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思いついた短編を勢いで書きました。ノープロットなのでいろいろおかしいと思いますが、頭を空っぽにして楽しんでいただけると嬉しいです。
「危ない!」
花は、とっさに道路に飛び出した男の子を突き飛ばした。
最後に覚えているのは、誰かの叫び声とブレーキ音、それに強い衝撃。
ーーああ、またおせっかい焼いちゃったな。
次の瞬間、世界は暗転した。
暗闇の中どのくらい彷徨っていたのだろう。
誰かの泣き声がする。
ーー誰?
少女が泣いている。
ーー泣かないで。
思わず少女に手を伸ばす。少女と目が合った瞬間、ものすごい光で世界が真っ白になった。
「……ナ、アレンティーナ!聞いているのか?」
「ーーは?」
気が付くと、豪奢な部屋にいた。目の間には、金髪碧眼の見目麗しいおとぎ話の王子様のような若者がいて、こちらを厳しい顔で見据えていた。
「だから、リリア嬢を変に勘繰るのはやめろ。ただの友人だと言っているだろう。私の言うことが信じられないのか?これ以上、リリア嬢に心無い行いをするのであれば、こちらにも考えがあるぞ!」
ーー殿下。
「ーーん?」
あれ?殿下?
そうだ。この人は、この国の第一王子エルバート殿下。私の婚約者。
私?
そうだ。私は、この国の筆頭公爵家の娘、アレンティーナ=ドミニコ。
胸が痛い。この悲しい気持ちは、殿下を心からお慕いしているから。どうして、わかってくださらないの?
いやいやいやいや。
どういうこと?
私は、間宮花。日本人。普通の会社員。道路に飛び出した見知らぬ子どもをかばっておそらく車に轢かれた。
これは、いわゆる異世界転生ってやつでは?
しかし、私は乙女ゲームとかしないし、小説とか漫画とかでもこのお話は知らない。
でも、今の私は花としての意識のまま、アレンティーナの記憶も持っている。そして、心の奥でエルバート殿下の言葉に傷ついているアレンティーナの感情も感じられる。
しかし。
エルバート殿下。アレンティーナはあなたのこと慕っているみたいだけど、私的にはないわ。
エルバート殿下とは子どものころからの婚約者で、小さい頃は二つ上の殿下と同い年の兄と三人で本当の兄弟のように仲が良かった。婚約者になる前から、殿下のことはお慕いしていたし、殿下も優しくしてくださった。婚約者になってからは、お茶会などには必ずエスコートしてくださったし、折に触れ、お花やプレゼントをいただくし、色々気遣ってくださって、アレンティーナは幸せだった。
しかし、殿下が貴族が通う学校に通い始めてから、事態は変わった。男爵家の娘と急接近し、親しく付き合うようになったのだ。アレンティーナの兄は、殿下をそれとなく諫めてくれたし、その娘がほかの婚約者がいる男性とも見境なく親しくしていることもうわさに聞いていた。
しかし、相変わらず殿下は優しかったし、それとなく令嬢とのことを聞いても「友人だ」というので、アレンティーナはその言葉を信じていたのだ。
だから、アレンティーナも2年後に入学して、その様子を見たときはショックだった。
学園の中庭で身を寄せ合って、笑い合う二人を目撃した日は、屋敷に帰って一晩中泣いた。
その思いは、件の男爵令嬢リリアに向いた。
「リリア様、殿下は私の婚約者ですの。あまり近づきすぎないでいただきたいわ。おかしな噂になって困るのは、あなたも同じでしょう」
リリアは、殿下と同い年でアレンティーナより年上だったが、小さな体を震わせて涙目になった。
「申し訳ありません!そのようなつもりはないのです。アレンティーナ様をご不快にさせてしまうなんて、本当に……」
あとは言葉にならなかった。身を震わせて泣くリリアを取り巻きの男性たちが守るように取り囲む。
「アレンティーナ様、今日はこの辺で。身分を笠に着てリリアをいじめるのはやめていただきたい!」
侯爵家の三男が言う。彼の婚約者はアレンティーナの友人だ。しかし、アレンティーナはその友人を巻き込むことなく、ここに一人で来ている。どちらが卑怯なのか。
怒りに震えるアレンティーナを残して、男性たちを引き連れたリリアは去っていった。
エルバートに呼び出され、リリアをいじめるとは、王太子の婚約者として恥を知れ! と怒られたのは、その日の午後だった。
その後も、殿下に近づきすぎるリリアを注意しては、殿下に叱られるということを繰り返し、アレンティーナの心はズタズタだった。
しかし、アレンティーナは殿下を慕う気持ちが強く、殿下に叱られることを悲しみこそすれ、殿下に怒りを覚えることはなかったのだ。
しかし。
花は違う。
なんだ、この男。自分が浮気しといて注意する婚約者を叱るとか、頭に虫湧いてんのか?
おっと、言葉が悪くなってしまいましたわ。
ここはビジネスライクに。
「アレンティーナ? なぜ、話に集中しない。ーー体調でも悪いのか?」
厳しい表情から、怪訝そうな顔になったエルバートがアレンティーナに一歩近づく。
花は、エルバートがそれ以上こちらに来る前に優雅にお辞儀をした。アレンティーナの身に着けた作法で見事なお辞儀ができた。
「この度は、殿下にご不快な思いをさせてしまいましたこと、心から申し訳なく思っております。つきましては、公爵家として今後につきまして、検討させていただきたいと考えております。わたくしの一存ではいかんともしがたい案件でございますので、一旦持ち帰り、後日検討結果をご報告させていただければ幸いでございます」
「ーーえ?」
突然、ペラペラと話し始めたアレンティーナにエルバートが驚いた顔をする。
「それは、どういうーー」
「では、殿下のお時間をこれ以上いただくわけにもいきませんし、本日はこれにて失礼させていただきます。貴重なご意見ありがとうございました」
殿下の言葉を遮ったことに心の奥でアレンティーナが驚いているのがわかる。
アレンティーナちゃん。こんな浮気男に執着するのはやめなさい。お姉さんが何とかしてあげるわ。
アレンティーナの名残惜しい気持ちを振り切って、花は踵を返すと王城をあとにした。
車に轢かれて後悔したはずなのに、生来のおせっかいというものは治らないものなのだ。
「お父様、相談がございます」
屋敷に帰ると父公爵の執務室に向かった。
「わたくし、殿下の婚約者を辞退したく思います」
突然、執務室に押し掛けた娘に驚いた顔をしていた公爵は、その言葉を聞いて持っていた羽ペンを落とした。書類にインクが広がり慌てて拭いている。
「どうしたのだ。殿下のうわさが出たときから、婚約解消の話が出る度に頑なに拒んでいたのに」
そうだったっけ。確かに、心の奥のアレンティーナはひどくショックを受けている様子だし、どんなに浮気されても、執着していたのは、記憶を共有している花にもわかっていた。
しかし、アレンティーナはまだ16だ。いくら現代日本より婚期が早いとはいえ、20代半ばまでに結婚すれば大丈夫なこの世界で新たに恋をする機会はまだあるはずだ。今は辛くても、このままエルバートの好きにさせていたら、そのうち心を病んでしまう。
アレンティーナの出したSOSがさまよっていた花の魂を呼んだのだ。花はそう思っていた。
だとしたら、さっさとエルバートは切って、次の男を探したほうが結果としてはいいはずだ。
「もう、疲れてしまいましたの。わたくしただ一人を大切にしてくださる方と新たに出会えればと思っております」
アレンティーナの記憶では、娘を溺愛している公爵はうわさが出始めたときから、婚約の解消と新たな婚約を何度もアレンティーナに勧めていた。国王の幼馴染でもある公爵は、国王にも何かあればいつでも解消できると約束させていることも知っている。
思った通り、父は、アレンティーナのーーというより花の願いを聞いてくれた。
王家には、アレンティーナの代わりが務められそうな令嬢の釣り書きを見繕って送ってくれたし、アレンティーナの新しい婚約者候補も何人かすでに見繕っているようだ。
花は、安心した。
この中には、きっとアレンティーナだけを大切にしてくれる人がいるはず。今は、心の奥で泣いているアレンティーナだが、いつか、エルバートのことを忘れて幸せになれる日が来るはずだ。
浮気相手のことばかり大切にするエルバートなど、捨ててしまおう。それまで私が一緒にいるよ。
花は、心の奥のアレンティーナに語り掛けた。
アレンティーナの体が、高熱を発したのは、それから間もなく、明日はいよいよ正式に婚約解消だという日だった。