十四
洛水湖から伊川を五十里程辿った先。洛浪は、そこに自身の母の生家があると言った。
水が豊かで、伊川の支流の川伝いに家々が立ち並び、水の上の村とも呼ばれている。移動手段が舟であり、中には舟で暮らす者もあるのだとか。舟の上で店を広げて、川の上だと言うのに、市場とすら見間違いそうになる。
そんな水に溢れた村の名は、ジョウと言った。
舟が行き交う村は宿場町と差がない程に大きいが、キュウセン程では無い。が、村人が皆、仮面をつけて暮らしていると言う所だけは同じだった。
堅苦しいキュウセンと違って、仮面を着けていると言う事以外は至って普通の村だ。
夕刻にもなると、村は更に賑やかしくなる。
宿屋が営む食堂で、祝融は彩華と洛浪と共に食事の席についた。
入る前に洛浪が半面を買った方が良いと促すもので、不思議に思いながらも顔を覆っていた布から半面に付け替え店に入ると、漸くその意味が判明した。
流石に食事時ぐらいは仮面を外すのだろうと考えていたのだが、見事に半面に付け替えてそのまま食事をして、酒も楽しんでいる。
奇妙な光景が眼前で広がるも、此処らでは珍しくも無いのだと言う。
「此処らでは仮面を着けていない村は無いのか」
「伊川の更に下流であれば、流石に」
それでも結構な先で次の村に関しては、付けたり付けなかったり、祝い事の日だけ付けたりと半々なのだとか。洛水湖から離れれば離れる程に風習が様変わりし、本来の河伯の加護が忘れ去られていくのだそうだ。
実際、洛水湖から離れたのならば河伯の加護も遠退くのだから、仮面をつけると言う風習だけが伝わってしまったのだとか。
更に省都に近づくと、仮面をつける風習はパタリと消えてしまう。
「……それで洛浪、この村に異常はあるか?」
祝融がくるくると手の中で杯を回して酒を揺らしながら、洛浪に問い掛けた。
「全く。幼少の頃に母に連れられて親族に会いに来ていましたが、その頃と大して差は無いかと」
洛浪は悩ましげながらも、答える。そこに迷いは無い。
そうすると、キュウセンだけの異常性が見えてきた彩華がポツリと溢した。
「じゃあ、やっぱりキュウセンが?」
何気無く、口にしただけだった。
意味深でもなんでも無い。唯、会話の一端として口にしただけだったが、付近にいた者達の目線が一斉に祝融達が座る卓に向いた。
仮面の中から、ねっとりとした目線は三人を警戒して、更には付近の卓だけでなく、店中に広がっていた。
あれ程騒がしかった食堂の中は、一斉に静寂となる。まるで、キュウセンの様相を思い出せそうな程に。
「……何か失言でもしただろうか」
祝融は挑発にも近い言葉を、一番近くにいた男に投げかけた。しかし、祝融投げた言葉に、返事はない。
そうしていると、次第にぽつりぽつりと店は賑やかしさを取り戻し、祝融達だけが取り残された様に口を閉ざす状態になっていた。
「出るぞ」
食事もそこそこに、三人は店を出た。
本当は周りに話を聞いてみるはずだったが、キュウセンという名だけで、あれ程の反応を見せると思ってもいない状況が発生した事で、それも憚られてしまった。
店を出て暫く歩くと、祝融は背後を歩く洛浪に話しかけた。
「洛浪、親族はまだいるか」
「……叔父家族がいます……私を見て驚くでしょうが」
もう永く親族の付き合いはしていないのだと、洛浪は言う。それでも話ぐらいは出来るだろう、と洛浪は前に出て案内を始めた。
店を出てからというもの、祝融は仮面の視線が妙に気になった。道を行き交う者、道端で雑談を交わす者、橋の上で川を眺める者、その全て仮面の下に隠れた眼が此方を見ている様。
思い過ごしと思っても、日が暮れてきた事で仮面の奥底は暗闇だ。昼間は賑やかしかった村が、夜になって途端に薄暗い風貌へと変化していた。
「賢雄、彩華、此方です」
川沿いを抜け、煉瓦の家々を抜けていくと村の橋にある一軒の家に辿り着いた。
洛浪が、東王父の末裔である解家であった為、母の家もそれなり……と予想していたのだが、それに反して普通の平民の民家しかも平房(平屋)とあって、祝融は少しばかり驚いていた。
「……母君は平民か」
「そうです。父に見初められ、解家に嫁ぎました」
仮面をつけたままだったのか?祝融は不覚にも無粋な言葉が口から出そうになってしまった。彩華も同じ事を考えてしまったのか、口を抑えて目を逸らしている。
そうこうしている間に、洛浪は戸口の門環を叩いていた。
カンカンと甲高い金属の音が響くと、大して間も置かずに扉が開いた。
「どちら様で?」
扉は、顔半分程度が見える程度に開き、白髪混じりで腰の曲がった老人がその隙間から覗く。その顔には、矢張り仮面が張り付き、表情は見えない。
そんな中で、洛浪は老人の前で徐に半面を外して顔を晒していた。
「お久しぶりです、冬心叔父さん」
老人は一瞬固まるも、直ぐに正気を取り戻したのか、洛浪の外した面を取り上げその顔に貼り付ける。
「外で仮面をとっちゃいかん」
老人は、キョロキョロと外を確認すると、連れだった祝融達も中へと招き入れた。
中は狭く、竈門の側には四人掛けの食卓と水瓶、その直ぐ横には寝台と至って普通の家だ。冬心は三人を食卓へと座る様に促すと、自身も少し離れた場所に椅子を引くと、洛浪をまじまじと見た。
「……お前、洛浪か?」
「そうです」
「最後に会ったまんまじゃねぇか」
不死だったのか、と悩まし気に頭を抑えて項垂れる。最後、とは恐らく何十年と前なのだろう。
はあ、とため息を吐くと、チラチラと祝融と彩華を不審がっている。が、久方ぶりに会った甥と話す方が先なのか、出た言葉は不審ではなく、身内の近況の確認だった。
「姉さん、どうした」
「三年前に亡くなりました」
「……そうか」
冬心を鑑みれば、恐らく洛浪の母も相当な歳だったのだろう。残念がってはいたが、どこか安堵も見える。
「それで、何で来た。二度と来るなと言った筈だ」
「キュウセンに用事があって」
「行ったのか!?」
キュウセンに何があると言うのだろうか。冬心は目が剥き出しそうな程に驚き、洛浪に詰め寄る。余りの驚きぶりに、洛浪も戸惑いながらも続けた。
「えぇ……キュウセンに何かあるんですか?」
冬心は頭を掻きむしって、どうしたものかと迷っている。その原因は、二人の存在だろう。再び、横目に祝融と彩華を見ては気にしている。
「……洛浪、この二人は、お前の友人か?」
「まあ、そんな所です」
「出来れば余所者のには話したくねえが……」
「この二人は口が硬いから、大丈夫ですよ」
そう言って、微笑んでみせる洛浪。そうしていると、殊更に女顔が強調される。
祝融も、突然水知らずの他人に話すきには成れないだろうと、仮面を外すとゆっくりと卓に置いた。
「御老人、知っている事を教えて欲しい。キュウセンの名を出しただけで、村人が異常に反応するのは何故だ?」
冬心は、目を伏せる。観念したのか、その口が再び言葉を紡ぎ出していた。
あれは、いつの事だったか――そう、ゆっくりと語り始めた。




