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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 前編
173/233

三十三

 よくよく部屋を見渡せば、何人かも消えている。

 女は大人しくしていろと口にしたが、ならば何故軒轅をそのままで消えたのか。


「(慌てたのか……?)」


 表面上は平静を装い、何かを焦った。軒轅は邪魔だから置いて行き、贄になりそうなのを連れて、ついでに人質を連れ立った。

 考えが纏った瞬間、軒轅は切迫する。

 軒轅の予想が正しかった場合、人質は最終手段だになるからだ。そして恐らく、女は仕切りにあと少しと言っていた事を鑑みるならば、その時は恐らく『今』なのだ。


 そんな中で、ジクジクと痛む腕が鬱陶しく思考を遮る。

 動かねば。軒轅は武器も何も無い状態でも構っていられなかった。どこに向かうかなど、既に答えは出たも同然。雲景が見たと言う、火葬場の炉の出来事。


「(問題は、此処が何処か……か?)」


 悩んでいる間はない。軒轅は出口へと向かって歩き出した。が、あと一歩で部屋から出ると言った所で、軒轅は暗闇の奥底から気配がこちらに向かっている事に気が付いた。


「(あの女……ではない。これは……)」


 早歩きでそれは近づく。次第に灯りがボウッと暗闇の中に映し出されると、金の瞳が輝いた。


「……彩華か?」

「軒轅様?」


 彩華が近づく歩速が上がる。灯りに照らされた顔つきで、それまで強張っていたである顔が緩み安堵が見えた。だが、その安堵の対象が、此処には居ない。

 軒轅はどう説明して良いかも分からず、彩華の口から言葉が出てくる前に顔曇らせ逸らしてしまった。

 その表情を見れば、一目瞭然ではあっただろう。だがそれでも、彩華は聞かずにはいられなかった。


「雲景様は、御一緒なのではないのですか?」


 本来ならば、無事かどうかを聞くべきだ。無事で良かった、怪我は?そんな些細な会話など、今の彩華の心情ではとても思いつくものではなかった。


「先程までは。俺と雲景氏を此処まで連れて来た女と共に消えてしまった」


 落胆にも聞こえる声色に、彩華は目眩を覚えそうだった。

 こんなにも、不安ものなのか。お互いに、いつ命を落としてもおかしくないと覚悟を決めていた筈なのに、彩華の中で何かが揺らぐ音がする。そのまま倒れてしまうのではとすら思える程に、彩華の顔から血の気が引いていく。


「彩華女士、まだ無事だ。殺すならとうにやっている」

「そう……そうですね」


 震える声が、精一杯の声を絞り出す。まだ大丈夫だと自らを落ち着ける為に、軒轅の言葉で自らを説得すえうと、「大丈夫か」と声を掛ける軒轅を視界にはっきりと映った。

 まだ思考は澱む中で、ふと鼻につく血の匂い。その匂いに気がついた瞬間に、彩華は漸く思考が冴えて軒轅の有様が目に付いた。


「け……軒轅様!?」


 腕は血まみれ、口周りも滴る血が塊り赤く染まっている。その伝った血で、袖も、首元も全部が赤い。

 何処からどうしたら、彩華は珍しくあわあわと慌てている。


「彩華女士、怪我は腕だけだ」

「だけって!!止血しないと……」


 移動の前に手当だけはしなければ、後々腕が邪魔になる。軒轅は、躊躇なく右腕の袖を肩から破ると彩華に巻いてくれと頼んだ。


「片腕ではやりにくい」

「もう、私の手ぬぐいがあります」


 こんな上等な衣をあっさりと、と愚痴を溢しながら彩華はテキパキと布を腕の血を手拭で拭った。

 すると、その傷の異様さに目がいく。明らかな、咬み傷。獣にも見えるが、その傷は軒轅から見て内側だ。どう見ても、自傷行為の痕としか思えない。牙が深く食い込んだそれに、彩華は手当を行いながらも軒轅を盗み見た。

 異様なまでに赤い口周り。多少は拭ってはいるが、血は簡単には落ちない。自らの腕を食いちぎろうとしたのではと納得は出来ても、状況が読めなかった。

 真っ当な人の姿である時は、牙など無いのだ。


「(龍になりそうだった?無理矢理?抑え込んだの?)」


 大人しく手当を受ける軒轅は、彩華が疑問を浮かべている事に気がついてはいるだろうが、何も口にしない。

 言いたくない。聞くな。そう言っている気がして、彩華は軒轅の手当てだけ終わらせると、再び蝋燭を手に立ち上がった。


「腕、どうですか?」

「助かる。圧迫のお陰で、多少はましだ」

「祝融様に傷薬を貰っておけば良かったのですが」

「腐って落ちるわけじゃない。それより、剣がいる。此処には――」


 彩華は、手にした蝋燭を軒轅がいたであろう部屋へと向けた。そこには、虚無に飲まれた人々が、壁際で並んでいるだけだ。

 死人にも見えるそれに、彩華は一人一人顔を照らしていく。


「彩華女士、急がねば……」

「此処にいる方達、皆、神隠しにあったと言われる方達ですよね」

「……何の話だ?」


 あ、そういえば、と彩華は一人一人の顔を照らしながらも軒轅に事の次第を説明する。この中に、洛浪の親族がいる事も。


「先程、雲景氏と共に何人か消えている。それに、此処にいる者達が全員とは限らない。そもそも、洛浪氏の親族が消えたのはいつだ」


 彩華は、頭が混乱していた。焦燥と不安と苦悩が混ざり合って、何を優先して何をしなければならないか、状況をどう見てどう動くか、全てが判らなくなっていた。


「彩華女士、急ごう。恐らく、()()()に猶予が少なくなっている。祝融様は今何処だ?」

「火葬場に……」

「恐らく雲景氏もそこに居る可能性が高い。向かいながら、雲景氏が見たものを話す」


 いつになく軒轅の眼差しは強い。傷口から見ても、今も尚腕は痛むはずだ。血を止める為に圧迫もしたから尚の事。それでも彩華に余計な心労をかけぬ為、軒轅平然として見せる。


「いつの間にか、立派になられましたね」


 彩華ボソリと呟くも、軒轅には聞こえておらず、聞き返して首を傾げるだけだった。


 ――私も強くならねば


 彩華は心苦しくも虚なもの達を振り返ると、後で助けに来ると胸に近い、その場を後にした。

 どうか無事でいてくれと、愛する者への願いを込めながら。

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