7話 侵入
魔王とジェンナー家の食事会の次の日は爽やかな風と雲一つない青空だった。
だが、最高の天気であるはずなのに、村の空気は淀んでいた。
なぜなら、
「化け物だ…森に化け物がいたんだ…」
エイルによって治療され、治ったばかりの腕を擦りながら猟師は声震わせた。
彼は朝方に森に入り、得体の知れないモンスターに襲われたと言った。
右肘から肩にいたる深い傷を負っていた彼を村の青年達が担いできたが、他にも多くの怪我人がエルドス診療所に押し掛けていた。
ある者は足を、またある者は背中を引き裂かれ、みな血だらけまま診察を受けていた。
十人目の治療を終えたエイルは、疲れ果てたように壁に背中をくっけて座り込み、
「みんな爪で引き裂かれたみたいな傷……新種のモンスターがいるのは確実みたいですね」
「それも、相当デカいらしいな。一振りで致命傷をあたえる攻撃力をもってて、尚且つ大食漢……普通に危険すぎるだろ」
机に散らばった包帯や薬品の入った瓶を丁寧に元あった位置に戻しつつ、魔王が呟いた。
現在診療所の所長であるエルドスは村の自警団と共に森に入り、問題の新種モンスターを捜索しているので、エイルとティトーが主に治療を行っている。
回復魔法を使い続けたことにより、エイルはかなり疲弊していた。
「一応、魔力は節約してるつもりなんですけど…元から魔力が少ないからかな」
疲労と睡魔、寒気がエイルに襲いかかる。
オドで精製される魔力の量が少ないエイルは補助を増やすことで魔法の威力を高めているが、まだ元気そうなティトーに比べると効率はよくない。
「おまえも大丈夫か?辛いなら休んでても──あいったあああああああ!!!」
「うっせえ!なーにしれっとまだいるんだ変態!」
労いの言葉をかけた魔王に思い切りグーパンをぶつけるティトー。
モンスター騒ぎのせいで村全体がパニックになっていたため、帰りを心配したエミリアとセシリアによって魔王は急遽ジェンナー家に泊まることになった。
翌日になってもモンスターは見つからず、むしろその混乱は高まり、診療所に怪我人が押し掛けているため、臨時で魔王が手伝っている。
魔王は回復魔法が使えないようなので、仕事はもっぱら受付と応急処置の包帯巻きぐらいだ。
「こ、このクソガキ!人がせっかく労ってやったていうのに…!」
「けっ!どうせ新種のモンスターってのも、変態の仕業じゃねえのか?」
「そんなわけないだろ!大体、そんなのいたら勇者にボコされて封印なんてされないぞ!!」
「ですよねー」
魔王の経緯を知らないティトーは警戒しているようだ。
モンスターの出現と魔王がこの村に来た時期が完璧に被っているので怪しんでも不思議でないが、魔王の事情を知るエイルはただ苦笑いするしなかい。
すると、
「ティトー、こっちへ来てちょうだい!」
母のセシリアがひょっこりと顔をだし、ティトーに向かって手招きした。
ティトーは途端に顔を輝かせて、
「なにっ!もしかしてモンスター退治に──」
「ティトーはお留守番って言ったでしょ。薬が足りなくなってきたから、新しく調合してちょうだい」
ティトーが言い終わる前にセシリアが言葉を遮り、用件を素早く伝える。
「薬の調合なんて親父でもねーちゃんでも変わんねえだろ!なんで俺が…!」
「モンスターに襲われてもその屍で薬を作れるのよ?『アクスラピア』の魔法は過酷な無人島生活でも役立つんだから」
「そんな状況絶対にこない!…い、いやだああああ…!」
「ほらほら早く準備しなさい。エイルは魔力を使いすぎたみたいだから、休憩してていいわよ。マオウさんもあまり無理をしないでくださいね」
「昨日から俺の扱いが雑なんだけどおおお!」
セシリアはティトーを引きずり、無理やり部屋の外に連れていった。
ジェンナー家は回復魔法を得意とする家系であり、回復専門の職業である『アクスラピア』を昔から多く輩出し、父親のエルドスや祖母のエミリアもアクスラピアである。
アクスラピアは主にモンスターを原料に薬を作る。特別な呪文と魔法陣を用い、ゆっくりと魔力を込めていくのだ。
だが材料がモンスターであるため抵抗を持つ者も多く、臭いもかなりキツイ。
薬の効力は高いが、こういった背景から最近はアクスラピアになる者は少ない。
エイルはエルドスからアクスラピアになるための指南を受けているが、ティトーはアクスラピアになること自体あまり興味がないようだ。
「……大丈夫かな」
ゆっくりとエイルは立ち上がり、窓の前に立つ。
昨日感じた不安が今も胸に残っており、朝から森にはいった討伐隊の身を案じている。
「心配なのか?」
「……討伐隊の人はみんな強いです、戦えない私が心配する必要がないくらいに。でも、不安がとまらないんです…」
「…どう感じたんだ?」
魔王がエイルの隣に立つ。
エイルは憂いを秘めた瞳で外の景色を見つめて、
「自分もわからないんです。どうしてこんなにも不安になるのか…」
ティトーは怒るかもしれないが、今回の討伐に選ばれなくて心から安心している自分がいる。
それほどまでに、理由のない不安がエイルを襲い続けていたのだ。
すると、
「なあ、エイル。ちょっと頼みがあるんだが──」
魔王がゆっくりとエイルの顔を見た。
真剣な眼差しにエイルは息を飲み、魔王の次の言葉を待つ。
「ちょっと、森を案内してくれないか?」
※※※※※※※※※※※※※※※※※
──ゴキリ
──バキリ
──ゴキッ!バキバキッ!!
──ア 、アアアアアアア……!!!
モンスターは人間に対しては過剰に反応し、森にすむウサギや狼などの動物はあまり襲わない。
また、そこそこ知能があるのか、無謀に村に侵入することもない。
「なぜ『人間』に執着するのか、モンスターについては分からないことが多いです」
森を魔王と歩きながら、エイルはモンスターについての説明をする。
なぜ他の動物より人間を求めるのか。
魔法が使えない動物を襲う方が明らかに効率はいい。
だが、これには理由があるとされている。
「モンスターはおそらく、人間を食料目的だけで襲っているわけではありません。目的は……私たちの持つ魔力精製器官──オド」
人間以外の動物は基本的にオドを持たない。
モンスターは己のオドのために人間のオドを食らうと考えられている。
しばらく森を歩き続けていたエイルは足をとめ、
「ここから先はモンスターの巣が多くなります。基本的に立ち入り禁止、ですけど…」
二人が今いるのはエイルが儀式を行った場所で、モンスターが多く出没する森の中部はその一歩先だ。
立ち入らないように低め柵が設けられている。
だが、
「ま、今回は失礼して…よいしょっと」
「……本当に大丈夫かなぁ…」
魔王は柵をよじ登り、危険地帯へと足を踏み入れる。
不安を顔に浮かべるエイルも渋々後に続く。
魔王の頼みは森の案内──それもモンスタースポットがある奥地の。
モンスタースポットとはモンスターが巣を作り、群れを形成することで巨大化したモンスターの生息地、人間でいう集落みたいなものだ。
討伐隊すら近づかない危険地帯だが、魔王は迷いなく進んでいく。
だがしばらく歩き続けていると、突然魔王が立ち止まった。
「おっと、魔王さん?」
魔王の背中に少しぶつかったエイルは不思議そうに魔王の名前を呼ぶ。
魔王は振り返り、そして──。
「ああ、そうだエイル」
「はい?」
「動くなよ」
エイルが声を発するより先に魔王が動いた。
まるで透明な剣をもつように宙で手を動かし、エイルのすぐ右横に向かって突き出したのだ。
そして、
「───ガ、アアアアアアアアアア!!!!」
けたたましい獣の鳴き声とともに血が飛び散る。
魔王の言葉を無視して後ろを振り返ると、魔王の手の先に一匹の狼型のモンスター、ヴェアウルフがもがきながら宙に浮いていた。
その姿は透明な剣に心臓を突かれたようだ。
どうやらエイルの背後にモンスターが潜んでいたようで、王が気がつかなかったら、そう思うと急にエイルに恐怖が襲いかかった。
ヴェアウルフの鋭い目が赤く光る。
すると、ヴェアウルフの真下の地面の土塊が勢いよく浮き上がり、魔王の腕を攻撃した。
「っあ!?こいつまだ──!」
魔王は血が滴る腕を別の手で押さえ、慌てて身を引く。
だが、ヴェアウルフは振り向かなかった。一心不乱に走り、森の奥へと消えていった。
「ま、魔王さんッ!」
エイルは慌てて魔王に駆け寄り、腕の傷を見る。
傷は致命傷ではないが、放置しても治りそうにないほどに深かった。
「わりぃ、ちょっとしくじった…いっ…!」
「動かないでください。ゆっくり、息をして……」
エイルな腰のポーチから透明な液体が入った小瓶を取り出す。
小瓶の液体を手のひらに出し、
「ゆっくり、ゆっくりと息を吸って、吐いて」
傷を負った魔王の腕に優しく液体を塗っていく。
一通り塗り終えると、右手を魔王の腕にかざし、
「我の指先はアスクレピオスの杖なり。治癒を司る精霊よ、汝の力で穢れを払いたまえ《ウンディート・アクア》」
呪文を詠唱を終えた直後、魔王の腕に塗られた液体が淡い緑色の光を放つ。
ゆっくりと傷が塞がっていき、
「──すごい」
魔王の感嘆の声をあげた。
腕の傷は完全に元の状態に戻り、魔王は状態を確認するように軽く腕を動かした。
「これなら、化け物に遭遇しても大丈夫だな」
冗談を言うように魔王が笑う。
だが、
「回復魔法は万能ではないです」
エイルは真剣な眼差しで自身の手のひらを見つめる。
「傷は癒せても、切断された身体を完全にもどすことはできません。人間の身体はとても複雑ですから」
回復魔法の原理はあくまで身体の自然治癒の手助け。
傷や病に犯された身体の治癒能力を高め、治癒していく。
だが、切り離された人体を『治療』するとなると魔法の技術でも対応しきれない。
なぜなら骨や筋肉といった複雑な人体の部分まで考えなければならないからだ。知識がない状態で魔法を使えば身体を無茶苦茶にしてしまう。
もちろん、正しい知識と豊富な経験、技術をもった者なら切断された部位を治癒することも可能だが、できる者はほとんどいない。
少なくとも、エイルはエルドスぐらいしか知らない。
「だから、あんまり無理はしてほしくないです」
「……悪かった。気持ちのいい冗談じゃなかったな」
素直にエイルに謝罪する魔王。
エイルは安心したように表情を緩め、
「でも、魔王さんが無事でよかったです。こんなに奥まで森に来ることなんてありませんから、モンスターには気を付けないと」
エイル達が森に入って すでにかなりの時間が経過していた。
まだ昼過ぎの時間帯だか、光を遮る森の木々によって辺りは薄暗い。
まさにモンスターにとっては格好の狩り場だ。
すると、
─────バキッ。
「……音?」
まるで硬いものを噛み砕くような音。
森の木の枝が折れたのだろうと最初は思ったが、
──バキリ、ゴキリ。
──ゴキッ!バキバキッ!!
「……っ!」
一度や二度ではない。
何度も音は連続し、酷く不安を煽るように木霊する。
「…おかしいと思わないか?」
突然魔王が問いかけた。
問い、というより独り言に近い言葉にエイルは身を固くした。
「何人もこの森で化け物に襲われた。なのに、死者が一人もいない」
「そ、それは…」
先ほどのヴェアウルフは本気でエイルを殺そうとしていた。
死人がいないことは確かに喜ぶべきことだが、人間と敵対するモンスターなら、獲物を生きて帰すなど考えられない。
怪我を負わせただけで命を刈り取らない、そのことにエイルは初めて疑問を抱いた。
「捕食目的じゃない……?」
「その答えは、この奥だ」
魔王がヴェアウルフが走り去った先を指差す。
木々が生い茂り一段と暗い道は、モンスターの胃袋のように先が見えず、不気味だった。
「……覚悟はいいか?」
エイルは魔王の言葉に無言で頷く。
ゆっくりと、魔王を先頭に奥へと進んでいく。
落ち葉が腐敗した匂いが立ち込め、雨水が染み込んだ土が足を動かすたびにぐちゃぐちゃと音をたてる。
同時に奥から鳴りやまない鈍い音が響く。
段々と大きくなる不気味な音に、エイルの肌の毛が逆立つ。
そして、
──ぴちゃり。
足音が突然変わった。
どうやら水溜まりを踏んだようで、靴裏に液体がこびりつく不快感が広がる。
辺りはとても暗い。だから液体の色もうまく判別できない。
それにも関わらず本能的にエイルは理解した。
立ち込める鉄臭い匂い、周囲に散らばる毛の生えた肉片。
血の池が広がり、無惨に食い散らかされたモンスターの死骸が溢れるその先に『それ』はいた。
「……っ」
───バキバキバキッ!!!!
───ゴギッ!ゴギッ!!
硬いものを無理やり砕くような音。
ゆっくりと、『それ』は振り返った。
血のように赤い瞳、蛇を連想させる瞳孔。
『化け物』がゆっくりとエイルと魔王を見据えていた。