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祝炎の英雄  作者:
第四章 白き山と永遠の冬
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 低い熊の声が唸る。地響きを立てながら走る姿は、獣そのものだ。それでも、森の中を縦横無尽に飛び回る梟に、燼は到底追いつけない。森の中は、いくら歓迎されていようと、神域である事は変わりなかった。鼻は効かず、頼りは僅かな音と主人の気配を探るしか無い。気を張り巡らし、全方位に集中するしかなかった。

 

「いた!あそこだ!」


 ナギの声に、燼も、祝融の気配に気付いた。それはか細く、今にも消えそうな蝋燭の様に弱々しく、とても同一人物とは思えない程。

 やっと見つけた主人の姿は、憔悴しきった姿だった。手に宿った炎だけが、彼が生きている事の証明の様に燃え続けている。燼は、一度人の姿に戻ると、まさかと思考が過り、そっと首に触れようとした……が、その腕は主人によって掴まれ、顔は俯いたまま、覇気のない声が燼の耳にも届いた。


「……燼か?」


 主人の弱った姿に、どう向き合えば良いのか。だが、今は動揺している場合ではない。

 

「そうです、見つけるのが遅くなりました。森を出ましょう」


 自力では立ち上がる事も出来ないのか、燼にされるがままに引っ張り上げられる。燼は再び熊の姿になると、背に祝融を乗せ、走り出した。


 ――

 ――

 ――


『兄上、業魔を討ち取りました!』


 皇宮では、いつも大人びた顔を見せる子供は、両親や兄達の前では年相応の表情を見せていた。子供らしく、満面の笑みを見せては、手柄を立てたのだと嬉しそうに兄達に報告をしたのだ。「良くやった、見事だ」心の片隅で、そう褒めてもらえると、喜んで貰えるのだと信じていた。が、兄達の顔色は、優れない。それどころか、まるで子供の顔すら見ようともせず、敵意だけが、そこに残っていた。

 子供には理由が判らなかった。これからは道托や阿孫の様に、立派に武官として務める事も出来るのだと考えていたのだ。にも関わらず、兄達との親交はそれきりで途絶え、家族として接する事は、一度として無かった。

 自分は何をしたのだろうか、何がいけなかったのだろうか。一族に問いただしても、皆、兄達と同じ冷たい目を向ける。唯一何も変わらなかった父と母は、濁すばかりで答えない。

 それから、全てが変わってしまった――


 ――


 薄らと開いた瞼の先は、見慣れぬ天井だった。天蓋付きの寝台と、豪奢な飾り。赤を基調とした調度品は、見慣れぬ部屋が何処かを教えてくれる。


「……紅砒城か」


 気怠い体を無理矢理に起こすと、頭の中で鐘でも撞いているのかと思える程に、ガンガンと痛みが走った。思わず立ち上がろうと体を支えていた手の力は抜け、再び寝台に倒れ込んでいた。

 祝融は、まともに怪我を負った事がない。とくに身体に不調を感じたことが無く、ましてや不死の為、病にも罹らないのだ。経験の無い事ばかりが身体中を襲い、これが雲景の言う神を冒涜した罰なのかもしれないと妙に納得しては、茫然と天を見上げていた。

 何も出来ないと言うのは、どうにも、もどかしい。記憶を辿ろうにも、じわじわとした頭の痛みが嫌がらせの様に主張をしては、思考の邪魔をしようと出しゃばってくる。


「……確か、燼が迎えに来た……気がする」


 態とらしく声に出しては、自分が正常かを確認した。以前、燼は夢と現実の境目が曖昧になると言っていた。それを思うと、未だ森の奥で幻覚の続きを見ている……そんな気がしてならなかった。


 それから、そう時間も経たないうちに、部屋の扉が開かれた。部屋に入ってきた赤髪の男は陰鬱そうな顔を見せるも、主人が目を覚ましているのを見ると、その顔は瞬く間に今にも嫌味を言いたげな顔へと変貌していた。そして、動けぬ主人が横たわる寝台横の椅子に腰掛け、大きく溜息を吐いたかと思えば、男の口から出た最初の言葉は、矢張り嫌味だった。


「祝融様に優秀な従者が居て良かったと言うべきでしょう。でなければ、森で果てていた」


 怒りなど通り越して、呆れを見せている。永く共に主従関係として過ごしてきたが、此処まで呆れた顔も中々に拝めない。

 行けばどうなるかなど、最初からわかっていただろうと、呆れた顔が告げてくる。じとっと雨季の曇り空の如く顔を曇らせ、じめじめと陰湿とも思える小言が雲景の口から次々と飛び出しては、祝融は甘んじて受け入れるしか無かった。

 

「これからは少しは、自重して頂けますか?」 

「……あぁ、暫くはな」


 反省の色が見えない言葉に、雲景は釘を刺した。

 

「次、同じ様な事があれば、槐様に報告させて頂きます」


 自死とすら取れる行動だ。この事を知った槐の怒りは計り知れないだろう。夫が危険な仕事を請け負っているのは知っているが、これとそれとでは話が違う。むざむざ神域に赴いて、死もあり得た場所へと、自ら足を踏み入れたのだ。


「……安心しろ、特にやる理由もない」


 まともに動かぬ身体で、大した反論も見せない。と、同時に雲景の目には反省の色も、見えては来なかった。神域に入った影響で、体がまともに動かないのは理解できるが、茫然自失の様相は、魂でも抜けてしまった様だ。


「何が目的だったのですか?」


 その言葉で、祝融の目が雲景を一瞥した。ゆっくりと動いた眼球に、いつもの穏やかな主人は、何処にもいない。

 友人に近い主従関係であろうと、線引きは必要だ。その目は、踏み込むなと言っている様で、雲景は、もう一つ問い正したかった言葉も、僅かな失意と共に飲み込んでしまった。

  

―燼は、何者なのですか?


 雲景は、何も知らされず、丹へ来た。

 祝融に命じられた事は、丹に用事が出来たとだけだった。いざ蓋を開けてみれば用があるのは燼の方で、向かう先は白仙山だと言う。燼が特殊なのは、知っていた。だが、それだけだ。使命が有り、神に祝福された者達と拮抗する力を持つ男。そんな彼が、白仙山に用があると言うのに、主人は事を内密に進めようとしている。余りにも不可解な上に強引だ。


「雲景、俺に不満を抱くのは良い。が、燼は、協力してやってくれ」

「何も聞かず、口にもせず……ですか」

「ああ、そうだ。頼む」


 狡い主人だと思った。命令でなく、頼むと言う。それは、()()としての言葉だ。雲景は、姿勢良く膝の上に置かれた拳を握り締め、一言「承知しました」と、応えるだけだった。


――

――

――


 森の中を漂う甘い香りは、春と言うより異界だ。

 神の領域ならば、それに近いものはあるだろう幻夢よりも余程、夢現を思わせる。

 祝融を丹省都キアンにある紅砒城へ送り届けた後、燼は再び鎮守の森に舞い戻り、当初の目的である白仙山を目指していた。

 祝融の事は気に掛かったが、紅砒城の侍医が言うには、その内目覚めるとの事だ。心配した所で、燼に出来る事は無い。今は、白神の言葉通り、道を進むだけだった。

 ナギは軽快に進んだ。燼が森で異常を見せないと前もって知った事も有るのだろうが、他所見をするどころか、只管に白仙山を目指していた。お互い知り合いでも無ければ、大した会話も無い。森は静かで、二人の足音と呼吸だけが、響いていた。

 流石のナギも、白仙山がどの辺りかは判っても、麓までは行った事が無い。だから、指標は寒さなのだと言う。神域の境界がある。

 鎮守の森と、白仙山。冬と春の境界が、唯一それとわかるものなのだ。だが問題は一つ。白仙山に登った事がある者は、いないと云われていることだ。記録に残ってないだけかもしれないが、結局は誰も知らないも同義だ。

 神に招かれているとは言え、果たして安全かどうかなど、誰も知る由も無いのだ。


 そして、休息を取りながら歩く事丸一日が経った頃、指標としていた冬が目の前に現れた。

 肌寒い冷気が、春に入り込んでいる。くっきりと分かれているわけでも無いが、目で見えるそこに、白い景色がちらほらと見え始めていた。近づく程に寒さは増し、とても軽装でなどいられない。

 そして、視界一面が白色で染まった頃、ゆっくりと燼の隣を歩いていたナギの足が止まった。


「あたしは此処までだ」


 ナギにそれ以上先に進む資格は無い。燼も足を止め、荷物から外套を取り出して羽織っていた。


「助かった。帰りは、多分一人で帰れると思う」


 楽観的だが、許された者が迷う事は無い。燼は、明るく笑って見せては、これから死地と言われている場所へと向かうとは到底思わせない様にしていた。それに応える様に、ナギも又、顔を和ませる。

 

「迷子になってたら、助けてあげるよ」

「ああ、その時は頼む」


 そう言って、燼は、冬の世界へと足を踏み入れて行った。

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