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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 前編
167/233

二十七

 出来れば、事前に行動の動機というものは伝えて欲しいもので、雲景は目の前を歩く人物を前に、拾い上げた剣を向けるかどうかすら悩んでいた。


 この街特有の()()()()()にでも罹っているといえば、聞こえは良い……訳もなく、雲景は何度か説明しろと要求してみても、文字通り「(うん)」とも言わない女を前に諦めていた。


 地下牢は、そう大して広くは無い。

 雲景と軒轅は、四つ並ぶ牢屋の真ん中二つに入れられていた。

 そして、女は牢を解放した後、そのまま上階へと戻る階段へと向かっていったのだ。落とした剣に目もくれる事も無く。

 仕方なく、剣を拾ったのは雲景だった。

 状況が読めない今、武器はいる。最悪、上階に戻ったら転じて逃げてしまえば良いだけなのだが、何があるかが判らない為、保険が必要だった。


 そうして、ふらふらと歩く女は上階へと辿り着いたと知らせる為か、一度雲景達を振り返った。

 そこには、確りとした造りの鉄扉(てっぴ)があったのだが見事に開いたままだ。

 まさか、此処にきて絶望でも味合わせたかっただけか?なんて洒落にもならない事が浮かんだのか、二人はお互い訝しんだ目線を送り合う。

 

 ――これは、罠か?

 ――いや、罠を張る意味は?


 牢屋からの脱出の筈。なのに、伏魔殿にでも足を踏み込まんとするほどに、二人は及び腰になり、足が前に出ようとしなくない。

 女が開け放たれた鉄扉の前で、お先にどうぞと言わんばかりに立ち止まって、その手で促しているとなれば尚更だろう。

 裏がある。乗るべきか、反るべきか。

 二人は再び目線を合わせた。


「(どう思うも無いが……雲景氏、どう見る)」

「(これ見よがしな罠……だろうか。判らん)」


 だからと言って、背後は戻ったところで牢獄な上に行き止まりだ。既に此処が伏魔殿だと考えたなら、行く方向など悩む間も無く最初から決まっていた。

 雲景は一呼吸置くと、その目を眼前の女に向けた。


「行くしかあるまい」


 諦めにも似た決意を掲げ、二人は一歩を踏み出した。


 ――

 ――

 ――


 聖殿の祈りの間


 参拝する者も居ない時間。聖殿に使える神官達が、時折、祈りを捧げに訪れる。その為、夜でも祈りの間は常に吊るし行燈灯され、仄かな明かりに照らされている。

 静まり返った聖殿に辿り着いた祝融達は、涙に暮れる女神洛嬪の横を通り過ぎて、更にその奥を目指した。


「聖殿は、古くより神殿から枝分かれした事により、そう名乗っていると伝え聞いております。他の神殿と同じくa多神教に見せかけてはいるが、実際は三神教です」

「伏犧、洛嬪、河伯……の三神、か」

「そうです。遥か昔に、洛嬪が湖を創ったからこそ潤いがある。洛嬪の行いを止めた伏犧の存在があるから、後世に血は続き、街は存る。そして今も尚、我々の血には僅かながらにも洛嬪の血が残っている事で、河伯の加護がある」


 その三神こそが、キュウセンの全てなのだと清杏は言った。

 神殿と袂を別つ理由も同じく、それだ。神殿は、信仰の推奨はしても強要はしない。どの神を崇めるかは、個人の自由であると経典にも記されているのだ。

 何より洛嬪は神殿では崇拝の対象としては、順位は低い。勿論、河伯も。

 主神たる男神伏犧の影に隠れ、殆ど信仰する者もいないとすらされている洛嬪と河伯を大々的に祀るのは、この洛水湖がある地方特有と言えるだろう。


「それで、今回、洛嬪を復活させたとして……望みは何だ」

「それは……」


 清杏は口篭る。

 その思想は正に神のみぞ知ると言えるからかもしれない。

 誰も知らない。そもそも、神を復活させようなどという大それた思考も、実行も、大いなる力がなければ不可能なのだ。


「いや、悪かった。奥に進もう」


 祝融も言葉を向ける相手を間違えたと、前に向き直った。

 

 祈りの間から、更に奥へと向かう重々しい扉を開ければ、四方を建物で囲まれた中庭になっていた。その先は居住区もあれば、修行の間やら書庫やらが軒を連ねて、回廊で繋がっている。

 沈黙の戒律か静寂深まる寒々しい中庭が、寒々しさを強長するかの如く、木々が揺らいだ。ザワザワと騒ぎ立てる音の横、またも、視線が降り注ぐ。


 人ではない。


 戴家でもついて回ったその視線。気配。

 洛浪の目には夥しい数の幽鬼共が興奮混じりに、何かを待ち侘びている。それはそれは、浮かれて小躍りしそうな程に、満面の笑みを浮かべて。


 四方に幾つもの部屋へと続く扉がある中、清杏は迷い無く一つの部屋を選んだ。祈りの間から中庭を挟んで正面に当たる、その部屋。祈りの間と同じく重々しい分厚い扉を開けると、蝋燭の灯りが廊下に続く薄暗い廊下が続いている。

 石造なのか、冷んやりとした空気が扉を開けた瞬間から漂い、奥底から、呻き声でも聞こえてきそうな暗雲とした空気を際立てる。灯りがあっても尚、黄泉にでも続く道にでも見えそうな程に、どんよりと冷たく重厚な空気が漂う。その寒々しい部屋の中へ、それぞれが案内されるまま足を踏み入れ、幾分か進んだ頃だった。


 ドオオォォン――と背後から音を立てて、扉が閉まる音が廊下に響き渡った。


「扉が……」

 

 その音に誰しもが足を止め、背後を振り返る。扉に付近に、人の気配は無い。たかが神官に、それだけの妙技があるとも思えず、彩華は何気無く清杏に疑いの眼差しを向ける。


 ――これは、罠なのではないのか?


 最初から雲景達を餌に祝融を一所に閉じ込め、邪魔立てしない様にするものだとすれば……情報を与えたのも、信用させる手立てだったとなれば……。


「祝融様……」


 彩華の微かな声が、石壁の中で響く。

 彩華は焦りから前に出ようとするも、途端に蝋燭の灯りが端から順番に、ふっと消えていく。更には、パシッ――という音と共に、入り口の扉から石壁を伝って金色の閃光が駆け抜けた。


 ――封印術だ


 誰の目にも明らかな金の光は、祝融と洛浪以外にも神血を継ぐ者が存在する証明だ。ただいまは、そんな悠長な事を考慮する暇は無かった。封じられた、その事実が判明した瞬間、遅い警鐘が思考の中で激しく打ち鳴らされ続ける。

 これは、罠だと。そして、その手引きをした人物は――


「清杏、お前の娘の話は嘘か?」


 祝融の右手に炎が廊下の暗闇を照らす。その灯りに照らされる中で、その場だけが明るく清杏は、振り返らない。だが、ポツリと声だけが、暗闇の中でも良く響いた。


「これで……私の娘は助かるのです」


 炎に照らされた頬に刺す紅に、哀しみは無い。

 無情ともいえる、その瞳が揺れる炎を映していた。

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