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祝炎の英雄  作者:
第五章 幽鬼の誘い
69/233

十二

 はっきりと進路が決まらぬ中、軒轅は考え込む鸚史を背にゆったりと飛んでいた。

 思考の邪魔をしないと言うのもあったが、次の指示がなければ、軒轅には判断がつかないのもある。

 結局、行く手を阻まれ、薙琳には追いつけていない。闇雲に探したところで、山中では山を熟知した獣人族に追いつけはしないだろう。更には、今度の目的地は何処にいるかもわからぬ人物の上に、殺人鬼ときた。事はいつまで転がり続けていくのか。

 ただ、軒轅にもわかっている事が一つだけあった。

 手立てが無い。それだけが、明確に浮き彫りとなっていた。思案を続けているのも、それが原因なのだろう。今度ばかりは、薙琳の目的が知れても、行方も分からない上に、薙琳がどう言った手段で、探し物をするかも想像もつかない。

 噂にもならぬ人物を探すのは、困難を極めるはずだ。こういった場合、頼りになるのは権力者か裏の道に詳しい者だが、薙琳は鸚史を頼る事は無いだろう。薙琳とは、まだ付き合いこそ短いが、主人には忠実な事は知っている。その忠実な人物が、書き置き一つ残さず消えたのは、振り返らない為なのだろうと考えてしまう程。

 だが、当ても無く本懐を遂げようとする程、愚かでも無いはずだ。

 軒轅も、暇を持て余し、可能な限りの思考を回らしたが、どうにも要素だ足りない。

 薙琳との付き合いが浅すぎて、知っている事といえば、主人に忠実である事の他には、数十年に渡り、鸚史の従者として風家に仕えている事、黄家である軒轅や朱家の者を揶揄って遊ぶ節がある程、豪胆であることぐらいだ。

 それに引き換え、鸚史と薙琳の関係は古いと聞く。付き合いが永ければ、全てを知ってるかと言えばそうでも無いのだろうが、二人の関係は何処と無く主従というだけには当てはまらない様にも見えた。どちらもが一線を引き、そこを越えない様にしている。

 そんな浮ついた考えに行き当たった時、軒轅は思考を投げ捨てた。

 

「(止めよう。幾ら何でも、無粋だ)」


 特に、鸚史は風家であり、その後継だ。下手な考えを、下手に口にでも出したものならば、敵が増える上に、黄家からは勘当される事だろう。鸚史にも、考えてから言葉を口にしろと言われたばかりだ。折角得た意味ある仕事を失わないたくはない。軒轅は、完全に思考を止め、鸚史の邪魔をしない事だけに集中する事にした。

 

 そして、考え事が終わったのか、鱗を何度か叩く感触に、軒轅は反応した。


「軒轅、桃廉城(とうれんじょう)へと向かってくれ」


 それは、桜省都ジョウユウにある城の名だった。

 桜省は風家が治める地だ。だが、当主一族は皇都を離れられない為、領地にまで手が回らないのが現状だ。

 だから、多くの一族がとった手段は、分家に領地である各省を任せる事だった。

 風家も同様に、分家に任せきりだ。時々大事が起これば連絡が入るが、諸侯である分家当主が小事と判断すれば、それは省内で事済まされてしまう。


「ムジ村の一件、お調べになられますか」

「あぁ、ついでに祝融と合流する。燼がどういう状況かも知る必要があるしな」


 取り敢えずの目的は定まった。軒轅は、向きを変えると、桜省都ジョウユウへと向かっていった。


 ――

 ――

 ――


 夕陽が沈みかけている。黄昏色に染まった宿屋の一室で、薙琳は寝台の上で片膝を抱えじっと暗闇を見つめていた。

 大禍時とも言える頃合いで、それは今にもこちら側に侵蝕せんと、蠢いては様子を伺っている。

 今までも、ずっとそうだった。暗闇から、禍々しい視線を感じる。

 薙琳は、燼の様なよく見える目は持っていない。だから、その視線も、蠢いて見えるのも、幻覚の一つと考えていた。

 何処までが現実で何処までが幻覚かが曖昧な今、()()が何かを知る必要があった。


「……お前は誰だ」


 これで、虚に話しかけているだけならば、薙琳は自分は完全に狂ってしまったと思っただろう。いや、どちらにしても、薙琳は、自らを信じる事は出来ていないかもしれない。

 幻覚、夢の全てが真実でも、薙琳にはそれを現実と確かめる術は何一つとして持ってはいないのだ。

 だが、最早どちらでも良いと感じていた。現実は無情で、娘は無残な殺され方をした。

 それならば、今迄幻聴と思っていた娘の恨み節も頷けるというものだ。置いていった薙琳を恨んでいるのか、それとも夢の通い路を彷徨い助けを求めているのか。

 どちらにしても、既に薙琳の目的は定まっている。

 夕陽が完全に沈み、部屋全体が薄闇に飲まれていようとした時、薙琳は再び暗闇に問いかけた。


「お前は誰だ」


 その瞬間、薙琳の耳に一つの言葉が届いた。


『     』


 それは、幻聴か。()の声かも分からぬそれに、薙琳はただ頷いた。

 声は、途切れた。

 これは神への裏切り行為だろうか。薙琳の中に、白神の姿が浮かぶも、神は、あくまで道を指し示すのみで、人を裁くことは無い。

 薙琳は、寝台に崩れる様に横になると、再び暗闇を見つめていた。

 あの声は、神の囁きではない。確信めいたものが、薙琳にはあった。だが、自身を導く声ではある。

 神だろうが、悪意に満ちた何かだろうが、薙琳はどちらでも良かった。例えこの身がどうなろうと、後戻りなど出来はしないのだ。


 ――

 ――

 ――

 

 柑省 コセン平民街


 ポタリ、ポタリと水が滴る音が続いていた。

 雫が一粒づつ落ちては波打ち、赤い血溜まりを作っている。月明かりに照らされた貧しさを思わせる小さな家の中、血溜まりの上を見上げれば、兄妹と思しき若い男女二人が、黒い糸の様なものに串刺しの状態で吊るされていた。暗がりから、二人の影から伸びるそれは、小さな家の中を、蜘蛛の巣の様に張り巡らせて兄妹二人を貫いている。糸の様に細いものは手足を吊るし、木の枝ぐらいの太さの物は、血肉をえぐった。

 その糸が兄と妹の体重を支え、妹の足先から、兄の指先から、落ち続ける雫はとめどなく、そして緩やかに血溜まりを作り続けている。

 吊るされた女は、今も意識があるのかピクリと微かに動いては、痛みで呻く。身体中が貫かれるが、意図的に急所は外され、想像を絶する痛みが、今も女を襲っていた。既にもがく力は残っていない。

 不条理としか言えない状況だろう。吊るされた女に出来る事はなく、既に息絶えた兄に対して、自らも苦しみの中にありながらも死を嘆き、涙を流した。

 せめて、女に出来る事は只管に死を願う事だけ。声を出す気力はなく、ボソリボソリと「殺して」と声無き声で呟き続けた。

 そんな様子を一人の男が、満足気に眺めていた。

 まるで、大きな一枚絵でも眺めているかの様に、壁を背に、惨劇の全体をその目にとどめている。滴り落ちる血が、苦痛に悶える姿が、無力に苛まれ流す涙が、全てが男の欲を満たしていく。

 ゆっくり、ゆっくりと命が終わるその時を眺め、愉悦に浸る。そうして、それから一刻も経つと、女の呼吸が浅くなり、ピクリとも動かなくなった。

 ただの木偶となった玩具に男は興味を失くした。あれ程悦に浸っていた男の表情も、ころりと変わり、そこらにいる農民と然程大差ない温和な顔だ。すると、男の足下の影が動いた。影が波打ち、気味悪く蠢いている。動きは水にも似ているが、もっと自在だ。それは大きく広がり二人を貫いていた黒い棘ごと覆い被さった。まるで大きな生き物の食事だ。骨が砕け、肉が潰れる音が暫く響いたが、それが終わると全ては影に飲み込まれ、何一つとして残ってはいない。

 血溜まりすら消えたそこは、凄惨たる物々しさを思わせず、空虚な家が残っているだけ。

 全てが終わると、男は立ち上がろうとしたが、ふいに部屋の隅の暗がりに目を向けた。何も無いそこで、男には()()が見えている。そして、男は何かに対して言葉を口にしていた。

 

「そうか、遂にか……」


 男は、待ち侘びていたと言わんばかりに、口角を吊り上げて笑う。声こそ落ち着いていたが、今の今、漸く欲が満たされたというのに、留まることを知らない渇望が溢れては疼きが抑えられない。

 時が来た。憎悪が目覚めるこの時が、どれ程待ち遠しかった事か。


「喉が、渇いたな」


 男は低い天井へと目を向けて、今し方、そこにぶら下がっていた物を思い起こす。楽しい一時だったとでも言う様に、深く息を吐いては、低く笑う。

 それでも、渇きは治らない。

 

「もう直ぐだ」


 男は、まだ見ぬ()()()()に思いを馳せた。

 漸くだ。


「やっと会えるなぁ、()()。お前も会いたかったのだろう?」

 

 男は、返事の無い暗がりから目を離すと、荷物を背負い家を出た。

 村から少しばかり離れた民家に人が居なくなったと気がつくのはいつの事だろうか。村外れに住む若い兄妹。厄介者扱いか、理由があったかは知れないが、居なくなったとしても、誰にも死んだと気付かれず、忘れられて行くだろう。

 永遠に殺された苦しみに苛まれ、恨みを忘れられず、いずれ鬼へと変貌する。

 この上なく胸躍るではないか。

 男は、それを思うと笑いが込み上げた。男も、元は『鬼』と呼ばれる存在だった。一度死を味わい、二度目の人生を運良く奪ったユラという獣人族の肉体で、のうのうと生きている。

 男は、村を外れ、山を目指した。街道を辿り、夜を彷徨う。

 そして、暗闇で、時がくるのを待ち続けるのだ。 

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