番外編 暗躍する策士 弍
風家長子の無期限の謹慎処分が決まった。本家長子であっただけに、皇宮ではその話で持ちきりだ。謹慎では無く、幽閉との噂も出回る程に。同時に風鸚史は後継候補では無く、正式な後継と表明されるも、業魔討伐以外での実績が不十分であると囁かれている。
しかも、それの出どころは、一部風家の者達と皇宮には風家への不審は募るばかり。全ての者を処罰すれば、混乱は皇宮にまで及ぶ。風家当主は、これ以上の醜態を晒す訳にもいかず、現状を受け入れるしかなかった。
「風家を貶めて、得をするのって……」
「姜家以外にも大勢いるな。なんと言っても、左丞相の席が空く」
忙しくなった鸚史の代わりに、皇都へと戻ってきた祝融が全ての顛末を燼に説明していた。
広い応接間の中、人払いされたそこに、燼はいた。
本当は別件で皇宮にある祝融の宮を訪れたのだが、どうにも暫く鸚史は皇都から出る事も許されなくなったのだと、祝融から伝える必要もあったのだろう。
「風家は、少し前から左丞相の考えに反発する者が出てきたらしい。その代表が、鸚史の兄だった訳だ」
現状、祝融を支持している左丞相だが、風家全てが同じ考えとはいかない。祝融を支持したところで、業魔討伐の手柄は立てても、政への影響は皆無と考え利益が無いという者もいれば、左丞相の先見の明を信じ、無条件で同様に支持する者もいる。そして、それは風家当主の二人の子息を隔てる理由にもなっていた。
左丞相が祝融を支持し、鸚史を遣わす事で、鸚史に将来性を見出す者と、皇宮でそれなりに名を上げている長子、鴨撰を推す者。元より、当主の意向に反発していた者達は鴨撰を推すわけだが、祝融、静瑛、鸚史の三名が業魔討伐で名を上げ、手柄を立てる度に焦りが見え始めた。そして、此度、祝融の従者である燼の活躍までもが皇宮に広まり、事が起こったというわけだった。
「だからって、強引過ぎませんか?それに、業魔を相手取っている鸚史様への刺客としては……その」
「素人では無かったのだろう?業魔と戦う恐ろしさも知らんと、その程度の認識と言う事だ」
高位の貴族とは思えない浅はかさ。風家ならば知略を巡らし、用意周到に事を運ぶのではと想像してしまう。
古く、長く続くという事は、それだけ力があるのだと、燼は考えていた。言葉だったり、金だったり、権力だったり。中には血がものを言う場合もあるが、それだけでは廃れていく。様々な形がある中、風家は知が武器だと聞いていた。左丞相を長く務めるには、家柄と血筋だけでは、足りない。
「何というか、運が良ければ……とでも思っていそうですね」
「ま、粗末な作戦だな。それを全て、父親と弟に読まれていたのだから、余計にそう思えるのだろう」
鸚史は、先を読み、全て悟っていた。だからこそ、上機嫌に笑っていたのだ。そして、相手があまりにも思い通りに動くものだから、落胆も見せていた。
「俺は、鸚史様の兄君を良く知らないのですが……」
「風鷹賢の子、風鴨撰。役職は大司農。金勘定は得意だったらしいが、軍事関係には、あまり目を向けていなかったみたいだな」
決して、知能が無いわけではない。だが、考えは足りなかった。
「隙を見せれば喰いつくのは目に見えていた。そこに都合良く、お前が帰ってきたものだから、丁度良いと歓楽街へと赴いたと言うわけだ」
「丁度良いとは」
「俺達は、わざと薙琳を連れて皇都を出た。お前達が戻って来るのも分かっていたしな。それとなく事前に、お前が手傷を負っていたとは、情報を流している」
巻き込まれたのでは無く、完全に利用されていた。あの後、上等な酒を奢ってくれたのには、そういった理由も含まれていたのだろう。
「好機と勘違いした……と」
「そう言う事だ」
「……でも、左丞相は退任していませんよね」
「右丞相が庇った。あとは、六仙の西王母と道徳天尊もだ。子息に不祥事があった事は確かだが、彼以外に適任者もいないとな。後は、当主が自力でお家騒動を収束させるしかない」
祝融は椅子に凭れ、天を見上げた。それまで、真剣な顔で全てを語っていたかと思えば、今の顔には憂鬱が映され、盛大な溜息が漏れている。
「暫く、鸚史の手は借りれん上に、それがいつまで続くかも分からん。そして、お前の話は……嫌な予感がしてならない」
「多分、当たっています」
祝融は更に一息吐くと、今度は前をのめりに、鋭く燼を捕らえた。
「それで、どうだった?」
低く響いた声は、それまでと違い、何かに敵意を向けている。
以前なら、それで臆しただろう。燼は冷静だった。祝融が恐ろしく無いと言えば嘘になる。だが、覚悟を決めた今、動じる事は無かった。
「俺には、使命が二つあるそうです」
―天命を受けし者と共に戦う事
―天命を受けし者を殺す事
相反する使命が、自分の中にある事を、燼は余す事無く伝えた。冷静な燼を前に、祝融の表情は変わらない。だが、じわじわと漏れ出す怒りだけが、燼に届いていた。
「神子は何と?」
「揺らぎない精神を持て、と」
不安も迷いも捨てた今、燼は一度として、目を逸らさなかった。決意は、祝融の目にも映っている。
「燼、何故俺に話した」
「貴方が、より俺を殺し易い様に。俺は、自分で死を選択出来ません。もしの場合は、貴方でなくてはならない、そんな気がするからです」
顔色一つ変えず、淡々と語り続けた燼の姿は、僅か二十過ぎただけの男には見えなかった。自分の死を語るにしても、落ち着き払っては、全てを当たり前と受け止め、自らの命すら捨てている。祝融の怒りは限界に達しそうだった。
「お前は、生きていたくないのか?」
先程よりも、地の底から響くような声。
「俺は……俺みたいな化け物が生きるより、彩華に生きていて欲しい」
「今、俺にお前を殺せと!?」
怒りに満ちた顔色と共に、怒声が部屋中に響いた。勢いのまま、祝融は立ち上がり、燼の首に手を当てた。
「このまま、俺に燃やされても何も感じないと言うのか?」
「彩華に俺の使命を言わないので頂けるのなら、構いません。彩華の中でだけは、人でいたい」
燼にとって、彩華は神も同然の絶対の存在だ。それ以外がどうでも良い訳では無い。ただ、絶対に手放せない存在は、ただ一人。それは、燼にとって、命よりも価値があるものだった。
「それさえ叶うのなら、俺は祝融様の決断に従います」
首に当てられた手に、力が篭る事は無い。祝融は俯き、表情を見せないままだが、声は静かなものだった。
「力を制御し、利用しろ。そう言った事を覚えているか」
「覚えています。あの時の事を忘れる事など、ありません」
祝融は手を離し、椅子に座った。俯き額に手を当てながらも、その瞳は燼を、しっかりと見据えている。
静瑛は祝融に甘い部分があると見抜いていた。自身に尽くしてくれる麾下なら尚の事だろうと予測しての事だった。静瑛にも、情がない訳では無い。ただ、静瑛には、静瑛の天秤がある。その上に燼を乗せた時、致し方ないと割り切れるのも事実だった。
だが、実際、静瑛は首を斬らなければならない状況で手を止めてしまった。迷いが生まれた。それは、共に過ごした時間か、人の情か、信頼か。
得も言われぬ感情に囚われ、足枷となった。
だから、燼は殺意を全て自分に向けさせる必要があると考えた。情など掻き消すほどの殺意を――
「お前を今すぐには、殺さない。あの時と、何も変わっていない」
「祝融様、それではっ!」
殺される事も厭わない決意と共に、祝融の元へと来た。これでは、今までと同じく綱渡りでしかない。彩華を、主を、危険に晒すだけでしかない決断に、今度は燼が慌てていた。
「燼、神の使命など忘れてしまえ」
とても、姜一族の言葉とは思えない発言だった。驚きで、目を丸くする燼に、祝融は続けた。
「その肉体も、魂も、与えられた力も全てお前のものだ。奴らに、くれてやる必要など無い」
それは、燼に言っている様で、自分に言い聞かせている様にも見える。その口調には、憎しみすら篭っていた。
「祝融様、貴方は……」
「あれらは勝手だ。こちらの意志など関係無く、その思惑を隠したまま、役割だけを置いていく」
―これは、誰だ
思わず過った思考に、燼の鼓動が脈打った。
支配階級を思わせない姿で、温厚誠実。時に威厳は見せるが、その使い所もよく知っている。それが、燼の知る祝融の姿だ。憎しみや浅はかな考えで行動する者とも違う。今の姿はまるで――
「お前にとっての絶対は、彩華なのだろう?」
信仰心は無くとも、神の偉大さは知っている。それは、この国の誰もが知る事であり、信仰を持たない燼ですら、この国の中で最上位の存在であると、無意識に感じ取っていた。
だから、使命を告げられた瞬間に、偉大なる存在から与えられし、力であると言われているも同然だ。だから、それは絶対従うべきと、燼は思い込んでいたのだ。
「燼、抗え。例え、その力を与えたのが、神だろうと」
――
――
――
燼が帰った後祝融は応接間で一人、茫然としていた。無為な時間とも思える程に、日が落ちていく様だけを、只々、眺めている。
あまりにも長く一人で篭っているものだから、槐は心配になって、そっと応接間の扉を開けた。窓を眺めては、時が止まっているかの様に動かぬ夫の姿は、今にも夕焼け色の中にき消えてしまいそう。
槐が近寄り、漸く祝融の目が槐を捉えていた。
「……先程、声を荒げていた様子でしたが、燼と何かありましたか?」
珍しく、宮の中に祝融らしき声が轟いた。何を言っているか迄は分からずとも、只ならぬ雰囲気が漂ってはいたが、人払いされている手前、近づく事も叶わなかった。
「あぁ、すまなかった。大した事では無いんだ」
祝融が怒りを露わにする姿など、槐は見たことも無かった。そんな男が、声を荒げるなど、何かあったと直ぐに分かる。だが、適当にはぐらかす夫の姿に、槐は頷くだけだった。
祝融の隣の長椅子に座り、祝融の手を取るも、その行為に意味は無く、ただ、寂しげな夫の姿を、繋ぎ止めておきたいと思い立った。
先日、槐の実兄二人による争いがあったばかりだ。これ以上の問題は起こらないだろうと思っていた矢先だったのもある。
槐にできる事は無い。只、夫が天命という重責に潰されぬ様に、傍で寄り添うだけだ。
憂いを帯びた槐の表情を見るも、祝融が何かを口にする事はなく、その手を優しく撫でるだけだった。
何も語らないのでは無く、何も語れない。
ただじっと、時が過ぎ去るばかり。
夕暮れの灯りが消え去ると、薄暗い中、応接間の外から女官の声が届いた。
「旦那様、奥様、夕餉の支度が整いました」
「直ぐに行く」
そう声を上げたのは、祝融だった。触れていた槐の手を引き上げ立たせる。
「行こうか」
いつもの、温和な表情を取り戻した夫の姿に、槐はそっと胸を撫で下ろし、穏やかに微笑んで返したのだった。




