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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 前編
174/233

三十四

 火葬場の門前で祝融と洛浪は煙突を見上げていた。

 暗がりでも、今も黙々と煙は登り続けている。

 異界にでも紛れ込んだとすら思える静かな宵闇の中、二人は門を軽々と越えた。

 皇孫としてあるまじき……なんて小言を言う男も今はいない。

 壁の途中で軽く足を引っ掛け、そこから更に壁を蹴る。

 二人はあっという間に塀の向こう側へと辿り着くと、丁度その門の前で待機していた二人の男が祝融と洛浪を見て驚いたのなんの。突然、空から人が降ってきたとなれば、誰しも言葉を失うものだろうか。男は、我に返り、慌てて声を上げようとするも……


「しっ……」


 侵入者だ、とでも叫ぼうとしたのだろうが、男は顔面を大男の手で掴まれそのままパチリと閃光が瞳の中に入り込んだ、その瞬間意識を失いその場に崩れ落ちた。

 もう一人も同様に、洛浪に背後から首を絞められ小さな閃光と共に気を失っている。

 もう侵入が露見しようが相手も祝融達が侵入して来る事など予想しているだろうから意味などないだろうが、だからと言って騒ぎ立てられても面倒だ。

 倒れた二人に目を向けることなく祝融は洛浪と目を合わせると、そのまま火葬場の建物めがけて走り出した。


「祝融様、正直言って何か待ち構えていると考えた方が良いかと」

「ああ、門番二人だけ。そこら辺にいる見張りも、俺たちに気付きもしない様な奴らばかりだ。入って来いと言っているとしか思えんな。聖殿の業魔も故意に呼び寄せたものだろう。同じ事を繰り返すか、それとも――」

「先程も、寸分の気配もなく湧き出ました。李碧翠という女が呼び寄せているのでしょうか」


 火葬場の門から建物にかけて無駄に間広い。篝火の焚かれた門前からその入り口にかけて段々と暗がりとなっていく。入り口の前には、人は居ない。人払いされているのか、果たして入って来いと言っているのか。

 建物に入る寸前、扉を開ければ祝融はもうそこは敵の本拠地とも言える手前で祝融は止まってしまった。


「祝融様?」

「……あれは、故意だ」

「ええ、罠に嵌めて業魔を都合よく誘き寄せるなど人為的とは思えませんが、故意に引き起こした事でなければ説明が付きません」

「妖魔は神の残滓だ。業魔もまた、人の心の陰に神威の残滓が貯まると変異するが、それが全てではない」

「……ええ」


 神の力があってこそ、妖魔も業魔も存在する。だが、その場所は限られる。

 聖殿は、神を祀る場所ではあるが、人為的な場だ。人の手が入った場所、特に人造物に神威は貯まらないとされる。

 街の中心たる場所で、何故業魔が無から出現したか。

 あの場に恨みが溜まっていた者でも居れば別だが、どう考えても元凶が存在しないのだ。


「神隠しの時点で神意はちらついております。何が起こってもおかしくは無い」

「……神隠し自体は女神洛嬪の復活を望む不可視の存在が確認されると言う程度だ。血を集めると言う単純な動機だ。だが――」


 業魔の出現はまるで、祝融の為に現れた様に見える。

 李碧翠の邪魔立てとなった。洛嬪の復活が近い。単純な答えだけならば、浮かんでくるにはその二つだ。

 神の怒りに触れたと言えばそれまでなのだが。


「祝融様、今は先に進みましょう。李碧翠とやらに聞けば、答えは出るやもしれません」


 ああ、と祝融は飲み込めない考えを頭の片隅に追いやるも、ぼんやりとした様子で返事する。

 何かが引っ掛かる。そうは言っても、これ以上は立ち止まっってなどいられなかった。もう、火葬場の炉は直ぐそばに。

 

 ――


 あつい、あつい、あつい。


 焚き火にあたっている、そんな生優しい暑さじゃない。

 目の前で、轟々と家でも燃えている様な、部屋全体が燃えて自身も焼かれる寸前の様な。

 ジクジクと、指の先から。甘皮の先から、ゆっくりと火に当てられて、燻られている様な。


 あつい。


 ポタリ、ポタリと雲景の額から滝の様に汗が流れ続けていた。

 重たい頭と、気だるさを抱え、雲景はゆっくりと瞼を開けた。


 最初に視界に入り込んだのは、轟々と立ち昇る紅蓮だ。

 部屋中が、炎の色に染まって部屋全体が燃えている感覚に襲われる。実際、そう思えるほどの熱気が部屋を満たしていた。

 茫然とする思考から、ふと火葬場を思い出す。


 ――そうだ、此処は炉があった部屋だ。


 まだ、夢心地の気分が抜けず、その暑さも、汗も、部屋の中で聞こえる微かな音も、全てが夢なのか現実なのか判別が出来ない。

 微睡みは、ぼんやりと視界を濁して映していたが、その視界の中で赤色では無いものが映り込む。ゆっくりと動いている程度の認識しかできなかったが、次第にそれは人の姿を成していく。そして、それが見覚えのある衣服や姿形となって現れた時、雲景の思考が漸く覚醒していた。


「お前……」


 夢に中で見た、白面の女がその姿のまま目の前で立っていた。雲景が声を上げた事で女は振り向くが、そこに白面は無く、口の端を吊り上げニヤリといやらしく笑っている。


「ああ、やっぱり起きちゃった?」


 起きる事は計算していたのか、そう驚きもしない女はまた雲景に背を向ける。女は、炉の火に今にも飛び込みそうな程に近付く。

 おどおどした様子は無く、炎を見据える姿は夢とは違う人物にも見える。


 ――これは、現実か?それともまだ夢か?


 夢と現実の境目を彷徨っている気分だ。身体も本調子とは程遠く、壁に背を預け指一本も動かすことが億劫な程に重苦しい。その感覚が夢に見たままと言うのが、余計に雲景を錯覚に陥らせていた。

 ただ夢と違い、拘束されていない事だけは幸いと言えるのだろうか。

 女がどの様な人物かは知れない。ただ、拘束されていない事には何かしら考えがあっての事と勘繰ってしまう。お陰で雲景は炎を見据える女を眼前にしても、思考を巡らしどう出るかをひたすらに考え続けるしかなかった。


 だがそこでもう一つの事実に気がつく。動かぬ体を無理やり起こし、首と眼球を無理くりに左右に名一杯動かした。


「……軒轅は何処だ」


 怒気を含む強張った声。だが、雲景の顔色は青ざめ威勢を張っているにも近い。女も苔脅し程度にしか思っていないのか、女は雲景に目もくれない。

 

「お仲間を心配してる場合じゃ無いと思うけど」


 それ以上言葉も発する事なく、炎にばかり集中していた。その姿が、雲景の腹を据えかねた。

 ぐっと、腕と腹に力を入れ身体を起こす。これが夢どうかなど、どうでも良くなった。

 取り敢えず一発殴ろう。ずるっと引きずる身体を前に前に押しやって、雲景は女の背後に辿り着いた。

 当たり前だが、女も気づいていて当然だ。雲景が女の首根っこを掴むよりも前に、くるりと振り返ってみせる。


「なんだ、元気じゃないか」


 その口ぶりは余裕で、含み笑いがまたも嫌らしい。

 

「お陰様で頗る良好だ。黄龍の男をどこへやった」

 

 女はまたも口の端を吊り上げ笑う。


「何処かに連れてかれたのは自分って考えは無いの?今の人質はお前だ」

「ならば、私がお前をどうこうしたところで問題は無いな」


 雲景の拳に力が入る。もう身体を動かしている原動力は気合いと言ってもいいだろう。

 ただ腹が立つ、目の前の正体の判らぬ女にも、不甲斐ない自分にも。

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