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祝炎の英雄  作者:
第五章 幽鬼の誘い
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 パチパチと聞こえる囲炉裏の音が、薙琳の耳に懐かしく届いていた。囲炉裏の側で過ごす機会が、皇都では全くと言って良い程に無い。膝を抱え、ゆらゆらと揺れる火を見つめていると、薙琳の目には囲炉裏を挟んで向かいに座る男の姿に夫が重なっていた。その隣には幼いキナが座って、夫と共に何やら楽しげに談笑している。

 不死である事を知らず、ただ平凡に生きていた頃。それが幻覚となって薙琳の瞳に映り込んだ。自らが不死とも知らず、平凡な幸福に浸っていたあの頃。まるで、本当にその時に戻った様で、思わず自ら遠ざけた過去に手を伸ばしそうになっていた。

 薙琳は、はっとすると咄嗟に今にも動こうとした右腕を押さえた。自身の腕に爪を食い込ませ、痛みで現実と夢の違いを認識しなければ、それが理解できない程、過去に縋りつきそうだった。

 痛みが薙琳を現実へ引き戻すと、薙琳は、男の姿を漸くはっきりと捉えていた。その目は、鋭く薙琳を訝しんでいる。だがそれも、当然の事だろう。夜更けにも近い時間に突如として姿を現した女など、警戒されて当然だ。山中で道に迷ったなど、言い訳にもならなかった。

 

 それからも、何の会話もないまま火は小さくなりつつある。

 男は薙琳を追い出す事は無かった。招かれざる客ではあったが、薙琳は見るからに衰弱している。男も良心が疼いたのか、どうしたものかと首を捻っていた。

 真夜中に突然訪問する者など、本来ならば邪険にされて当然だろう。それが、妖魔蔓延る山中でなら、尚更で、人でないものとすら思われても仕方がない事でもあった。

 男の眼差しこそ厳しいものがあったが、何も話さない薙琳を追い出そうとしないどころか、徐に立ち上がり、家の中を歩き回ったかと思えば、水の入った湯呑みを差し出していた。


「……外から客なんて来たこと無いんだ。何出せば良いか、わからねぇ」


 荒っぽい口調だったが、男は湯呑みだけ渡すと、また囲炉裏の向かいに座っていた。


「あんた、キナって女に会いに来たんだろ?」

「えぇ……」


 薙琳自身、夢の事柄が無くとも、既にキナがこの世にいない事は年齢的に考えてもわかっていた事だった。だからと言って、悪夢を見たから此処に来たとは、とても言えなかった。


「……キナは俺の祖母だ。二十年以上前に……死んじまったが」


 男は目を逸らした。悲しげな顔を見せて、何か真実から目を背けんとしている。と同時に、その瞳の鋭さを再び薙琳に向けていた。


「あんた、名前は?」

「……薙琳」


 今にも消え入りそうな声。男から見た薙琳は、最初から弱々しく姿ではあったが、キナの死を知り、確かにキナの死を嘆いていた。


「俺は、ハジンってんだ。明日で良けりゃ、墓まで案内してやる」

「えぇ、お願いします」


 薙琳の声は震えていた。最後に自身が放った言葉が、今になって後悔の種となる。そして、それは頬を伝う涙となっていた。


 ――


 明朝一番だった。ハジンは薙琳の為に朝食を拵え、食べたら案内してやるなどと言っては、無理にでも食べさせようと強気だ。真っ当な食事など久しぶりで、ハジンが用意した羹は薙琳の胃に染みていた。

 顔つきは相変わらず厳しいが、ハジン曰く生まれつきなのだそうだ。無愛想にも見えるその顔は、どことなく死んだ夫を思い出した。


 そうして、食事を終えると、ハジンは墓地へと案内した。

 並ぶ墓石は、川から拾ってきた只の石ころだ。それが並ぶ数が、死者の数を表している。薙琳は、墓地の場所こそ変わっていなかったが、その数に絶句していた。

 薙琳がムジ村を離れ、既に七十年余りが経過していた。とは言え、明らかに死者数が多すぎる。


「……正直言って、殆ど同時に埋葬したから、婆さんの正確な場所はわかんねぇんだ」


 そう言ったハジンは物悲しげな目を、墓石に向けていた。


「何故亡くなったか、聞いても?」


 ハジンは口を継ぐんだ。険しい顔つきが、より強くなる。それでも、薙琳の目がハジンに向いている事に気づくと、薙琳の寂しげな表情に誰かを重ねそうで自然と口は開いていた。


「殺されたんだ……俺の……弟に」


 ――

 ――

 ――


 その日、村は祝い事の真只中だった。成人の義を終え、酒を振る舞われた若者達が、楽しく広場で火を囲んで宴に興じている。初めての酒に酔いしれ、飲み続ける者、呑まれる者と様々だ。その姿は、子供同然だが、これからは見習いだが成人として扱われる事になる。

 誰も彼もが勇ましいわけではなかったが、只々、今日ばかりは、その一歩を皆で祝うのだ。

 

 賑わう中、ハジンは宴より少し離れた場所で、広場を見渡していた。

 一人、足りない。

 ハジンも数年前にこの場で同様に成人を祝ってもらった身だ。それは、村中の誰しもが該当する事でもあったが、一人だけ、その場に呼ばれなかったものがいた。

 ハジンの末の弟、ユラ。

 本当ならユラも、この場に居るはずだった。いや、権利があると言った方が正しいだろうか。村中の成人した者が祝われる中で、排斥を受けるユラが、この場に呼ばれる事無い。ハジンにも分かりきったことだった。

 所謂、村八分をキナは祖母と共に村の端に居を構え、家から出る事も少ない。

 ユラは、ある日突然、変わってしまった。普通の子供だったユラは消え、残ったのは暗闇に話し掛ける奇妙な子供。誰の目にも異様だったその姿は、消える事なく続いた。家族は、何か原因か解らず、その度に注意し出来る限り声をかけ続けたが、ユラの()が治る事は無かった。次第に心は離れ、そして、遂には村からも孤立した。

 祖母だけが、ユラに寄り添い献身的に()を治そうと試みたが、祖母から話を聞く限りどうにも続いている。

 祖母も、もう歳だ。そう永くは生きられないだろう。弟はどうするつもりなのか……。

 悶々とハジンの中で、不安が渦になってぐるぐると巡り、どんどんと大きくなっていた。

 そんな事を考えながら、茫然としていたハジンだったが、ふっと背後の気配に振り返った。


「……ユラ、お前」


 広場で囲む火が大きく辺りを照らし、それはユラの顔もはっきりと映し出していた。まともにその顔を見るのは、何年ぶりだろうか。幼くない、成人した男の顔とも言えたが、虚で表情を持たない木偶人形にも見える。笑いもしない、排斥に対して怒りを見せない。


「ハジン兄さん、俺、村を出ようと思うんだ」


 突然の言葉に、ハジンはただ困惑と同時にほっとしていた。

 ―行く当てはあるのか?

 ―厄介者が消えてくれて助かる


 相反する考えが浮かんでは沈んだ。


「いつ出ていくつもりだ?」

「そうだな、なるべく早く」

「婆様には言ったのか?お前のことを特に気に掛けていた、寂しがるだろうよ」


 ハジンは真っ当な言葉を返したつもりだった。

 どの言葉に反応したのか、ユラは低く笑ていた。愉悦に浸り、怪しく笑うそれは、矢張り弟とは思えなかった。

 そうして。一頻り笑うと、それが言葉を溢した。


「婆様ならもういない」

 

 その言葉と共に、ハジンの腹部に鈍痛が走った。


「……ユラ……?」


 ハジンは思わず、自身の腹部に目が行った。黒い影、そうとしか言えないものが腹を貫いていた。それは炎に照らされ、闇の中でもゆっくりと動く。


「ハジン、安心しろ。もう、お前達を煩わせる事もないだろう」


 今度は、背後からだった。腹を貫き、ゆっくりと甚振る行為を繰り返すたびに、ユラは笑っていた。

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