九
桜省 ヒノ村
ヒノ村の小さな宿屋も兼ねた酒肆。大きな街と大差無い喧騒の中、鸚史は頭を隠しながら後をついてきた軒轅と共に、話を探っていた。
だが宵の口というのもあり、どの客を見ても酔っ払っている。喚き散らす様に話しては、店の中は騒音としか言えない状況だ。こういった場所には、今まで薙琳を連れていた為、軒轅は慣れていないかと鸚史は心配していたが、意外にも安酒をぐびぐびと飲み干しては、辺りの話を聞いている様だった。
「騒がしい店ですね」
「時間が悪かったかもな。酔っ払いしかいやしねえ」
まともな情報が本当にあるのかも分からない状況の中で、鸚史は偶々、隣にいた男に話しかけた。
「すまないが、この村の近くに、獣人族の村は在るか?」
「在るには、在るな」
隣で酒を飲んでいた中年の男は、仕事仲間と飲んでいた。終始楽しそうに酒を酌み交わしては、他愛もない会話を繰り返している。顔を赤らめる程に飲んではいたが、意外にも呂律も頭も回っており、軽快な返事が返ってきていた。
真っ当な返事が返って来た事で、鸚史は内心安堵していたが、その向かいに座っていた初老の男が一瞬で翳りを見せた事で、それもすぐに消えてしまった。
「あぁ、あの村か……」
初老の男は酔いも醒めた様に、苦い記憶を思い出す様に渋い顔をしている。続きを話すか悩んでいるのか、そのまま俯いてしまった。
「此処ら辺りに、そんな村あったか?」
初老の男の心情を知らずか、話しに割り込んだのは同じ卓に座っていた若い男だった。思い当たる節がないのか、今一つピンときていない様子だ。
「……今は殆ど人なんて住んじゃいねぇよ」
初老の男の表情は更に曇り、思い出したく無い記憶とでも言っていた。
「あんた、何の用があるんだ……見るからに、こんな田舎村の格好じゃねえが」
外套の隙間から覗く装いは、貴族とまでは行かなくとも、平民には到底見えないものだった。隣に座る軒轅も頭を隠して如何にも怪しく見えたのか、じろじろと鸚史を訝しんでいる。
「人を探している。その村に関連が有ると考えているんだが」
「行くのかい?」
「そのつもりだ」
男は途端に渋り出した。鸚史が怪しいと言うよりは、単純に気が進まないと言った様子だ。その様子が気になるのか、若い男が更に首を突っ込んでいた。
「なあなあ、何があったんだ?気になるだろうが」
「……世の中な、知らない方が良かったと思う事もあるんだよ」
重苦しい口調に、何かがあったのだと言っている。それも、口にするのも悍ましい程の何か。
「……道を教えてくれると助かる。それとない場所でも構わない」
「何しに行く。さっきも言ったが、殆ど人なんて住んじゃいない。皆どっか行っちまったよ」
「探し人が行く可能性がある。それだけだ」
鸚史の真剣な表情に落ち着いた声。男は、一口酒を飲み喉を潤すと、盛大な溜息を吐き項垂れながらも、再び口を開いていた。
「二十年ぐらい前だったか……あそこは獣人族が大勢殺されたんだ。それも、同族の男にだ。今、あそこに住んでるのは、行き場のねぇ奴だけさ」
そう呟く姿は、まるで、自分の身に起きた一件の様に酷く落ち込んでいた。
「地図持ってるか?」
「あぁ」
鸚史は言われるがまま、荷物から地図を取り出した。古ぼけているそれを広げると、詳細に記されたそれに、初老の男だけでなく、同じ卓に座っていた者たちが食い入る様に身を乗り出していた。
「……本当はこんなとこで広げねえ方が良い代物だな。あんた、相当な金持ちだろ」
鸚史が躊躇もなく見せるものだから、初老の男も助言のつもりで口にしているだろう。鸚史は見た目だけならば、初老の男に若造とでも言われそうだが、実際は初老の男よりも歳上だ。
「問題無い。護衛が優秀でな」
余裕の態度は初老の男にどう映ったかは分からないが、隣に座る軒轅を一瞥すると、男がそれ以上の警告をする事はなかった。
先ず、男が指差したのは山の麓から僅かばかりに離れているヒノ村だった。
「此処から、山中へ入る道はあるが、目的のムジ村からは外れている」
そう言って、また一口酒を口に含む。
「そんでだ。一直線に行けりゃ、中腹のこの辺りなんだが……」
男が指でなぞった先は、殆ど隣の緑省に程近い境目も同然の場所だった。徒歩ならば、ひとつ山を越え更にはもう一つ登らねばならない。
「その辺りか……」
「此処らは山深い。馬で一気に駆けるか、それこそ獣人族の足が必要だ」
男は、昔は交易もあったのだと言った。とは言っても、獣人族達が獣の革や、珍しい薬草、上等な干し肉を売りに来ては、帰りに酒や土産物、染めた糸や布等を買って帰っていったのだと言う。只人が獣人族の村に行く事は稀で、それなりの理由があっても、必ず山が鎮まる冬とだけだった。
それもあって、初老の男は、鸚史を止めているのだ。
「問題無い」
「問題無いって、妖魔はどうするんだ。どんだけ強者でも、妖魔相手に此処迄行こうと思ったらとんでもねぇ時間がかかるぞ」
慌てる男の心配を他所に、鸚史は不敵に笑うだけだった。
――
話を聞き終わると、二人は颯爽と店を出て行った。空になった席に何となく目が行った若い男と中年の男は消えかけた話題の足しにしていた。
「さっきの二人組、結局何だったんだ?」
「何だったんだろうな、あんな山奥で人探しってのも怪しいもんだ」
若い男は、酒をさらに追加しながら初老の男が手にした金子の袋を見た。礼にと酒代を置いて行った物だったが、受け取った本人には、別の重みを感じていた。
「気にする事はねぇ、二度と関わる事も無いだろうよ」
初老の男は、上等な酒を注文すると、それを一気に飲み干した。初老の男は、鸚史の隣に座る男の瞳が、ちらりと見えていた。
髪色こそ見えなかったが、鋭い金色の瞳。その金目を持つ者を護衛と言った男。
そこらの金持ちなんて目じゃ無い程の身分という事だけは、初老の男にも伝わっていた。
――
――
――
確かに此処だ。切り開かれ柵に囲まれたそこは、記憶とは少々異なってはいたが、確かに故郷と呼ぶべき場所だった。
柵が張り巡らされ、中から開けてもらわねば入れぬだろう。薙琳は、震える手を抑えながらも、その手で大きく門環を叩いていた。甲高くなる門環の音が、幾度となく鳴り響くも、門が開く気配は一向に無かった。
村を囲う柵は妖魔よけとして手入れがされており、薙琳は誰かしらは住んでいると考えていた。何度も、何度も、反応があるまで叩き続けた。そうして、暫くすると微かに草を踏む音が薙琳の耳に届いた。のっそりのっそりと歩くその音に、薙琳は耳を欹てる。
恐らく男。警戒しているというよりは、呆れているのか、はあと息吐く音まで聞こえてきた。
「あんた、こんな山奥に何の用だ。宿なんて無いし、泊めてやる場所も無い」
「知人に会いにきただけです。中へ入れては貰えないでしょうか」
「知人って誰だよ」
「……キナという女性に」
男から言葉は返ってこなかった。それ以上の交渉は不可能かと諦めかけ、どうしたものかと思案を始めた矢先、門がゆっくりと開いていた。
「早く入んな、秋とはいえ、妖魔が此処まで来ないとも限らんからな」
姿を見せた男は、逞しい身体つきだったが、身体中に古傷を負っていた。
薙琳は驚くこともなく、礼を言うと、遠慮なく中へと足を踏み入れた。その瞬間、目に映ったのは、変わり果てた村の姿だった。家々の数が激減し、建物は僅か四つと空しく衰退した村の姿。男は門を閉めると、呆然と村を見つめる薙琳の顔を覗き込んでいた。
「……とりあえず、俺の家に来るといい」
そう言って、男は扇動する様に前を歩くと、薙琳は言われるがまま、男の背後に続いていた。




