武術と実戦について
「この動きは、実戦的ではない」
「格闘技など、しょせんルールに縛られたスポーツだ。実戦では使えない」
「我々は格闘家とは違い、本当に人を殺せる技を習得している」
ネットなど見ていると、こういう意見を目にすることがあります。
まあ、言っていることは分からなくもないです。ただ、彼らの言う実戦とは、いったい何なのかという疑問があるんですよね。まずは、その定義をはっきりさせて欲しいですね。
もし、実戦というのが路上の喧嘩を指すのであるなら……ひとつ重大なことを忘れています。路上の喧嘩は、後の人生において大きな汚点となる可能性が高いということです。
あと、一応の自己紹介をしますと……私は、総合格闘技を十年ほどやっております。プロではありませんが、アマチュアの試合には何度か出たことがあります。また、有名なプロ選手とも練習したことがあります。格闘家というくくりの中で見れば最底辺の実力ではありますが、素人ではないつもりです。少なくとも、ネットや本などで得た知識のみで語っている方々とは違います。
まず、人を殴って怪我をさせれば、傷害罪で逮捕されます。言うまでもないことですが。
勘違いされている人が多いようですが、傷害罪は一方的な暴力のみに適用されるわけではありません。いきなり暴漢に襲われ殴られたため、腕力を用いて撃退した……この場合でも、怪我をさせれば罪に問われる可能性が高いんですよ。完全な正当防衛を成立させるのは、非常に難しいです。
格闘家の中には、喧嘩を売られた挙げ句にダンベルで殴りかかって来た男を病院送りにしてしまい、民事で訴えられた方もいるそうです。裁判の結果、判事は格闘家に千五百万の支払いを命じたと聞きました。
ちなみに、ご存知の方もいるでしょうが、傷害罪は十五年以下の懲役刑です。まあ初犯であり、かつ少しくらいの怪我ならば、ほとんどが執行猶予で済むでしょうが……例えば武術には、目つぶしという技があります。この技を用いて相手を失明させた場合、執行猶予は付かない可能性が高いでしょうね。それどころか、十年近く刑務所に入れられるかもしれません。その上、出所した後に民事で訴えられる可能性もあります。
また、以前「たとえ前科が付いても、一般人には調べられないから問題ない」という意見を目にしましたが、これは違うんですよ。確かに、前科の有無を一般人が調べることは出来ません。しかし、事件が起きれば、ニュース番組や新聞などで名前が報道されます。ネットニュースでも名前が報道されます。こうなると、名前をネットで検索するだけで、その事件の記事が一緒に出る可能性があるんですよ。これは、就職などの際には不利でしょうね。
もうひとつ付け加えますと、地方のローカル局のニュース番組は、地元で起きた小さなニュースでも報道するんですよ。「器物損壊の罪で、◯◯区の二十五歳の会社員が逮捕されました」「女性に抱きついた罪で、大学生が逮捕されました」などなど、キー局のニュース番組が報道しないような小さなニュースでも取り上げます。
ですから、過去に逮捕された経験のある方は、一度は自分の名前を検索してみてください。ひょっとしたら、犯した罪に関する記事が出てくるかもしれません。
さらに余談ですが、マスコミの報道の基準というのは分からない部分があるんですよ。まだ容疑者の段階なのに実名を報道するケースもあれば、「二十六歳の自称・会社員」「三十歳無職」などと報道される場合もあります。このあたり、どのような基準で分けているのでしょうか……話がズレますので、これ以上は語りませんが。
ここからが本題です。
二言目には、やれ実戦だの殺し合いだのと物騒なことを言う武術家は、いわゆる「実戦」をやったことがあるのでしょうか。その技を用いて、人を殺したり癒えない傷を負わせたりしたことがあるのでしょうか。
その結果、逮捕され刑務所に入ったことがあるのでしょうか。
まあ、その点に関しては敢えて問いません。人を殺した経験のない者が、人を殺せる技について語り指導する……個人的には奇妙な話だと思いますが、それについても良しとしましょう。もとより、古来より使われていた技を次の時代へと遺していく……という真摯な気持ちと謙虚な態度で、武術と向き合っている方もいるのでしょう。そういう方々を私は尊敬します。むしろ、そちらの方が多いとは思います。
しかし、前述のように……こういう人たちの中には「今の空手は武道ではない」「今の柔道はスポーツだ」などと言う者がいます。さらには「実戦なら有名な格闘家にも勝てる」と言い出す者までいます。
こういう自称・武術家が本当に強いのかどうか、それはわかりません。中には、物凄い達人がいるのかもしれません。ただ、言っていることはおかしいんですよ。
寸止めと呼ばれている伝統派の空手は、スポーツであると同時に立派な武道です。また、柔道も同じです。その世界でひたむきに汗を流し、一所懸命に打ち込んでいる人たちを「実戦的ではない」などという、定義もはっきりしていない曖昧な言葉でバカにする……これは、武術家の態度として相応しいものなのでしょうか。
そもそも、日本は安全面から言えば、世界でもトップクラスでしょう。蛇口を捻れば綺麗な水が出て、外には現金の入った自販機があっても壊されず、夜に若い女性がひとりで歩いても犯罪に遭うケースは少ない。ブラジルやメキシコのような国ならともかく、こんな治安のいい国で平和と安全を享受しつつ「実戦なら」「殺し合いなら」などとのたまう。さらには、実際に使ったこともない技を「知っている」というだけで、競技に一所懸命に打ち込んでいる選手たちをバカにする。この姿勢は、明らかにおかしいと思うんですよね。
現代の日本に生き、武術について語り「今の武道は、スポーツでしかない」と批判する。そんな資格があるのは、弱者を助けるために己の技で暴漢を病院送りにして逮捕され、刑務所に入れられた……そんな過去を持ちながら「同じ状況に遭ったら、また刑務所に入れられることを承知で私は拳を振るいます」と言い切るような人物だけだと思うんですよ。少なくとも、そんな経験も覚悟もないような人間が「実戦」について語り、さらに競技に打ち込む人間をバカにするのは間違っているのではないでしょうか。
蛇足かもしれませんが……私は去年の夏(2018年)、RIZINに出場した経験のあるプロ格闘家とスパーリングしました。その際、アクシデントから膝蹴りが額に当たり、ぱっくりと切れてしまいました。この膝蹴りが、私の顔面にまともに入っていたら、命にかかわる怪我を負っていたでしょうね。
その後一月ほど経ってから、なろうのオフ会に参加しました。その時に、医師をされているユーザーさんに額を見せたところ「これは痕が残るね」と言われました。その言葉の通り、傷痕は今も私の額に残っています。
一流のプロ格闘家は、素手で簡単に人を殺せる人種なんですよ。そんな人たちが全力でぶつかり合い、人体を破壊できる技を全力で打ち合う……それが格闘技です。スポーツとして認められているボクシングですら、一発のパンチが元で命を失うかもしれないんですよ。そこまでいかなくても、一生ものの怪我を負う可能性はあります。
格闘家は皆、命を失う覚悟を持って試合に臨んでいる……これは、決して大げさな言葉ではありません。その事実を、多くの人にも知っていただきたいですね。