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祝炎の英雄  作者:
第二章 黒鉄の正義
14/233

燼は、一人部屋の寝台に横になり暇を持て余していたが、突如、背筋にぞくりと何かを感じ飛び起きた。

何かがおかしい。そう感じると、居ても立っても居られず、部屋を飛び出した。

肌に感じるびりびりとした感覚が続き、徐に外に出るとその方角を探った。


「……鉱山の方だ。」


彩華は、鉱山に案内に行くだけだと言っていた。とても、偶然とは思えない。今すぐにでも駆けつけたいが、余りに遠く、彩華がいない今、龍に頼る事も出来ない。


「(どうにかして行かないと……)」


この屋敷に残っている龍人族は二人、当主と奥方のみ。とても進言できる相手でも無ければ、背にも乗せてはくれないだろう。

だが、手段はそれしか無い。

燼は、拳を握り締めると、屋敷の中へと戻り、当主がいる執務室へと向かった。

執務室の前で、どうやって声を掛けようか悩む間も無く、燼は勢いよく扉を開けた。

当たり前だが、開けた瞬間に、燼の顔を見た当主は眉間に皺を寄せ、明らかに怒っていた。当主の顔は、下女達が言う程でも無かったが、未だ腫れていた。どちらにしても、今の燼には、どうでも良い事だった。


「一体何の真似だ?」


金の瞳が、燼を鋭く睨んでいた。龍人族に慣れていると言っても、彩華は若く穏和だ。同じ血を持つものと言っても、百年を生きる龍とでは、比べ物にもならなかった。

獣人族と龍人族、どちらが上位かと聞かれれば、有無を言わさず龍と答えるだろう。獣人族は獣の魂が宿るとされるが、龍人族は、その血に脈々と龍が受け継がれていると言う。

それを体現するがの如く、威圧感が燼を襲っていた。


「失礼なのは分かっています。でも、俺を鉱山に連れて行って下さい。」


一言、二言と言葉を口にする度に、燼の額からは冷や汗が流れた。


「今、客人と彩華が向かっている。問題は無い。お前が行く理由は何だ?」

「鉱山に何かいます。彩華が……お嬢様が危ないかもしれません。」


燼にとって、精一杯の説明だった。彩華なら信じてくれる言葉でも、余りにも拙く、不明瞭としか言えない。


「それで、私の背にお前を乗せろと?」


龍人族は、滅多に人を背に乗せない。彩華は性格もあって、燼を簡単に背に乗せるが、龍人族としての矜持が無いのかと、幾度となく説教されているのも、燼は知っていた。


「ふざけるのも大概にしろ。お前を養っているのは、誰かを忘れた訳ではあるまい。」

「それには、感謝しています。俺みたいな、溢れた獣人族を受け入れてくださった事も。でも、本当に危険なんです。」


一向に、部屋から出て行こうとしない燼に苛立っているのか、当主は立ち上がると、その腕を無理やり引っ張ると、部屋から引き摺り出そうとした。


「待って下さい、俺、妖魔が居る方がわかるんです。でも、こんなに距離があるのに、嫌な気配が鉱山の方からここまで来るなんておかしい!」


それでも、当主は止めなかった。扉を開け、外に放り出そうとした瞬間だった。


「彩華が死んでも良いんですか!?」


当主の手が、ぴたりと止まった。燼の腕を力なく離すと、その手で顔を覆った。


「死ぬ?……あの子が死ぬのか……?」


わなわなと身を震わせ、怒りの顔から、一気に恐怖へと変わった。


「(何だ……?)」


あまりの変貌ぶりに、燼はたじろぐも、当主の前に出て更に言葉を続けた。


「御子息も、あそこにいるんでしょう!?行かないと!」

「……そうだ、行かなければ……」


当主の目は焦点を捉えず、虚ろだった。


――


雲景の目の前にいた、妖魔達が突如として、溶けて消えた。溶けたと言うよりは、陰に飲み込まれたと言った方が正解だろうか。入口近くにいた彩華を見ると、同じ様に妖魔が消え驚いていた。

何が起こったのか理解出来ず、主人の方を振り向いた時だった。


「雲景!」


主人の声が聞こえたと同時に、足下から異常なまでの悍ましいまでの気配が、押し寄せた。

雲景は高く飛び、それでも足りないと龍の姿へと転じ、より高く飛び立とうとした。だが、遅かった。

形無き黒い波が雲景に向かって伸びていき、龍の身を飲み込もうと絡みついた。

飛ぶ力よりも強く引き寄せられ、大きな音を立てて、雲景は地に落ちた。衝撃で土埃が舞い、雲景の身体は黒い沼に飲み込まれそうになる。じたばたと体を捻り、尾をばたつかせ暴れるも、陰が外れる事もなければ、びくともしない。

ずぶずぶと飲まれる感覚に、雲景はたまらず龍の本能とも言える咆哮を上げた。金の瞳が狂気じみた獣の様に鋭くなり、爪を立て、牙を剥き出し、人の知性を忘れ暴れ回る。


「雲景!鎮まれ!」


祝融が近づこうとするも、雲景が暴れ、手出しが出来ない。祝融が叫ぶも、その声は雲景に届いてはいなかった。主人の声すら聞こえなくなった龍を止めるのは、容易では無い。下手に炎を使えば、雲景を傷つけるだけ。

だが、手を拱いて見ているだけにもいかないと、祝融は意を決し、飛び込もうとした時だった。


黒い龍が、空高く舞った。それは勢い良く一度祝融の頭上を通りすぎたかと思うと、その勢いのまま転回し、あろう事か、今にも飲み込まれそうになっている雲景に体当たりをした。

あまりの衝撃に、黒い波は外れるも、そのまま壁に激突してしまった。

彩華の豪快なやり口に、祝融は驚くも、未だ雲景は鎮まらない。それどころか、彩華を押さえつけ首筋に噛み付いた。


「雲景様……鎮まり……下さい。」


痛みで、声が途切れ途切れになる。人の姿に戻れば、押しつぶされるか、噛み殺されるか。声を掛ける以外の手段が、彩華には無かった。


「(……こんなに痛いのは、いつぶりだろうか。)」


壁に激突した痛みと、首の痛みで意識が朦朧とする中、ぼんやりと頭に浮かんだのは、燼と初めて会った日の事だった。熊の姿で、威嚇し、鋭い爪を彩華に向けた。


「(あの時と、どっちが痛いかな……)」


暴れ狂う龍を鎮める方法など存在しない。雲景が一人鎮まるのを待つしか無かった。

痛みに耐える彩華の耳元で、ぼこぼこと音を立てて黒い沼が現れた。

飲み込まれる。

そう思った時だった。

波は切り裂かれ、燃え上がった。目の前で、燃え盛る炎の熱で、自身もその身を焼かれる様な感覚に落ちそうになる。祝融が、彩華と黒い波の前に立ち塞がり、炎と共に盾となっていた。


「彩華、しばらく耐えてくれ。」


龍と人、あれ程大きく感じた存在が、今の姿だと小さく見えるから不思議だ。彩華は、答える事が出来ず、その御仁を見守る事しか出来なかった。

戦況は最悪。後衛を任せていた二人が、動けなくなり、防戦一方だ。


「(せめて、雲景が正気を取り戻せたなら……!)」


彩華も、あのままでは、いつ雲景に殺されてもおかしくはない。その瞳は苦悶に満ち、痛みに必死に耐える姿。龍が如何に強い存在だとしても、まだ若い彩華には辛いだろう。

それでも、祝融は湧き上がる黒い波を只管に斬り続けるしか手立ては無い。


それ迄とは異なる状況、新たなる異形の存在。長い年月をかけて、力と欲を胎に溜め込み続け、更には龍を飲み込まんとする存在。

このままの状態がいつ迄続けられるのか。前に出る事も出来ず、祝融の顔は苦渋に満ちていた。

波は治らない。それどころか、また沼が現れた。一つでは無い。二つ、三つと、混沌より這いずり出る存在が祝融の瞳に映った。人とも、獣ともつかない姿形をまざまざと見せつけたかと思うと三体は坑道入口を目指して歩き出した。


「(最悪だ。)」


状況は悪化するばかり。二人を守りながら、業魔三体を相手取る事など出来ないだろう。だが、ここで前に出なければ、業魔はどこを目指すかなど、分かりきった事だった。


「(陰の気配はこの洞のみ。溜まりに溜まった瘴気を業魔ごと吐き出させて、一体ずつ片付けていくしかない。だが……)」


今、祝融の背には命が二つ。祝融が傍を離れれば、沼に飲み込まれるだろう。祝融には、まるで己をこの場に留めるための人質にしか見えなかった。


「(置いてなど、行けるはずがない。)」


今も尚、龍を飲み込もうとその手を伸ばし続け、その力を欲する。

二人を見捨てる事も出来ず、業魔を見送る事しか出来ない状況に、歯痒さが募っていく。

そして、業魔の一体が、洞から一歩踏み出そうとした。

だが、業魔はぴたりと止まった。


身構え、何かが近づいてくるのを警戒していた。そして、それは祝融の耳に足音となって届いた。

その瞬間、業魔の一体に何かが激しくぶつかり大きく後方へと吹き飛んだ。


「……燼」


小さく呻く彩華の口から聞こえた言葉に、祝融は驚いた。良く見れば、業魔を吹き飛ばしたのは大きな熊だ。

新たな加勢。恐れを知らぬ存在は、業魔に飛び乗り、頭を潰そうと幾度となく殴りつけた。

他二体の狙いも、坑道から燼へと移った。祝融は、彩華を一瞥すると前に出た。


「燼!彩華を守れ!」


その言葉で、業魔に飛び乗っていた燼が祝融を見た。彩華が今にも黒い何かに飲み込まれる姿に、業魔どころでは無くなっていた。祝融と入れ替わるように、言葉通り、彩華を飲み込もうとするそれに、無心で爪を立てた。


「彩華!」


彩華の上で噛みついている龍という状況だけは飲み込めなくとも、それが客人である朱家の者である事だけは理解していた。


「……燼、雲景……様は、殴っちゃ駄目……だよ。」


龍の姿で弱々しく話す。痛々しい姿の原因である殺気立った龍の牙と爪は、硬い筈の龍の鱗を貫き、血が流れているが、それ以上何かをする事は無い。雲景もまた、耐えている。


「……わかった。でも、このままじゃ、あいつらが……」


手を動かしながらも、つい、不安が口から出てしまった。


「大丈夫……」


何が大丈夫なのだろうか。朱家はこの有様で、残っているのは従者だけだ。

燼の頭に最悪の不安だけが過ぎるも、彩華の瞳は穏やかなものだった。

不意に、背が熱くなった。洞の中で、龍の鱗が照らされる程の灯りが満たされ、燼は思わず、背後に目を向けた。

紅炎に包まれた男が一人、業魔を前に立っていた。

その姿は、彼の怒りを体現している様だった。

熱く揺らめく炎は刃となり、業魔に向かった。

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