番外編 龍の死は斯くも儚き 三
祈りが終わり、神子瑤姫は霍雨に「ではまた」とだけ告げて颯爽と帰路に着いた。
神子瑤姫の存在で葬儀らしからぬ雰囲気に飲まれたその場は、高揚で満ちていた。一族の者が神子瑤姫に讃えられる者であったのだと、意気揚々と鼻を鳴らす者までいたほどだ。
騒めく中で、彩華は一人祭壇に近寄った。
祭壇に置かれた剣をじっと見つめて指を這わせる。鞘は黒く上下の縁取りに銀の装飾が施され、一片のくすみも無い事が雲景らしい。
剣を持つ姿が似合わぬ男を思い出すと、またも感情が波打ち目頭が熱くなる。彩華は慌てて、手を握って隠れて掌に爪を立てた。
――駄目だ、帰るまで集中しなくては
彩華が一度目を閉じ呼吸を整えていると、一人の気配が近づいた。
「あんまり握りすぎると血が出るぞ」
と言って、雲景のまた従兄弟である飛唱が横に並んだ。彩華は、ちらりと横目に見るも憂慮なその目に飛唱も悲しみに暮れる姿があった。
「お久しぶりです」
「ああ、今回は大変だったらしいな」
「誰から聞いたんですか」
「軒轅から報告を受けた静瑛様が教えてくれたよ」
考えれば容易に出る答えだ。頭が回っていないと反省しつつ、そうですか、と彩華は小さく呟く。
「祝融様は?」
「まだ……」
彩華は剣の柄に触れる。指先でなぞるそれに飛唱は何も言ず、ただ静かに隣で見守った。
◆
別れの時は終わった。
年配の者達が帰り、当主も先に帰ると彩華に「殿下にしかとお仕えせよ」と葬儀に似合わぬ言葉だけを残し去っていった。黒龍族とは言え彩華が楊の名を名乗っている間は、彩華は朱家分家に該当する。
それ自体は認めているかどうかは顔に出さなかったが、その言葉は皇孫殿下の従者としての勤め自体は認めているのだろうと窺い知れた。
堅苦しい顔ぶれが減った頃合い、黎が彩華に近づこうとすると隣で彩華を睨んでいた顔が先に動いた。
夫を亡くした女に対するそれではなく、明らかに悪意のこもった目に黎が止めようと軽く腕を掴むも軽々と振り払われる。
「ちょっと、姉様!」
止める黎を無視して、女は彩華に向かう。女に気付いた振り返った彩華に今度は、隣に立っていた飛唱が彩華の壁になる形で立ち塞がった。
「邑響、いい加減にしろ。雲景の葬儀だぞ」
「その女、雲景が死んだのに泣きもしないじゃない!何とも思ってないんでしょ!?雲景の立場を駄目にして、何がしたかったのよ!!」
「雲景が望んだ事にお前が口出すな。本邸に戻ってろ」
「嫌よ、その女が遺品を持って帰っちゃうなんて絶対に許せない。朱家として管理するべきよ」
そう言って、彩華の眼前から雲景の剣を奪い取る様に抱えていた。
「葬儀を朱家で行ったのは、まだ雲景が分家と言うのもあるが、彩華は殿下の従者として警護に出来る限り集中して貰わねばならんのもある。そして、雲景の残りの財産は亡骸も含め全て彩華の物であり、此方では祀る場合は彩華が財産を放棄した場合のみだ。それとも何か?お前は朱家当主と霍雨様の御意向に逆らうのか?」
飛唱の剣幕は、諫める兄というよりは、激昂を見せていた。捲し立てる勢いで、口から出た言葉の数々に普段と違う様相のそれに、邑響はたじろいだ。
それでも、剣を大事そうに抱え離さない。更には、叱られた事なのか、純粋に雲景の死を悲しんでいるのか、その目からはポロポロと涙を流す。
「お前は結婚が決まっただろう。良い加減その手を離せ」
飛唱がそっと手を差し出すも、ぐずぐずと涙を流す邑響は中々手放さない。
「……嫌よ、その女が持ってたって……」
「邑響!!」
飛唱の恫喝に邑響はびくりと肩を竦ませる。が、流石に彩華が飛唱を制した。
「飛唱様、邑響様は雲景様を想っての事です」
「お前なあ」
物は言いようではあるが、彩華は邑響の訴えに彩華は眉一つ動かしてはいなかったのだ。寧ろ、感情を剥き出しに出来るその姿が羨ましいと感じていた。
感情のままを曝け出せるその姿が。
彩華は飛唱の隣に立つ。邑響を見つめる眼差しは強く、夫を失って悲しみに暮れる女は居ない。
「貴女が涙を流せば、悲しみに暮れる女と見て頂けるでしょう。でも、私の立場で悲しみに飲み込まれ立ち止まっている訳にはいかない。私は祝融殿下の従者です。それが私と夫であった雲景様の誇りでもある。その生き方は変えられないし、変える気もない。私はこれから、彼の分の誇りと共に生きねばならないのです」
息つく間もなく、彩華は想いを述べた。
胸を張り堂々と弱さを掻き消す物言いに、隣に立っていた飛唱は静かに見守る。彩華の想いは確かであり、それ以上の言葉は必要がなかった。
「飛唱、黎、邑響を連れて下がりなさい」
それまで、状況を見るに留まっていた霍雨が前に出て、邑響に手を伸ばした。
「邑響、彩華女士の言い分よりも私を納得させられる言葉をお前が持っていると言うならば、今此処で言ってみなさい。そうでないならば、その剣は渡しなさい」
邑響は俯き、霍雨と目も合わせられなかった。そして、しずしずと剣を霍雨に渡す。溜息を吐いた飛唱が黎共に邑響を連れ立って出て行くと、残ったのは霍雨と彩華だけとなった。
人が減り、その場は寒々として夜の暮れと共に寒気が増した。白い息を吐き、霍雨は彩華に剣を渡す。その手に戻った重み。その重みが僅かながらに、彩華へ安堵を齎した。
「良い文句だった。邑響は困ったものでな」
「……もしかして、彼女が以前、雲景様の?」
「許嫁になる……予定だっただけだ。見ての通り、当主の妻に相応しくない。私が跳ね除けていてな。どうせなら黎をと言っていたんだが、黎は黎で衛士の仕事を辞めてまで雲景の女房など真っ平御免だと」
「……それでまんまと私が掠めとってしまったという訳ですか」
「あれは誰が女房になっても同じだろう。お前が黒で騒がれたから、より目鯨を立ててはいるがな」
黒という言い方は、悪口とも取れる発言だが、霍雨の性格を何となくも理解していた彩華は涼しくも笑って見せた。
だが、やはり少し固い。
「彩華女士、剣はお前に帰そう。残りの物は、私に遺してくれると助かる」
「はい」
「まあ、どうせ薄情なあいつの事だ。真っ直ぐにお前の下へと向かうだろうよ」
あっけらかんとした物言いとは違い、その目は静かに彩華の主中に戻った剣を見つめていた。霍雨も鉄仮面の下で、悲しみの底にいる。
「……みんな、先に死んでしまうな」
その言葉の真意に、彩華は素知らぬ顔は出来なかった。
葬儀に雲景の両親らしき人物の姿はなかった。と言うよりも、雲景は一度としてその手の話をした事がなかったのだ。結婚した、その時も。
「霍雨様……」
「彩華、困った事があれば、朱家を頼りなさい。実家は遠いだろう。お前が殿下をお支えする限り、私が全て押し通す。例え、玄家に嫁いでもだ」
「もう、結婚はしませんよ。こんな傷塗れの女、誰も欲しがりませんしね」
これには霍雨は鼻で笑うだけだった。
◆
――疲れた……
彩華は自宅に戻ると、いの一番に寝台に倒れ込み寝そべった。
二人で丁度良い大きさだったそこは、一人になると途端に広く感じる。
皇都に戻ってそう何日も使っていないその場所が、じわじわと彩華の心を痛ぶった。
「……ふぅ」
深く、深く息を吐いて、更には布団に顔を埋めて、感情を堪えようとする。
けれども、静かなその空間が何よりも苦しかった。
仕事は割り切れる。
けれども、家は……
「雲景様……」
ぐすり、ぐすり。
彩華の瞳は抑えきれない涙が溢れていた。声をあげれば使用人に気づかれるかもしれないと、布団に顔を押し付けたまま声を殺して泣き叫ぶ。
――どうして、私を置いていなくなってしまたのですか!?
彩華は、邑響が羨ましかった。
彼女の様に、素直に叫びたかった。
悲しみに囚われて雲景の死を偲び祈り続けたかった。
だが、それを許さなかったのは彩華自身でもある。
彩華の矜持が、祝融への忠誠心が、彩華の本音を阻むのだ。
彩華は一人、薄闇の中で静かに涙を流し続けた。
この悲しみが消える事は、終ぞ無いだろう。




