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祝炎の英雄  作者:
第四章 白き山と永遠の冬
50/233

十二

 丹省 イルド村


 燼とナギが森から出ると、最初に目に入ったのは、見事なまでの赤髪だった。雪景色の中、鎮守の森の前で、腕を組んで佇んでいる赤髪の男は、燼にとって、良き先達であり兄貴分とも言える。一体、何時間そこにいるのか、微かに頭や肩に雪が積もっているが、微動だにする事なく眉間に皺を寄せ、目を瞑っていた。

 一歩、二人が雲景の前に歩みでれば、雲景は目を開き、二人の姿にほっと息を吐いていた。が、それも束の間、またも目つきが険しく変わったかと思うと、ナギに呆れた目を向けていた。


「ナギ、ご両親が今にも森に飛び込む勢いだ。せめて一言、森に用事が出来たとでも言うべきだ」


 突然、雲景の口から説教が飛び出した。まさかの言葉に、一瞬ナギは固まるも、そう言えばと鎮守の森に飛び込んだ時の事を思い起こせば、確かに家を飛び出した記憶だけがあった。あの時は慌てていたのだと両親に言った所で、言い訳にもならない。

 

「あー……」


 ナギは森に選ばれたとはいえ、まだ十八と若い。両親に叱りを受ける事を想像しているのか、眉をへの字に曲げ、説教を回避する為の言い訳でも考え、思案している様だった。

 

「直ぐに帰った方が良い」

「……そうだね。あたしの役目は終わったしね」


 雲景の言葉で、少しばかり残念そうに呟いた。


「ナギ、協力に感謝する」

「あたしは森神様からのお役目で此処にいるだけだ、協力って程、何かをしたわけじゃないよ」


 ナギの何かを悟った顔に、雲景は堪らず胸が痛んだ。ナギの言葉は、神々の意向がそこにあり、自分が知り得ない事柄があったのだと告げられていた。

 神の意向を前に、龍など無力な存在でしかない。無情な空虚感に駆られるも、目の前にいる弟分が視界に入ると、無理矢理にでもそれを抑え込んだ。


「それと、これは主人から預かった謝礼だ」

「えっ」


 雲景は、懐から取り出した小さな袋をナギに手渡そうとするが、反応はいまいちで、受け取ろうとしない。


「村長にも渡してある。この村で金銭はあまり必要ないだろうが、次の冬越しの足しにでもすれば良い」

「こんな事しなくても、今回の件は誰も話さないよ」

「では、主人を助けてくれた礼と思ってくれれば良い。それとも、他に望みでもあるのか?」


 そう言われ、ナギは目線を空に向けた。腰に手を当て、うーんと唸っている。


「……えっと、何にもないかも」

「では、やはりこれを受けってくれ。俺が主人に叱られてしまう」


 雲景に強く押され、ナギは渋々と報酬を受け取った。この地には山賊すら来ない。取られる心配はないが、小さな小袋に詰まった金銭がずしりと重かった。

 

 「ナギ、色々、助かった」


 報酬をぶら下げ眉を顰めるナギに、燼はそっと呟いた。他意の無い言葉。ナギは、その言葉に俯き加減にボソリと返した。

 

「もう、此処には用は無い?」


 思いがけない言葉だった。目的は果たし、北の果てには、足を向ける用事も無い。何より、燼は主人と共に国中を飛び回っている。下手な約束も出来ず、言葉は詰まってしまった。


「俺は……」

「ごめんね、変な事言って……」


 ナギは無理に笑う姿を見せたが、少しばかり寂しげだ。


「燼、そろそろ行こう」

「はい。ナギ、じゃあな」

「うん」


 雲景が龍に転じれば、燼は背に乗り、あっという間に飛び立ってしまった。ナギは、赤い龍が見えなくなるまで、その場で見届けていたが、一度として燼が振り返る事は無い。それが、別れの言葉の代わりだと、告げていた。


「さようなら」


 ナギが小さく溢した言葉は、空の彼方に見えなくなった龍と共に消えて行った。


 ――

 ――

 ――


 丹省 キアン 紅砒城


 白く染まった城の一室で、燼は客人に振る舞われた肉の入った(あつもの)を雲景と共に口にしていた。神域にいる間は食事を一切必要としなかった為、森を出た瞬間から空腹が燼を襲っていた。それは、何時間もの間、森の外で燼を待っていた雲景も同じだろう。身体は温まるが、目の前に座った男がいつもと違う。黙々と羹を口に放り込むばかりで、何も話さないのだ。

 お喋りな人物と言う訳でも無いが、燼が雲景と共にいて気まずさを感じたことはなかった。お人好しと言うよりは、主人に似て穏和。主人も似た様なところがあるが、若干に自由な面が目立つ為、振り回されている節もある。

 だから、今もこうして主人も不在の中、二人で紅砒城で過ごしているわけだが……。いつもなら、何かと気を遣って話を始めるのは雲景だ。それが、完全に黙りを決め込んで、無言の圧力とでも言えば良いのか、雲景が何も聞かない、何も話さない様が、妙に息苦しかった。


「(勝手に話せる事じゃないとは言え……気不味い)」


 耐えられない。燼もお喋りは得意では無いが、見知った顔との沈黙が何かを試されている様で辛い。うっかり口が滑りそうで、思わず口が開きそうだった。

 羹も無くなり、それこそ沈黙に飲み込まれそうになった頃、火鉢の中の炭が爆ぜる音が部屋に響いた。それが合図となったのか、雲景が静かに話し始めた。


「燼、お前が何者か、何の為に白仙山に向かったか。私が何一つとして、問いただす事は無いし、誰にも言わない。祝融様にも、箝口を命じられている」


 目線は合わせず、燼を視界の端に追いやり、心身からも追い出そうとしている様。祝融の命だから、割り切っている。何も映さない瞳が、そう告げていた。

 

「だが、本心を言えば、俺はお前と祝融様をどう信頼すれば良いか分からない」


 決別にも思える瞳は、暗く沈んでいる。従者として、主人を支え続ける雲景にとって、信頼は最も重要だった。幼い頃に仕える主人を決められ、最初から敷かれた人生を今も歩み続けている。その道を間違っていると一瞬でも考える事があれば、人生は苦痛だ。同族の中に、その苦痛を味わいながら生きている者もいる。それに引き換え、雲景は朱家として、良き主人に仕える事が出来ていると自負していた。

 天命が降った方にお仕え出来る。延いては、温厚篤実、志操堅固と皇族である事を歯牙にも掛けない。

 そんな人徳有る人物に仕える事は、雲景にとって誇りでもあった。

 だが、そんな人物が、同じく信頼していた筈の後進と何かを企んでいる。しかも、それは神の意向が関わっているというのに、主人は実の弟にすら今回の件を知らせていない。確実に何かがある。


「私は、命じられたならば飲み込むまでだ。協力しよう。しかし、無条件で信頼出来る程、愚直には成れない」


 雲景の吐き出した言葉の重みが、燼に何倍もの重みとなってのしかかった。ただ、神子だと告げるにしても、一度隠し事をしたのなら、全てを離さない限り信頼は取り戻せない。

 燼にとって、彩華が全てだった。それは、昔も今も、変わりはない。ただ、大事なものは時と共に増えていく。今いるこの立場も、信頼を寄せてくれる者達も、失いたくは無いものの一つだった。


「雲景様、俺っ……!」


 苦しい。昔の様に、忌み嫌われ続ける立場だったら、決して味わう事の無かった感情が、燼を追い詰めていた。


「覚悟は有るのだろう。ならば、突き進めば良い」


 突き放すその一言は、燼の開きかけた口を閉ざすには十分だった。今になって、雲景の瞳に燼が映っている。心などそこには無いと、冷めた目が燼を捉えていた。

 こう言った時、どうすれば良いのだろうか。教本に書かれていない事は誰から学べば良いのか。

 焦燥感が募る中、何の言葉も口に出来ないまま俯いていると、雲景の気配は遠ざかり、扉の向こうに消えていった。

 覚悟が足らなかった。子供の頃の様に、彩華だけが世界では無くなっているのに、何一つとして変わっていない。

 甘えていた。雲景は、何かと気を遣って彩華にも燼にも同僚だけでない優しさを見せていた。突き放されて初めて、それが当たり前で無いと知ってしまった。


「ははっ……」


 渇いた笑いと共に、心臓を締め付けられる様な錯覚に、燼は堪らず胸を抑えた。


「(こんなにも、苦しいのか)」


 子供の頃とは違い、最初から忌み嫌われていたわけじゃ無い。自分で、その道を選んでしまったのだ。

 墨省を旅立って、十二年。燼の全てが、彩華ただ一人では無くなっていた。


「最低だ……」


 卓に突っ伏しては、自分の愚かさを戒めでもするかの如く、何度となく額を卓に打ちつけている。そして、それが両の手の指で足らない程の数を繰り返した時だった。 


―夢だ


 燼の脳裏に、その言葉が浮かび、顔を上げると雲景が座っていた椅子に、()()()が座っていた。相変わらず艶やかな衣を見に纏うが、以前とは違い、不機嫌そうな顔を見せては、燼を睨みつけている。


「つまらん事をしてくれた様だ。白神に何を唆された」


 突如現れたかと思えば、不機嫌な理由は白仙山に赴いた事だったのだろう。燼には何一つ実感が無かったが、男には全て見通せているかの様だった。


「白神は、俺を想って白仙山に導いただけだ」

「違うな、使命を果たす為に力ある者を失いたく無かっただけだ」


 男は、燼を通して、その瞳に声に憎しみを込めているかの様だった。

 

「神なんぞ、信用するものじゃあない」

「じゃあ、あんたの言葉も信用ならないんじゃないのか?」


 男と相見えるのは、これで三度目だ。燼は、男に端的に言葉を返していたが、内心、男が何か企んでいるとしか思えず身構えていた。目覚める方法は、会得している。だが、逃げた所で、男に夢に引き摺り込まれたなら意味はない。

 

「意外に、冷静だな」

「何故俺に構う」

「……お前は貴重な神の落とし子だ。お前を導いた黒龍と同じで、心配なだけだ」


 嫌な言い回しだった。


「お前を育てた龍……名を、何と言ったか」


 ドクンと、心臓が脈打った。燼の顔はみるみると青ざめていく。男は、そんな燼の様を見て、くつくつと喉を鳴らして笑っていた。


「どうした、私が()()するとでも思ったのか?」


 燼は、脳裏に数年前の夫婦の一件が浮かんでいた。まだ、燼の憶測でしかない事件だが、燼は全てこの男の所業であるという考えが抜けずにいる。

 

「燼、俺も哀れな龍は増やしたくは無い。だから、余計な事をせず、受け入れろ」


 鋭い目を向け、男は消えていった。

 何かが、動き始め、それは全てが暗転している。白仙山に赴いた事は間違いだったのだろうか。より、あの男を怒らせ、脅しの様な口振りまで見せる始末。


―揺らぎない精神を持ちなさい


 あの時、神子が言った言葉が、今になって重くのし掛かっていた。

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