そして僕らは人に成った。
二十歳になると成人したという。
しかしながら僕、日暮相馬は成人という言葉は嫌いだ。それは、今まで僕らは人ですらなかったのかと感じてしまうからだ。
人ですらない。この地球上でいらない生物を考えた時、わりとすぐに挙がりそうな人類ですらないと。微妙な気分になる。
乃安は家を出て修行の毎日を送り、僕と陽菜は二人暮らしに戻った。いや、戻ったとは言えない。陽菜はもうメイドでは無い。だったらこれは同棲とでも呼ぶべきだろう。高校一年生の時の毎日をどう呼ぶかはわからないけど。
陽菜は僕よりも一足先に成人した。
成人と言う言葉の正確な解釈に悩んだのはその時からだ。陽菜は僕にとって何にも代えられない、失うとか考えられないそんな存在だから。
こう言っていると、僕は人が嫌いなのかと疑いたくなる。
いや、嫌いなのだろう。
斜に構えた餓鬼の若気の至りというわけでも無く、嫌いなのだろう。暗い青年だな。でも僕は、人の美しさを知っている。
一日三回、陽菜に抱きしめてもらって、僕は安定を得る。
腕を広げて「どうぞ」という陽菜に甘えるのは、必要不可欠な時間だ。もはや依存というレベル。
幼児退行したのではと疑いたくなる僕が、成人して大人に仲間入りさせられるというのも変な気分だ。何か年金がどうのこうのとか言う手紙来たし。面倒だからゴミ箱に入れたら陽菜に怒られた。
そして一週間後、僕は二十歳になった。
別に何が変わるというわけでも無い。父さんからメールが届いていたけど。十九になった時は忘れていたらしいけど。何でこんな時に限って覚えているのだか……。
そんなに特別な事でも無いのに。
まぁ良いや。大学に行こう。
ベッドを降りて部屋を出ると、陽菜はもう起きていた。メイドを辞めても、毎日やっていたことを辞めるつもりが無いのは、僕の日課に対する思い入れと似たものを感じた。
「誕生日、おめでとうございます。相馬君」
「ありがとう」
「……反応が薄いですね」
「正直、どうでも良いっていうのかな? そんな感じ」
「私の誕生日はこれでもかって祝っていただいたと思いますけど」
「まぁ、うん。それは……」
「あんなに私の誕生日を祝ったのですからどうでも良いとか言わないでください」
「おっけ」
陽菜の目力の強さに素直に降参の意を示す。
「生まれなきゃ私たちは出会えませんでしたから。感謝しましょうよ」
「そうだね」
陽菜の、たまに詩的というかなんというか、そんな考え方はわりと好きではある。
「二十歳ってそんなに特別かな?」
「もちろん。特別ですよ」
今日は午前中は授業無いから陽菜と一緒に散歩にした。少し冷たい朝の空気が心地良い。少しずつではあるが、冬の香りが近づいてきている気がした。
「なんでかな」
「なんででしょうか」
理由は無いけど特別という事か。
理由はないけどそれは良い。僕とはいまいち相容れない考え方。けれどそれは、受け入れていかなければならない、そんな考え方。
結局物事全てにちゃんと理屈が通る理由を求めるなんて無理だ。これだけたくさんの人間がいる。暴論極論屁理屈理不尽を振りかざしてすべてをのしてきた人もいれば、清貧公明正大無垢に生きて譲り続けた人もいる。
二十歳の誕生日に、僕は何を考えているのだろう。
「この二十年、僕は何を成したかって言われたら、何もしてこなかったとしか答えられないや」
「あなたはすぐにそうやって焦りますね」
陽菜は呆れたようにそうぼやく。それでも見捨てないで隣にいてくれるから。
「今日は乃安さんも帰って来ますから、暗い顔はそこまでにしてくださいね」
「うん」
へこんでは立ち直るを繰り返してきた二年。陽菜がいなかったらとっくに折れていた。
何度も言う。僕は一人では生きていけない。それを確かめ続ける日々だ。
「朝比奈乃安、ただいま帰りました」
「うん。おかえり」
そう答えると、乃安は一瞬、どこか感慨深げな表情をした。
「莉々もすぐに来ますから」
「うん」
乃安はそう言って荷物を置いてまた外に出て、車からまた、今度は買い物袋を持って来た。
「今日の晩御飯の材料ですよ。最近冷えますからね」
「そっちの木箱は?」
「私の包丁ですよ」
「そんなに大きいの?」
「いえ、セットです」
勝手に開けて中を見る。短い物からなまはげが持ってそうな大きな包丁。しっかり手入れされているようで、思わずうっとりと見入ってしまう。
「おかえり、おかえりか……」
「乃安?」
「ここ、私の実家ということで良いですかね、先輩」
「急にどうしたのさ」
「いえ、あまりにも私が自然にただいまと言って、先輩が自然におかえりと返してくれたことが、何か、嬉しくなったのです」
「そんな大層な物かな」
「はい。もう、私も先輩もメイドではありません。きっと、派出所にもしばらく行くことは、無いと思います。特に私は」
乃安の言いたいことが、何となくわかった気がする。
「ここが帰る場所で良いよ。僕も旅にでるけど、でも、僕らがいない間もたまに来てくれたら嬉しいかな」
「それは任せてください!」
一瞬、縛り付けると浮かんだけど、でも、すぐに首を振って否定できた。帰る場所は、大事だ。どこにいても帰れるという場所は、僕らには必要だ。だから僕らは旅立つことの不安と興奮を実感できるのだ。
「莉々が来ましたね。この足音は莉々です」
乃安がそう言った瞬間、呼び鈴が鳴った。陽菜が出てくれたようで、すぐに君島さんがリビングに現れた。
「うわ、生きてやがる」
「久々に会ったんだからもっと何か無いの?」
「えっ、無いけど」
「無いのか……」
露骨にへこんで見せるけど君島さんは無視して乃安の横に立った。
仕方ないのでノートパソコンを開いて君島さんが作ったフリーゲームを攻略する。今回もまぁ、難しいと言えば難しい。
「……あんた、何ほいほい先に進んでいるのよ」
「そこ、そんなあっさりよけないでよ」
「いや、何で初見で倒してくれてんのよ」
「はー、ふざっけるな」
「君島さん、もっと集中させてよ」
君島さんの考え方ならというちょっとしたアドバンテージの結果だよとしか言えないや。
別に僕が二十歳になったから何かが変わるわけでは無い。電車はいつも通り動くし、みんな仕事や学校に普通に行く。何の特別感も無い。
別に不満は無い。
みんなからのお祝いのメッセージに返信を終えて、ベッドに横になる。まだ寝るには早いけど、別にやる事も無い。
「相馬君。入っても大丈夫ですね。入ります」
「うん。いつもながら正解だよ」
陽菜は、ワインボトルとグラス二個、そしてチーズを持っていた。
「どうですか? 初めての晩酌、お供したいので勝手に準備しました」
「あぁ、うん。是非」
「良かったです。今日のために用意しておいた甲斐がありました」
手慣れた手つきでボトルを空けて、グラスに注がれる。
「では、乾杯」
「乾杯」
グラスをぶつけないのが正確なマナーと陽菜に聞いたので、軽く掲げるだけ。
恐る恐る口を付けてみる。
陽菜がじっとこちらを見ていたので、一口飲んでみる。
「……イメージしてたのと違う」
「ぶどうジュースの大人バージョンと思っていたのですか?」
「うん」
これを美味しいと思える日が来るのかな。
「でも、不味くは無いよ」
「はい」
一杯飲み終わる頃。陽菜は肩にもたれ掛かってそのまま動かなくなった。
「ふふっ、一緒にこうして飲める日が来るなんて、幸せです」
うわ言のようにそう呟いているから、別に具合が悪いわけでは無さそうだけど。
陽菜は意外と弱いと発覚したのは先月の事か。
「そうだね。うん」
幸せね。
そう幸せ。
question 僕は今幸せか。
answer 幸せです。
ならオッケーだ。
心身が十分に成長した人、成人を辞書で引いたらそんな意味らしい。なら僕はまだ成人とは言いたくない。十九歳と十三か月目、僕はそう言おう。
思い立って書いた短編でございます。こんな風にちょくちょく更新できたら良いな。