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祝炎の英雄  作者:
第六章 宵闇の異形
132/233

四十

 酒器を傾ける音だけが、屋敷の中で存在するかの様に、誰もが口を閉ざす。

 夜も深まる頃合いに、辛気臭い顔ばかりが祝融の居宮の居間に並んでいた。いつもならば、酒の席は騒がしい。皆それぞれに楽しく談笑し、何かしらの話題で盛り上がるのだ。多少の身分の遠慮はあっても、話は尽きない。

 それが、皆、死人にでもなったかの様に口を閉ざしている。疲れているのもあるが、一人、顔を出さない男が皆心配というのもあった。

 皇帝に呼び立てられてとしても、既に神子であると知られた今、何を命じられたとしても従う事は無いだろう。それでも何かあるのではないかと、心配する。

 顔に出ているのは彩華ぐらいだろう。隣に座る雲景がその様子に、心配して珍しくも人前で手を握っていた。

 何か、矢張り何かあったのだろうか。祝融の眉間が険しくなるばかりの頃合いに、漸くと今の扉の向こうから女官の声が届いた。


「旦那様、羅燼様がお見えになりました」


 漸くとも思える頃合いにやってきた男は、特に草臥れた様子も無く、いつも通りの姿に誰もが安堵した事だろう。反対に皆の陰鬱とした空気に、背後に隠している妻ともう一人をどうしたものかと入り口で立ち尽くしたままだった。


「燼、遅かったな」

「……嫌味から始めるんですか?」


 軽口で答える燼は、ちらりと背後を見る。縮こまり身を隠す姿は、やましいというよりは、この部屋の中の人物の一人に恨まれている事を分かっているから、前に出辛いのだろう。

 燼もそれを知っているから、下手に前に押し出せない。


「絮皐、そこで難しい顔している男は噛み付いたりしないから、取り敢えず座ると良い」


 そう言った宮の主人は、涼しい顔をして上座に座っている。その椅子に隣接した席で座る男は、確かに難しい文官らしい姿で座っていた。


「おい、それは俺の事か」

「しているだろう」


 面白半分に睨み合う二人は、ある意味でいつも通りだった。

 この場所だけは、何も、変わっていない。


 燼は、絮皐の手を引く。それに釣られ、絮皐に着いていたもう一人、朱黎も顔を出して後に続いた。少々強引だったが、絮皐も黎に背を押される形で歩き出し、観念して燼に連れられるままに席に着いた。黎も、兄の隣がこれ見よがしに空いていると、ストンと腰を落とす。


「本来なら、燼が上位だな」


 と、静瑛も悪戯に乗っかっているのか、実の兄を前にして大それたことを言う。実際、神子の立場は皇帝と同格な訳だから、間違っていないだけに焦ったのは燼だった。席は決まってはいないが、座ったのが祝融の対面でもある下座だ。


「勘弁して下さいよ。ただでさえ明日から憂鬱なのに……」

「それには同感だ」


 女官達が追加の酒やら、つまみやらと手に颯爽と現れて去っていく。

 それを見届けると、祝融はその場にいる全員を見渡した。


 隣に座る、妻の槐。

 弟の静瑛。幼い頃からの友人である、鸚史。

 信頼する従者の雲景と彩華と飛唱。

 共に力を尽くすと言った、軒轅。

 新たに力を貸してくれた黎。

 そして――


「今、此処に居る全員が、俺が信頼する者達だ」


 意味深な言葉に、誰もが祝融を見る。

 今日は、長い一日だった。そして、今日が終わろうとしてる。 


「明日より、多くの事が変わる」


 祝融は落ち着いた口調だが、その目は力強い。

  

「燼、お前が俺の下にいる事は不可能だろう」 

「……分かっています。俺にも、護衛が付く事になると」

「俺の下にいれば、神子の価値が下がる。流石に皇宮も神殿と対立する気は無いだろう。今の所黙っている神殿も何をしでかすか分からんだろうからな」


 神子が、皇孫の下にいるなどあってはならない。そればかりは、祝融に権威があったとしても、どうにもならない事だった。燼は、静かに頷き返事をする。

 その次に祝融の瞳が捉えたのは、絮皐だった。

  

「絮皐、お前も平民の仕事をする訳にはいかんだろう」

「……ですよね」


 絮皐も、状況を知らぬ存ぜぬではいられなくなっていた。だからこそ、今此処に居る。

 折角、仕事に慣れてきた頃合いだったのが、余計に口惜しいが、後悔は無かった。燼と共にいると決めたのは自らの意思なのだ。だからと言って、落ち込まない訳ではない。徐々に、顔は下を向き俯き加減になっていた。

  

「貴族になる訳じゃないが、神子に配偶者がいた試しはない。それを神殿がどう取るか。お前を保護した陛下は何と?」


 祝融は絮皐に問いかけたが、返したのは燼だった。 

  

「準備が整うまでは暫く、皇宮で暮らせって……」


 その準備が、何かまでは知らないが、と悪態つく。仕方がないと分かっていても、燼もその意向には不服を見せる。

  

「ある意味妥当だ。家は割れているだろうからな」

「あの家って……」

「売ったりしないから安心しろ」


 その瞬間に、絮皐の顔が元に戻って、余程嬉しいのか花が咲いたように明るくなる。一年暮らしただけだが、絮皐にとってこれ以上のものは無いのだろう。

 そして、祝融はもう一人の新顔へと顔を向けた。

 

「朱黎」

「はい」

「巻き込んですまなかったな。今日はその礼が言いたかった」


 正確には朱黎を指名したのは静瑛だが、それに迷いもなく応じ、本当に絮皐の話し相手に徹していたのだ。

  

「いえ、とんでもない」


 楽観的か、明るい様子に本心から、一切の迷い無い清々しい様を見せる。が、祝融の顔は、一気に険しく変わっていた。 


「ただな、これ以上関わると面倒ごとに巻き込まれると考えた方が良い」


 祝融は、再び、その場を一望した。誰も、迷いなく、祝融に目を合わせる。

 それを確認して、祝融は続けた。  

  

「これは、この場にいる全員にも同じ事を問う。このまま俺に着いてくる必要は無い。意志と考えが明白であった父が、姜家の考えに染まった恐れがある」


 矢張り、祝融は自分自身ではなく、自分以外の誰かが害される事を恐れた。そうなる前に手を打てる、最後の機会は今日だと、肝に銘じて、この場で全員が集まるのを待ち続けた。

 玉座の間で感じた恐怖を、現実にしない為に、自分に何が出来るか―― 


「これは、危機だ。だから、今、この場でこれ以上関わりたく無い者は言ってくれ。恨みはしない。俺の道はこれからも何も変わらん。天命という巫山戯た言葉に従う訳じゃないが、俺の力がこの国の為になるならば、その使命を真っ当するだけだ」


 祝融の言葉が終わると、一番に口を開いたのは鸚史だった。何か言葉を発するのかと思えば、口から先に出たのは、言葉ではなく盛大な嫌味の混ざった溜息だった。

  

「お前が、一番辛気臭いな。折角の酒が不味くなる」


 ぶっきらぼうな言い草に、静瑛が鸚史を呆れた目で見ては、まったく……と悪態つくが、それも直ぐ様に表情を真剣なものへと変えると、祝融に目線を戻した。

  

「我々は、使命が降った訳では無いですが、異能を見る限り兄上の力に追随する為でしょう」

「だな、俺も、子供の頃の約束を忘れてはいねぇ」

「随分と、懐かしい話だな」


 祝融は、懐かしさに思わず微笑んだ。それは、雲景も同じだった様で、鮮明に記憶が蘇っていた。 

 

「それ、私も覚えています。確か――」


 口にしかけた言葉を、別の口が遮った。その顔は、恐ろしいまでの剣幕で雲景を睨んでいた。

  

「おい、雲景。口にしたらただじゃおかねえ」


 恐らく、その言葉を知っているのは、本人と祝融と雲景だけなのだろう。

 それでも、何故だか空気が軽くなったからか、彩華も釣られて口が動いていた。


「祝融様、私もです。身命を賭して、お仕えするとお約束しました。私の命は、まだ此処にあります」


 真面目な彩華らしい言葉だった。未だ消えぬ羨望に、何も変わらないのだと。そして、彩華に続いたのは雲景だった。 

  

「私も、同じです。何も、変わりはしない」


 幼い頃より仕えた雲景も、幼くも心に決めた日がある。勿論、全てがその頃と同じとはいかないが、その決意に曇りは無い。

 ただ、雲景の言葉に若干の不満を見せた男が一人。静瑛の隣で、それまで黙って様子を見ていた飛唱だった。 


「お陰で、私が当主の筆頭候補だ」


 裏表のない、嫌味だったが、本気で不貞腐れているのではなく、どこか冗談めいていた。じとっと、雲景に嫌味を言った後は、少々申し訳さから目をふけるも、すぐに真っ直ぐと祝融に目を戻していた。


「ですが、私が維持します。今までが、分家の雲景に頼りすぎだった。祝融様のお力添えとして維持いたします」


 それは、飛唱に珍しい決意だった。此処ではっきりと、朱家当主になると宣言して見せたのだ。静瑛も少し驚いたが、その決意をただ受け入れていた。 

  

「私も協力します」


 そう言って、黎が小さく手を上げていた。 


「新参者ですけど、今回の御指名で漸くこちらのお力になれそうですし、お祖父様から許可も貰っています」 


 漸く兄が本気になったのなら、その手伝いもしたいと明瞭に笑って見せる。

 それに負け事と、今度は鸚史の隣に座っていた軒轅も口を開いた。 

  

「俺は、まだ若輩ですけど、一応今回の勅命で飛唱氏と同じく筆頭当主候補に決まりました。祝融様のお役に立てるはずです」


 毅然とした姿勢に、迷いは無い。それまで、逃げた事ばかりを揶揄されていた男の姿はどこにも無かった。

 悪くない、そう思えるもの達がその場に揃っていた。

 ふと、祝融の右手にか細い手が触れた。祝融がそちらを向けば、凛とした顔の槐が真っ直ぐと祝融の瞳を見つめていた。

  

「私は、祝融様をお支えするのが、役目です。家に逃げ帰るなど、それこそ風家の恥と父に追い立てられてしまします」


 手に触れる力が、強くなる。想いがあっても、不安は消えない。それでも、傍を離れないと、その目は言っていた。 

 そして、ぼそぼそと話し難そうに、声を上げた者が一人。

 

「……私は、祝融様に助けていただいたからこそ、燼と会えました。私に出来る事なら」


 絮皐の小さな決意に、祝融は頷いた。

 最後に、一人、誰よりも全てを知る男は、重々しい口を開いた。誰よりも、眼差しは重く、強く祝融の目を捉え続けた。 


「祝融様、俺は、今まで通り語れる事は少ない」


 それは、皆の決意とは違った。

 重く、決別にも近い。が、祝融は、燼にはそれしか手段が無いのだと、悟っていた。

 語らない事もまた、手段であると。   


「ですが、これだけは覚えておいて下さい」


 燼は、言葉を止めた。それが、絶対とでもいう様に。


「俺は、貴方を裏切らない」


 それが、燼の決意だった。それが、全てだと、それ以上何も語らなかった。

 また、静寂が戻っていたが、それも直ぐに消えていた。


「これは、誓いだ」


 祝融は、酒満たされた杯を前に突き出し掲げた。

 誰しもが、その意味を悟り、それぞれの杯満たすと、掲げて見せる。

  

「我々は、誰一人として、此処にいる誰をも裏切らない」


 言葉と共に、皆が誓いを飲み込んでいた。

六章終わり。

次から番外編ですよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 祝融を取り巻く状況が更に悪くなってしまったけれど、これまで支えているきてくれた仲間たちとの絆を確認する機会ともなった。姜家の人たちには祝融はどう見えているんだろう。今までなんともなかったお…
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