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祝炎の英雄  作者:
第五章 幽鬼の誘い
74/233

十七

 緑省 省都ワノエ 花柳界裏通りの一角

 

 鼻に着く、すえた匂い。その匂いは、懐かしくも嫌悪感を募らせる。華やかな表通りとは裏腹に、人通りが少なく、待ち構える様に不成者がそこらかしこに暇を持て余している。表通りの様子を伺う者、迷い込んだ者を待ち構える者、中には、裏通りに女を連れ込んで無理矢理事に及んでいる者もいる始末。今も、女の悲鳴にも近い助けを求める声が聞こえるも、誰も見向きもしない。連れ込まれる方が悪いとでも言うように、その声が誰に届くこともなかった。

 そんな、日常の一端でしかない出来事を尻目に、薙琳は裏通りを歩いていた。

 身姿だけならば旅人を装って入るものの、薙琳の体格も連れ込まれた女と大差は無い。卑しい目が、裏通りを堂々と歩く薙琳に集まっている。

 別に、美人である必要は無い。金の無い飢えた獣物は、自身の欲を吐き出す対象があれば、それで良いのだ。


「なぁ、あんた。迷子か?表通りまで送ってやろうか?」

 

 狙いを定めた者が近づき下心しかない言葉を掛けるも、薙琳は流れる様に歩くだけだった。

 相手にされていない。男は薙琳の態度に憤慨したのか、勢い混じりに肩を掴んだ。


「おいっ!」


 逃げない様に、そのまま身体を押さえ込めば良い。後は大人しくなるまで殴るだけ……男の脳裏には、単純明快な考えばかりが浮かんでいたが、そんな考えとは裏腹に、薙琳は進行を妨げていた男の手首を無言で鷲掴んだ。

 そして――


「ぎゃあああぁあ!!!」


 骨の折れる鈍い音が男の腕から鳴っていた。痛みか、自身の腕があらぬ方向に曲がっている驚きからか、男は自身の手を凝視して盛大に叫び声を上げている。何が起こったかも分からず悶える男の様子に、周りにいた者達の血の気は引いていた。

 あわよくば、おこぼれに預かろうとでも考え傍観していたのだろうが、男の腕を折った女の瞳は何も捉えず、男を一瞥もしない所か、何事も無く歩き出した様子が何よりも恐ろしく見えていた。


 薙琳は、裏通りを進み続けた。目的があるのだろう。その歩みに迷いはなく、更に奥へ奥へと向かっていく。

 

 そうして、しばらく進み続けると一軒の店に行き当たった。外からは、そこが何の店かは分からないと言うのに、薙琳は迷う事なく店へと入って行く。

 中は、蝋燭が一本点されているだけで、仄かに灯りはあるが十分とは言えない。薄暗く陰鬱なそこは、ある程度の卓と椅子は揃っていて、酒楼か食堂である事は確かだったが、とても繁盛しているとは言えなかった。

 そもそも客がいない。一人、それらしい人物が酒器を並べた卓に伏せっているが、寝ているのか死んでいるのかも分からない程に、動かない。

 とても、女が寄り付く様な場所では無かった。

 だからだろうか、薙琳が一歩店に踏み込んだ辺りから、店奥で椅子に座って酒を飲んでいる男が警戒していた。じろじろ見ると言うよりは、一挙一動から目を離さない。

 何を企んでいるのか、ただその一言だったのだろう。それもその筈、薙琳はその店に入りながらも、怯えるどころか、堂々と男の前に歩み出たのだ。

 そして、隙がない。男も、それなりに場数は踏んでいる。妖魔を相手取って護衛業を営んでいた頃すらあった。その経験を踏まえているからこそ、男は目の前に現れた女が、自身が敵う相手ではないと認識していた。


「……人を探しているのだけれど。魯粛(ろしゅく)は、貴方でよかったかしら?」

 

 口調こそ、丁寧で温和を装っているが、その目はどんよりと濁っている。

 その目が意味するものなど、男は考えない。別段、珍しく無いからだ。

 わざわざ、裏通りを徘徊し、自分に会いにきた。そう言った者は、大概何かを抱え、一癖も二癖もある者ばかりだ。

 悪党だろうが、善人だろうが、人殺しだろうが、男は気にもならなかった。腹に何かを抱え、澱んだ瞳の底にあるものを見るのが面白くて、男は、まともに営む気もない酒楼を構え、客を待っている。そして、薙琳の存在も又、男の興味を駆り立てていた。

 

「俺で間違いねぇ。情報を集めるのが趣味でね。勿論、それなりの報酬も貰うが」

「問題無いわ」


 薙琳は、懐から財布を取り出すと、金貨を魯粛へ手渡していた。

 蝋燭に照らされ輝くそれは、掌の上でずしりと重みを感じる。実際は大した重さでもないのだろうが、魯粛のにんまりとした笑みは、興味とは別の欲を表していた。

 

「何を聞きたい」

「桜省ムジ村で大量虐殺をした男の行方」

「……古い話だな、まあ、良いか」

 

 そう言うと、男は手を顎に当て頬杖を突く形でぶつぶつと独り言を話し始めた。頭の中を整理でもしているのか、視線も薙琳から外れ、ああでもない、こうでもないと呟き続けている。そうして、暫くすると独り言を止め、ふうと息を吐いた。


「男の行方自体は、噂にならない。男は狡猾だ。欲望のままに生きているが、決して傲慢でもない」


 情報というよりは、誰かの記憶そのものだ。魯粛は、まるでユラと会った事がある様に、話をしている。

 

「だが、ムジ村の事件から、各地で神隠しの噂が広まっている」

「……神隠し?」

「そうだ。忽然と人が姿を消す。そして、大概が、居なくなっても気付かれない様な者ばかりだ」

 

 可哀想にと、付け足す魯粛の恍惚とした顔は、とても本心を語っている様には見えなかった。魯粛は、()()を見ている様だった。

 

「それが、その男の仕業だと?」

「あぁ、全てでは無いが」


 確信めいた口調が、薙琳に疑問を抱かせた。


「……貴方、異能でも持っているの?」

「さあねぇ」


 にやにやと、薙琳を弄ぶ口は、再び満足しては笑っていた。

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