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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 前編
150/233

 皇宮の最奥。皇帝宮にも近いそこは、許可が無ければ辿りはつけない。皇族である静瑛ならば、手前までは難なく来れるが、その建物の敷地に入ろうとするには事前に、そこに住む主に書簡を送らねば通しては貰えない。

 皇帝宮や皇子宮と同じ待遇を、甘んじて受けているのかと思うと、二人は建物を前にそこに住む二人の心境を心配していた。


「こんな建物があったんだな」

「私も来た事は無い。此処には、永く誰も暮らしてはいなかった筈だ」


 静瑛は少しばかり懐かしくも黒く染まった離宮を見上げた。子供の頃に一度だけ横目に見た覚えがある、その程度の記憶だったが、あれは此処だったのかと一人納得していた。

 古い造りだが、手入れはしっかりとされているが、どこか侘しい。

 静瑛は、その宮の奥にいる筈の人物に会うために、一歩、門を潜って歩き始めた。


 

 ――


 

 通された客間で、二人は待ち続けた。並べられた長椅子の上位は空いたまま、約束の時間だけが過ぎていく。しかし、一向に燼は現れない。

 何かあったのだろうか、黎が燼を呼びに行ったと言う事は宮の中にいるのは、確かなのだ。 


「なあ、返事は直ぐに来たんだろ?」

「ああ、黎が届けてくれたんだ。内容も、燼らしく簡潔だったが」


 是非ともお越し下さい。と、以前のままを思わせる短い内容に、日時の指定のみで、二日後の日入(十八時ぐらい)の頃とだけ記されていた。噂では、神子燼に追い返された人物は数多にいるらしいが、それらと同様の扱いをされているとも思えず、二人は首を傾げていた。

 それから更に四半刻程待たされた頃、現れたのは燼ではなく、宮の一切を任されている黎だった。

 黎は迷いなく、上位に座る。それは、燼の代理としてそこにいる事の現れでもある。


「静瑛殿下、鸚史様、申し訳ありませんが、神子燼はお会いできないそうです。変わりに話を伺う様にと仰せつかまつりました」  

「理由は?」

「お答えできかねます」

「これだけ待たせて理由も言えないのか」

「申し訳ございません」


 黎は真っ直ぐに二人を見ては、眉一つ動かさない。元は、宮中警護を担当していた衛尉だ。表情を隠す訓練は受けているのだろう。

 主人の命令であれば、黎は従うしかない。立場も、神子の方が上となると、二人は食い下がるしか無いのだが、友人としてこの場に来たつもりの二人にとっては、些か不満が残った。

 神子燼の為人が、傲慢なる人物に変わってしまった。そんな噂すらチラつく中だと言うのに、と静瑛の思考が濁りそうになった頃、ふと叔母の説教が蘇った。


『噂はあくまで噂です。人に流されず、真の道を見つけなさい』


 皇宮は噂で溢れている。特に、今の状況で下手に道を見失えば、それこそ誰も信じれなくなるだろう。


「分かった。では、神子燼にお伝えできないだろうか。市井での出来事で、我々に助力出来る事があれば教えて欲しい。それと……いやこれは、書簡で記そう」


 静瑛の言葉で、黎は直ぐ様に筆と墨を用意させる。

 真っ白な神の上にさらされと 認められた文字は乾くと同時に丁寧に折られ、黎に渡されていた。


「では、お預かりします」


 書簡を大事そうに抱える黎の姿に、静瑛は再び叔母の言葉が蘇った。やはり、噂は当てにならないのだと。

  

「黎、燼は、此処で問題なく過ごせているか?」

「……度々、外に出られないと申されていますが、絮皐様が居ますので、それ程不満は無い様です」


 その言葉で、静瑛はこの宮のもう一人の主の姿が頭に浮かんでいた。燼が姿を表せないからと言って、絮皐が出て来ない理由にはならないだろう。


「そういえば、絮皐はどこにいる。鸚史が一緒に来たから隠れているのか?」

「おい」


 二人のやり取りに、黎は空笑いをするも、その顔色がはっきりと沈んでいた。

  

「……それも、お答えできかねます」

       

 まだ、甘い。ほんの一瞬気の緩んだ表情で、静瑛も鸚史も見逃しはしなかった。


「では、黎。書簡を頼む。出来れば、返事が欲しいともな」

「お伝えします」


 静瑛と鸚史が立ち上がると、黎も門まで見送ると続いた。

 黎に見送られ、二人は馬車に乗り込むと、既に陽が沈んだ暗闇で遠ざかる宮の姿は闇に飲まれていた。ゆっくりと離れる景色もそこそこに、二人は提灯の灯を頼りに顔を突き合わせていた。

 お互いに神妙で、燼の様子が今一つ掴めないのもあったが、どちらもが、どちらかが口火を切るのを待っていた。


「どう思う」


 痺れを切らして口を開いたのは、静瑛だった。

 

「……何か、あるんだろうな。黎の反応からして、燼は俺達と会う気だったんじゃないかねぇ」

「私も、同意見だ。が、その理由は何だ。絮皐も同じく顔を見せられない……」


 何かある……静瑛が腕を組み俯き加減に考え込むと、目の前の男はボソリと溢した。

 

「俺が原因じゃなさそうだったな」


 静瑛の目線が思わず上がった。子供か、と呆れた目を向ける。

 

「根に持つな」

「お前らがいつまで経っても、その話題を引っ張るからだろうが」

「お陰で、黎の反応が見えたんだ」

「まあ、さすが元衛尉だが……まだ甘いな」


 僅かな表情の機微を二人は見逃さなかった。申し訳ない……というよりも、何かしら心配事が起こっていると言った具合だろうか。答えないのではなく、答えられない事象が起こっている。

 それも燼だけか、はたまた燼と絮皐両者で起こっているのか。神子としてあるまじき事であり、燼の立場を危うくする事……。


「返事を待つしかねぇってのは少々あれだな」

「仕事をしながら待つさ」


 静瑛は、背凭れにもたれ掛かると鸚史に余裕を見せていた。


 ――

 ――

 ――


「燼、入りますよ」


 黎は手紙を燼へ手渡そうと、扉の外から声を掛けるも、返事をしたのは絮皐だった。落ち着いてはいるが彼女にしては弱々しい声で、入って、と告げる。

 扉を開けると、黎は真っ直ぐに寝台へと足を向けた。天蓋が僅かに視界を遮るが、絮皐らしき影が、新台の上で座っている姿だけがくっきりと映る。寝台の横に立つと、黎は迷い無く天蓋を開いた。

 絮皐の膝の上に頭を乗せる男の顔色は青ざめ、呼吸は荒い。胸が苦しいのか、終始胸元を抑えている。


「今日は、全然良くならないね」

「うん……」

「起きてるのかな」


 絮皐が首を傾げ、黎が顔を覗き込むと、燼の瞼がうっすらと開いた。その眼の色は紅色が宿り、輝いている。

 

「……起きてる」


 喉から搾り出した声は、少々、燼の様で、そうでない響きを持つ。

 それでも、黎にとってはいつも通りの光景だった。ただ、今日は長引いている。何も、今日でなくとも良かったのに、と燼に語りかけていた。


「静瑛殿下と鸚史様は、お帰りになられました」

「……怒ってた?」

「いいえ、市井での噂……道托殿下と同じ話題で、出来る事があるなら教えて欲しいと。後、手紙を預かりましたよ」


 黎が手渡すと、燼はゆっくりとそれを開いた。苦しみながらも、絮皐の膝に頭を乗せたまま、それに目を通し始める。


「……成る程ね」


 燼は一人納得した様子で手紙を黎に返すと、天井を見上げていた。


「黎、志鳥を取ってくれるかな」


 まだ、起き上がる事は出来ない。黎は言われるがまま寝室の中、滅多に使われない机の引き出しを迷う事なく開けると、白玉を取り出した。

 黎はそれを再び寝台に近づき、手渡そうとするも、ひょいっと意地悪調子に遠のけた。


「御返事を志鳥でなさらない方が良いのでは?」

「大丈夫。静瑛様には後で手紙を書くから。これは、祝融様に送るんだ」


 その考えを聞くや否や、黎は素直に白玉を燼の手の中に置いた。

 燼の手の中で、白玉は仄かに発光する。かと思えば、それは黒色へと変化していた。黒玉と化したその中から、鴉にも似た鳥が生まれると、それは志鳥と同じく、使用者の手に留まるが、少々大きく、指では到底収まらない鴉程の大きさだった。

 燼は迷う事無く、それに話しかける。


「西王母と神子瑤姫が動き始めた様ですが、此方は対処します。詳細が分かり次第、お伝えします」


 夜が深くなる闇の中、黒い鳥は勢い良く飛んで行く。その姿は、カラスというよりも、鷹に近いだろうか。


「……私が聞いて良かったのですか」

「うん。信じてるし」


 そう言って、笑おうとするも、辛そうに顔が歪む。


「燼、お返事は後にして少し眠ったら?」

「うーん、今寝ると都合が悪いから……」


 気怠そうに燼は無理矢理上体を起こした。()()とやらは語らないが、眠らない意思だけは、はっきりと伝わる。

 

「では、食事を此方に運びましょう。このまま部屋に篭っているだけでは怪しまれますので」

「うん、そうだね。絮皐と静かに過ごしたいからって事にしといて」


 客人を追い返してでも妻と過ごす時間を優先する。どう考えても傲慢な神子の姿が虚像に映るだろう。それでも、真実が広まるよりも良しとした。


「では、私は女官達に支持して参りますので」

「うん、お願い」


 今にも倒れてしまいそうな顔色の主人は、部屋を出る黎にひらひらと手を振っていた。

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