まで会った誰よりも、誠実なのだと、感謝の意と共に、頭を下げた。

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