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祝炎の英雄  作者:
第四章 白き山と永遠の冬
49/233

十一

 白仙山 山頂の一端


 雲の上に浮かんでいる気分だった。

 澄み渡る青空に、どこまでも続いている雲はまるで海の様。時々覗く、山々の頂きは、さながら海に浮かぶ舟だろうか。

 燼は、朝日に照らされ光り輝く景色を、その内の一艘に、久方ぶりに戻った人の姿で腰掛けては眺めていた。


「今まで、誰か見た事あるのだろうか……」


 膨大な景色に、ぽつんと一人世界に取り残された気分だ。山の頂に辿り着けば、何かが変わると、燼は考えていた。自分は導かれ、たどり着いたその先は、目的である龍がいる。そして、二つ目の使命を消し去ってくれるのだと、信じていた。だが、実際は、山の頂は終わりでは無く、雲の向こうに見える山々が、無限にも思える道なき道を示している。

 果てしないとすら感じるその先を目指す事も出来るが、その一歩を踏み出せば、真の目的すら忘れてしまいそうな程だった。


「なあ、俺、何処まで行けば良い?」


 何処に問いかけるでもなく、果てに向かって呟いた。()()に居る存在は、一つだけ。それが答えてくれるかどうかは、賭けだった。答えがなければ、燼は来た道を戻る事すら念頭に置いていたのだ。

 そして、()()は起こった。静かに靡く風が静寂の中の唯一の音だったが、ふと、それが止まる。

 違和感、気配、静寂の中、何者の気配も無かった世界に、一つの存在が現れた。


―良き眺めであろう


 聞き覚えがある様で無い声が、燼の背後でそっと呟いた。燼が静かに振り返ると、眩いばかりの白銀色の鱗が、そこにいた。見た事のある白龍族の様で、また違う色。雪の中でも、はっきりとした存在感を放つそれから目を逸らすと、燼は再び景色に視線を戻した。


「……此処、あんた以外で俺が初めて見たのか?」


 背を向けたままで話しかけると、意外にも龍は静かに答えた。

 

―一人いる


 返事に燼は驚いたが、此処数日の中の久しい会話に興じていた。


「そいつ、俺と同じか?」


 ()()の意味は、ただ一つだった。そいつは、神の子か?


―違う、特別な力が、その身にある者だ


 曖昧だ。神に属する者共通の独特な話し方だが、何となくは燼にも理解できていた。

 特別な力は異能だろう。ならば、祝福を受けた不死でも、白仙山に登れた者がいたと言うことだ。


「それ、どんな力なんだ?」


無死(むし)


 聞き覚えのない言葉だったが、燼は何かに引っ掛かったのか、それを小さく呟き繰り返す。そして、同じ言葉が何度か口から出たと同時に、燼は以前本腰を入れて勉強させられた経典の一節が蘇っていた。経典は信仰の教えと、英雄譚が綴られている。


「何だったか……夜が生み出した異形と戦った男の話……確か、無死と言われる力を授けられた……だったか」


 切れの悪い記憶を辿り、独り言のように呟くと、思い出せない詳細を龍の口が語っていた。

 

―強靭なる肉体と無死、英明なる知性と、正義心を兼ね備え、正しく英雄に成らんが為に生まれた男だ。幾度となく死を繰り返しながらも、男は異形を殺した


 燼は、饒舌に語る神と思しき存在に目を向けた。経典の内容にしてもそうだが、こちらの問いに対して、躊躇いもなく答えてくれる。まるで、()()()の様に。


「だから、白仙山を登れたのか」

―お前とは違い、苦痛を伴うがな


 燼は、へえ、と小さく納得した言葉を呟くも、僅かな不満が生まれ、また景色に目を戻した。

 まるで、苦痛も寒さもなく此処までこれたのは、人では無いから。そんな意味が含まれている気がしてならなかった。何より、燼は鎮守の森から此処まで、大した休息もなく歩き続けて来た。まるで、夢でも彷徨うかのように、不思議と疲れも眠気も無い。今も、景色に見惚れたから此処に座っているだけだ。


「なあ、何でも答えてくれるのか?」

―答えられる事だけだ

「そうか……」


 他愛もない会話を、いつまでも続ける必要は無い。そろそろ、本命の口火を切る必要がある。燼は、立ち上がり、背後で静かに佇む龍と向き合った。まじまじと見るその姿は、荘厳なる景色に見劣りしない程に美しくも、気高さを見せている。


「それで、他の白神の話によると、あんたは俺を治せる……のか?」

―種は身体と魂に溶け込み、完全に取り除く事は出来ない。だが、お前自身が取り込んでしまったものは取り除ける

「では、それで良い」


 躊躇いなく答える燼に、龍は目を伏せた。


―お前を現に送り出すべきでは無かった


 淡々と語るが、後悔している口振りだった。神ならざる姿には、どこか儚さも見える。だが、燼にとってはどうでも良い事だった。


「では、俺を殺すか?」


 死を恐れない男は、とても神を相手取っているとは思えない程に、目も口調も鋭い。今この場で殺してくれても構わないとでも言っている様だった。

 

―死者に『生』を与えられない様に、生者に『死』は与えられない

「そうか……」


 力無く、小さく溢れた言葉と共に、燼は顔を下に向けた。


―燼、死を願ってはいけない。()()に付け入る隙を与えるだけだ


 励ましか、龍は言葉と共に燼に近づいた。更には、その体は龍人族が転じる様に縮んでいき、人の近い姿になっていた。

 肌は、鱗のまま白く白銀で、長く靡く髪も同色だ。更には白い衣の所為で、いよいよ白い景色の中に溶け込みそうだったが、金色の瞳だけが力強く、燼を捉えていた。男とも女とも取れる姿だが、どことなく彩華に似ている様にも見える。その姿に、燼は思わず目を逸らすも、両の手で、燼の頬を包み込んでは正面を向かされ、嫌でもその姿を見つめるしか無かった。


―我等が子、また会おう


 その瞬間、燼の意識は暗闇に落ちていった


 ――

 ――

 ――


 丹省 イルド村


 ナギの日課は、鎮守の森の様子を伺う事だった。本来は、冬場というのは暇なのだが、客人が来てからというもの、影響を考えて念入りに見回っている。それに付け加え、心配性な龍人族の男が毎日省都から様子を訪ねに訪れるものだから、気が抜けない。新年を迎えた当日にすら男は来て、話を聞くと帰って行く。格好は役人に近いが、暇なのかと問い質しそうになる程だ。

 龍とはいえ、転じていなければ寒さは人と変わらないらしいが、忍耐なのか、より寒いイルドまで毎日通っているのだから、ある意味では感心もできた。

 そして、新年から三日が経った日、ナギは森に呼ばれた。声が聞こえたというよりは、直感に近い。行かなければ。そう考えた瞬間に、いつも森に持っていく荷物を手に家を飛び出し姿は梟へと転じる。言葉も無く家から出たナギに驚き慌てる両親を無視しては、一目散に森に入っていった。

 何故呼ばれたか、何処に向かうか、ナギは全てを理解していた。森の奥深く、深く飛んでいく。そして、一日飛び続け、たどり着いた先、目標のそれを見つけると、ナギは人に戻った。

 僅か先には、白仙山への道がある。その手前で、男は木に凭れる形で、静かに眠っていた。


「燼さん!」


 死人ではない姿に安心し、頬をぺちぺちと軽く叩くと、燼は薄らと目を開けた。暫くぼんやりとして、ナギが誰かも分からない様子だったが、次第に意識がはっきりしたのか、小さくぼそぼそと「戻ったのか」と呟いた。


「燼さん、大丈夫かい?」

「……あぁ、何とか」

「立てる?燼さんも結構大きいから、私一人じゃ担げないよ」

「はは、女の子に担がれたら、笑われちまう。もう少し休ませてくれたら、一人で歩けるさ」


 からからと笑う姿に、燼が正常と判断したのか、ナギも又、休息の為に座り込んだ。

 

「あの赤い龍の兄さん、毎日来てたよ。無茶をするから心配だって」

「雲景様らしいな」


 燼が白仙山に滞在した期間は、十日を超えていた。久しく、まともに人と面していなければ、会話もない。白神とは一応あったが、あれは夢心地で今ひとつ真っ当な会話の数には入らなかった。だからか、雲景が心配していたという言葉は、燼に安心感を与えていた。

 ほっとする様子の燼の顔を覗き込み、ナギはうずうずと気になっていた事が口から飛び出していた。

 

「……白仙山は、どんな所だった?」


 お役目で、鎮守の森の番をするナギでも、神域の境目は越えられない。行けば、苦痛と共に死を迎えるだけだ。

 あの先は、どうなっているのだろう。役目を負った時から考えていた事を、その目で見た者がいれば、口は自ずと自然に動くというものだ。燼が次に口にする言葉を期待しているのか、その目は期待に満ちている。

 燼は、どう言えば良いか、しばし考えたが、一番に浮かんだのは雲の海だった。何処までも、何処までも続く白い雲と青空、彩光を齎す朝日の姿。

 

「俺の知ってる言葉だけだと、安っぽく聞こえるかもしれないけど……素晴らしかった。きっと、あれ以上の景色を見る事は無いと思う」

「どんな景色だったか教えてよ!」


 曖昧な表現に腹を立てたのか、ナギはむくれた顔で口を尖らせている。

 

「一面雪景色さ。ほとんど吹雪で、何も見えやしない。でも、最後に見た雲の海は何よりも美しかった」


 頭に焼き付けた景色を思い出しならが、燼は静かに語った。羨むナギに自慢するというよりは、恍惚とその姿を思い出しては、再び目にする日を求めている。まるで、その景色に囚われてしまったかの様に――。


「……燼さん?」


 ナギが心配そうに目を向けると、燼は少しばかりはっとした顔を見せたかと思うと、屈託のない青年の姿に戻っていた。


「悪い、俺は説明が下手なんだ。ナギは、まだ休憩が必要か?」 

「ううん、行けるけど……」

「じゃあ、行こう。仕事を失う前に、主人の所に戻らないと」


 そう言って、燼は立ち上がり、伸びをして見せた。冗談混じりの言葉に、先ほど一瞬神が住む世界に囚われていた様な姿は見えない。ナギは安堵しながらも、冗談を返す気になれず、思っていた本心をそのまま口にしてしまった。

 

「白仙山に行けるような人を手放すな奴はいないよ」


 そこに行けるのは、人では無い。そう告げた言葉を、燼は受け止めるしか無かった。

 

「……なあ、ナギ。俺が白仙山に行ってた事は……」

「この村で、外の人にお喋りになる奴はいないよ。特に、神様絡みはね……この世で一番怒らせちゃいけない存在が何かわかってるんだ」


 はっきりと、燼が何者か追及する事は無い。だが、招かれ、無事に生きて戻ってきた。そして、何故獣人族に恐れられるか。その全ての事実は、ナギに答えに近いものを生み出していた。

 二人はそのまま歩き出した。冬が消え失せた世界の中、ゆっくりと森の春を味わいながら。

 

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