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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 前編
177/233

三十七

 現世(うつしよ)顕現(けんげん)せし神威。

 それが今、姿を現す。



 炎が、部屋中を巡る。駆け巡る熱気と、畏怖。

 部屋中を包み込む大きな塊は、蠢き膨れ上がり、一点を中心に渦めいて(いなな)く。

 飲み込まれた女も、雲景も、炎の中にいるかどうかもわからない、その渦中。祝融すら触れられぬ炎を前に、祝融は神意を確信した。


 炎は轟々唸り、暴れ、祝融が出来る事は、洛浪まで呑まれぬ様に遠ざける事だけだった。まだ、自分の方が炎に耐性がある。自らが盾となり、これ以上の犠牲が出る事を恐れた。

 その姿は一見して麾下を庇う主人の姿だ。が、祝融は平静を取り戻してはいない。今も、その心は混迷の中にある。

 女がいたであろう場所を眼光鋭く警戒し、姿を現したその瞬間、女の正体も道理も聞かずに、その心の臓に剣を突き立てる勢いだ。

 

 その心中が、憎悪で満たされんとして悪意に染まる。

 女に向けられている筈の憎悪が、洛浪にまで届くほどに。



 そして、炎は徐々に遠くなった。いや、範囲が小さくなったと言うべきか。

 女が居たであろう場所を中心として、炎は渦巻いて小さくなる。

 何もかもが飲み込まれたのかとも思われた。が、頭は地面を向いてはいたが、女はその姿のまま祝融に面して立ち尽くしていた。

 只、雲景の姿だけは何処にも無かった。


 祝融の剣を握る手に力が篭る。

 怒りは確かに残ったままだ。雲景は死んだとしか思えない状況で、その死を悲しむ間も無く雲景は肉体すら消え失せた。龍人族が亡骸も残らない存在だったとしても、祝融の心象を闇暗くさせるには十二分だったのだ。

 悲しみよりも、怒りが上回る。何故、雲景が。友を殺された恨みと苦しみと怒りと……どうにもならない感情がそのまま混じり合ってヘドロにでもなって腹の底から溢れ出しそうだった。

 ()()()。そう、雲景を喰らったと言った、()()()

 ()()()と目があった其の瞬間、祝融は女が何者か確信していた。


 これは、神子だ。

 女の内にある気配が、燼に似たものを感じる。それだけでは、神子とは考えてもいなかった。

 だが、祝融の瞳と女のそれが勝ち合った、その瞬間。言い知れぬ、予感にも近い不確定な要素ではあったが、祝融は女が神子であると確信したのだ。 


 だが、今。

 炎が晴れてすこぶる視界は良好だ。いつの間にか炎の熱気も、炉の炎も全てが消えた、今。

 祝融はその怒りを目の前に佇む女に向ける事ができなかった。


 炎を身体に取り込んだその瞬間、何故だが祝融には女が別人に見えていた。

 姿形は何一つ変わってはいない。

 そう、見た目は。


「洛浪、あの女……」

「……祝融様、あれは――」


 洛浪も言葉を失っていた。思い出していたと言う言葉の方が近いだろう。

 火葬場で、蠢いていた、言葉に言い表せない()()

 それが、今。目の前にいる。


 殺さねばならん。二人の中の眷属神の血が、剣をとれ。殺せと訴えかけた。

 それは、女神洛嬪であって、そうで無いのだと。


 不意に女の頭がゆっくりと持ち上がる。

 何一つ、音の消えたそこで物語の幽鬼が如く、虚無に染まった瞳は祝融ではないものを捉えていた。


父君(ふくん)、今参ります』


 先程までの女とは違う、掠れてはいるが甘い色香の漂う声が響いた。

 何の声とも例えられぬそれは夢幻(ゆめまぼろし)の如く、人ではないものを思わせる。

 その女が一言二言、言葉を口にしただけで、あれ程まであった熱気が消えただけで無く、今度は冷気がその場を襲った。

 またしても、祝融は寒気を感じる。

 女を視界に入れるだけで緊張が(ほとばし)り、悪寒がするのだ。


 この世のもので無いものへの畏怖。鎮守の森で感じたものと同等かそれ以上の神威を前に、祝融は動けなかった。

 女は何もしていない。至って普通に出口へと歩き始め、祝融を視界に入れる事もなくその横を通り過ぎただけだ。しかし、その足は祝融の背後でピタリと止まる。祝融の背後にいた洛浪が視界に入ると、驚く洛浪を無視してその頬に触れた。


 洛浪もまた、動けなかった。今にも剣を抜こうとするが、柄を掴んだそこから手が動か無いのだ。

 呼吸を忘れるほどの畏れが、眼前で天女の如く首を傾げて微笑んでいる。女の姿も顔も何一つとして変わっていない。なのに、洛浪はその姿が神々しく見えていた。

 神々しく見えるのに、血が殺せと訴えかける。


 そっと女は洛浪の頬を包み込む。


『可愛い坊、何か怖い事でもあったのですか?母に言ってごらんなさい』


 その口調も眼差しも幼子に語りかける母親そのものだ。だが、洛浪の母の面影とは似ても似つかぬその顔。

 洛浪は息が詰まりそうだった。触れられたその手は冷たく、触れた先から凍りつきそうな程。実際、洛浪の口からは、白い息が溢れていた。

 次第に身震いまで始まる。


『寒いのね、可哀想に』


 よしよし、良い子。大丈夫、大丈夫。

 稚児(ややこ)でも相手にしているかの様に、女は洛浪をそっと抱き寄せる。その瞬間に、更なる寒気が洛浪を襲った。冷気が肌に染みる。ピシピシと音立てて洛浪は女が抱きしめ触れている箇所から段々と凍っていた。 


『大丈夫よ、痛みは無い。その身から解き放たれて、父君が常夜で待っております。母も後で参りますからね』


 洛浪に振り解く力はなかった。されるがまま、息までも凍りつく。


 ――ああ、駄目だ


 雲景の死に際をその目で見たからか、洛浪の脳裏に死が垣間見えていた。

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