65話 キマイラ
ギルドからの緊急招集を受け、エイルとエアは大慌てでニップルに戻ってきた。クラーピスに案内された客間でアポリュオンと共にソファーで他の参加者を待っていると、
「……はあ、急に呼び出してモンスターを解剖しろとは……相変わらずレベリオは人使いが荒い」
扉が開き、ギルドバドディビラ支部唯一の職員にして、テレーズが入ってきた。テレーズはぐったりとした様子でもう一つのソファーに倒れた。
「テレーズさんもいらっしゃったんですね」
「……ギルドが使役してる使い魔が飛んで来たからね。たぶん、マリー姉が寄越したんだろう」
「マリー姉?」
マリー姉とは誰だろう。そんな疑問を抱いていると、再びドアが開いて今度はクラーピスが入ってきた。
クラーピスはだらけているテレーズを見ると、眉をひそめた。テレーズの首根っこを掴むと、
「人前でみっともない態度を取らないでください。あなたはギルド職員、それもバドディビラ支部の責任者なんですから、もっと毅然とした態度を取ってください」
「……マリー姉は人の心が分かってない。朝心地よく寝ている時に叩き起こされて、グロテスクな死体を見せられ解剖させられたんだ。私のライフはとっくにゼロだよ」
「意味の分からないこと言ってないで姿勢を正してきちんと座ってください。あなたがそんな態度だと、ギルドや主の品格まで落ちるんですよ」
「……マリー姉は真面目すぎる…融通が聞かないとも言う……はあ」
クラーピスに怒られ、テレーズは渋々身体を起こした。
クラーピスとテレーズ、二人とも同じ赤毛だ。よく見ると顔立ちも少し似ている。
エイルはハッとしたように声を上げ、
「も、もしかしてクラーピスさんとテレーズさんって姉妹なんですか!?」
「……うん、私とマリー姉さんは姉妹だよ。もう一人の姉さんと合わせて、ギルドのゴルゴーン三姉妹なんて呼ばれるね」
「でも、クラーピスさんの名前って……あ、あれ?」
「……ああ、君はマリー姉の本名を知らないのか、クラーピスはミドルネームだよ。本名はマリー・クラーピス――」
「テレーズ!余計なことを言わないでください!それに私はマリーと呼ばれるのが嫌いです、次マリーと呼んだら首をはねますからね!!」
「……おっと、下手に藪をつついて蛇を出したくないし、これ以上は止めておくよ」
「全くもう……!」
クラーピスは顔を真っ赤にして怒鳴ると、そっぽを向いた。頬を膨らませてむくれている姿が愛らしい。
初めてクラーピスが声を荒げるところを見た。いつも冷静で物静かな、仕事のできる大人の女性といったイメージだったが、
「ちょっと意外で可愛いです」
「エイル・ジェンナー、何か言いましたか?」
「い、いいえ!何も!」
氷のように冷たい瞳で睨まれ、エイルは慌てて視線を反らした。
これ以上藪をつつくと蛇に噛み殺されそうだ。
そもそもここには雑談しに来たわけではない。大切な話――新たなモンスターについて話すために集まったのだ。
すると、扉が開いてレイナと王宮騎士団の騎士ロミオ、ギルド長レベリオが入ってきた。
「レイナさん!だ、大丈夫でしたか!?」
「あら、エイル。そんなに慌ててどうしたの?」
「レイナさんが裏クエストの調査中にあの変な化け物みたいなモンスターに襲われたってアポリュオンさんから聞いて……レイナさんは見てないんですか?」
「ああ、あの変なモンスターね。頭をかち割ったら事切れたわよ」
レイナは涼しい顔で言った。エイルにとっては強敵でも、マトゥル騎士団の一員であったレイナには造作もない相手だったようだ。
「本当に大丈夫か?触手と女勇者といったら、女勇者が触手に襲われる王道の展開が――フゴオッ!?」
「魔王、殴り殺すわよ」
「もう殴ってるから!ヒイイイイッ!?」
「エアさん……」
レイナの拳がエアの顔面に直撃した。また変なことを言ってレイナを怒らせたようだ。
緊急招集だというのに、いまいち緊張感がない。
すると、レベリオがパンと手を叩いた。一瞬で部屋が静まりかえる。
「盛り上がってるところ悪いが、会議を始めさせてもらう。クラーピス、報告を頼む」
「はい」
「先刻、ラルサ、シッパルそしてバドディビラにて新種のモンスターが確認されました。このモンスターは主に妖精を補食していたようです」
「妖精を?」
エイルが声を上げると、テレーズが懐から紙を取りだし、机の上に挙げた。
紙にはエイル達が対峙したモンスターの解剖図が詳細に描かれている。テレーズは胃袋の部分を指差すと、
「……このモンスターの胃の中には妖精の羽、つまり妖精のオドが入っていた。妖精なんて滅多に会える種じゃない。誰かが妖精の巣に意図的にこのモンスターを放ったんだ」
「ラルサ、シッパル、バドディビラ。どの街も過去に妖精狩りがあった場所ね」
「妖精狩り……ですか」
エイルが首を傾げると、レイナの表情が険しくなった。
忌々しそうに、そして吐き捨てるように、
「人間は……いつだって身勝手よ」
レイナと妖精、そして妖精狩り。過去に何があったのか、エイルには分からない。だが、レイナの苦しそうな表情を見れば、軽々しく聞けない事柄であることがよく理解できた。
テレーズは解剖図を指差しながら、
「……妖精の魔力は希少な『永遠』という属性を帯びているんだ。妖精のオドは人間やモンスターと比べ物にならないくらい高度で発達していて、小さな身体に強い魔力を秘めている」
「永遠……」
永遠。その単語に不思議とエイルの胸が高鳴った。否、エイルだけはないだろう。永遠は誰もが追い求めるもの。
何故、妖精狩りが行われるのか。ほんの少し予想がついた。
「……妖精の魔力を魔具や薬、肉体に取り込めば一時的とはいえ強い力を発揮できる。それこそ、過去の諸人達が望んだ不老不死に近いことだってできる。如何なる傷も癒え、決して衰えない。限りある人間にとっては夢の素材だ」
「だから、妖精が狙われてしまう……」
「………」
エイルの肩に座っていたパナケイアの小さな身体がピクリと震えた。
そうだ。初めてパナケイアと会ったとき、彼女は檻の中にいた。理不尽な理由で人間に襲われ、捕らえられ、怪我をした。
だから、心を閉ざした。
「……妖精は不老であっても不死じゃない。オドである羽を奪われれば、簡単に死ぬ。妖精の永遠という性質は、その魔力を作り出す『オド』――羽があるこそ成り立つんだ。数年前にあった大規模な裏クエストでは、亜人狩りや妖精狩りが頻発していたよ」
「………」
妖精、永遠、裏クエスト、そして妖精狩り。
ガルーから裏クエストのことを聞いた。それでも、エイルは何も分かっていなかったのだ。妖精達が受けてきた苦しみを。人間が亜人達に何をしてきたのかを。
ニップルという冒険者が集う街の闇。冒険者達の負の一面。
輝くような冒険の日々ばかりに目を向けていたエイルは、今やっと、ニップルという街を知った。
「ん?妖精って中々見つからねぇんだろ?何で裏クエストや妖精狩りが起こるんだ?」
エアの素朴な疑問に、エイルも頷く。
すると、マリーことクラーピスが口を開いた。
「裏クエストが起こる前は、妖精も人間に興味を持っていました。人間の技術や惹かれ、森を出てくる個体もたくさんいました。妖精は臆病ですが純粋で好奇心旺盛。簡単に騙されて羽をもがれたんです」
「……でも妖精狩りで滅多に姿を見せなくなった。人間に対する不信感も強い。森の奥深くに住んでいることは分っているけど、具体的な住処は誰にも分からない。妖精を探すのは無理ゲーだよ」
クラーピスの話にテレーズが補足説明を加えた。つまり、妖精が人間の前に姿を現さなくなったのは人間のせい、ということだ。
「その割には勇者は妖精と仲良さそうじゃねぇか?勇者も妖精の住処は分かんねぇのか?」
「妖精は間じ森に住む妖精で部族を形成し集落を作る。部族は絶対で、たとえ妖精同士でも部族が違えば敵対し、争うことだってある。私はあくまで妖精に懐かれやすいだけ。全部族の妖精と交友があるわけじゃないわ」
「ふーん、勇者にも分からねぇってことか――って殴るな殴るな本気で殴るな!!」
「妖精も人間と同じで社会的で排他的な生き物よ。全ての妖精を一括に考えてほしくないわ。それに人間だって、他人のことはよく知らないじゃない」
「悪かった悪かった!だから殴るな!ぐえっ!?」
「レイナさん落ち着いて。でも、どうしてこの……えっとモンスターみたいな生き物は妖精が住む場所にばかり現れたんでしょうか?」
妖精を知っている者は非常に少ない。加えて森に結界を張って人間を惑わさせる。
しかし、エイル達が対峙したモンスター(?)は妖精を狩っていた。そして現在、妖精狩りを行っていた冒険達はどのようにして妖精の住処を見つけたのだろうか。
無意思にエイルは自分の身体が緊張していてことに気がついた。重苦しくなっていく部屋の空気。エイルの脳裏に、ある存在がよぎる。
レイナはエアをタコ殴りにするのをやめると、
「レベリオ、魔王軍の様子は?」
「新たな魔王の擁立はなく、ウシュムガルも確認されていない。現在、人間世界でほ魔王軍の活は完全に停止している」
「気持ち悪いわね。雑魚魔王を散々立てておいて、今さら何の動きも見せないなんて」
「マスカルウィンでの攻防が大きな打撃になったか、それとも何か企みをしているのか……どちらにせよ、魔王軍の関連は考慮すべきだろう」
マスカルウィンでリリスとウシュムガルを退けて以降、魔王軍は全く動きを見せなかった。
しかしまた魔王軍が動き出し、人間世界に――マートティアに侵攻する準備を進めているとしたら。
握りしめた拳に汗がじんわりと滲む。またウシュムガルのような化け物と戦うのだろうか。
ギルドで請け負う討伐クエストのモンスターとはまるで違う存在。勇者であるレイナも魔王のエアも、苦戦し傷を負った。
身体が緊張と恐怖でうまく動かない。もう一度魔王軍に立ち向かうのは怖い。何度も死にかけたのだから。
けれど。
エイルは逃げたくなかった。冒険者になった。まだ夢を叶えたばかりで、レイナとエアともっと一緒にいたいと気がついたばかりなのだ。
そして何より、パナケイアを元の居場所に返してあげたい。
魔王軍は恐ろしい。それでも、エイルには引けない理由がある。
エイルはまっすぐ前を見据え、力強い声で宣言する。
「私、モンスターと戦うのはまだ怖いです。血の魔法のこともまだ分からないことだらけです。……でも私は逃げたくありません。レイナさんとエアさん、一緒に冒険する仲間をやっと見つけました。どんなに恐くても、二人がいてくれるなら前に進める……そんな気がするんです」
「エイル……」
「私、魔王軍と戦います。だからこのモンスターのことを教えてください。魔王軍と関係があるのなら、ウシュムガルと戦った時のことが役に立つかもしれないので――」
「……今回の事件は魔王軍と関係ないよ」
「そう、魔王軍と関係なくても……へ?」
「……『コレ』は魔王軍が作った怪物じゃないよ。断言する」
テレーズの言葉で再び部屋の空気が静まりかえった。先程までの真面目な空気は遠くへと吹き飛び、困惑と恥じらいでエイルの顔が徐々に高潮していく。
「か、関係ないって本当ですか……?」
「……うん。全然。これっぽっちも関係ない」
「………」
「エイル?すっげぇ微妙な顔で硬直してるけど大丈夫か?」
「ううう……恥ずかしい……」
硬直していたエイルの身体がプルプルと震えだす。絞り出すような小さな声でポツリと呟くと、赤面し涙目になった顔を両手で隠した。
湯気が出そうなほど顔が熱い。気持ちが高まっていたとはいえ、やたらカッコつけたことを言ってしまった。
はあ、クラーピスは溜息をつくとテレーズを諫めた。
「魔王軍と関係ないなら先に言いなさいテレーズ。時間の無駄です」
そこにエイルへの優しさはなかったが。
「……いい事言ってたし止めるのも憚られたからね。うん、勇ましくてかっこよかったよ。『どんなに恐くても、二人がいてくれるなら前に進める』……ひゅう、シビれて憧れちゃうねえ」
「ぴぎゃああああああああああああ!!!!」
エイルのメンタルはゴリゴリと削られ、叫び声と共に両膝をついた。言葉に嘘偽りなど一つもないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
エイルが身悶えていると、レベリオはこほんと咳払いした。話がかなり脱線してしまった。
エイルは顔を赤らめたまま席に戻った。
「話を戻そう。テレーズ、魔王軍が関係していないとはどういうことだい?」
「……魔王軍が作ったにしては、このモンスターは『雑』すぎる。これじゃあ、活動する前に肉体が崩壊する」
「やはりそうか……エイルくん。君は『コレ』を見たとき、どう思ったかい?」
「へ?」
突然レベリオから話を振られ、エイルは赤面のまま顔を上げた。
しかしすぐにレベリオの険しい表情から、ただ事ではない状況だと感じ取った。たとえ魔王軍と関係がなくとも、今回の事件に自分は関わるだろう。
ウシュムガルと邂逅した日、戦ったあの日。
記憶の糸を手繰り寄せ、繋がりを探す。
そう、ウシュムガルには違和感があった。それは、
「ウシュムガルを初めて見た時、違和感があったんです」
「それはなんだい?」
「上手く言葉にできないんですけど……どのモンスターとも違うはずなのに、どこかで見たことがある部分があったり……そう、まるで色々な種類のモンスターを組み合わせた、ような…」
「……うん、その通りだよ」
「え?」
「……ウシュムガルは今わかるだけでも七種類のモンスターの特徴を有している。つまり、ウシュムガルは七種のモンスターを無理矢理くっつけて人工的に作られたモンスターなんだ」
「人工的?そんなことできるんですか?」
「……僕達は新たに生命を創造することはできない。それは神にしかできない所業だからね。でも、生命を弄ることはできる。高い技術と年月が必要だけどね」
「なるほどな。だから魔王軍はウシュムガルを完成させるまで人間界に手を出さなかったのか。わざわざ魔王を立てて、人間の目を誤魔化して……チッ、つくづく腹が立つぜ」
アピスは苛立ち、口を曲げて吐き捨てた。
魔王軍はウシュムガルという新たな種を産み出すために表舞台から姿を消していた。そしてようやくウシュムガルが誕生し、人間界マートティアを攻撃したのだ。
「……魔王軍の拠点には研究室……人工モンスターを作る場所もあった。彼らがモンスターを製造する技術があるのは確かだよ。でも、これは違う。明らかに作りがお粗末」
「粗末ってことは、明確な違いがあるんですか?」
「……一番わかりやすいのは、オドの大きさだね。オドの大きさは肉体に比例する。けれど、このモンスターはオドが大きすぎる。これじゃあ肉体と魔力量が釣り合わない。すぐに中毒症状を起こして暴走する」
「でも、モンスターは普通に動いていましたよね?再生能力だって高くて……暴走しているようにはとても」
「なるほど、だから妖精の羽を喰らっていたのね」
「……?うーんと……?」
エイルは難しくなっていく話に首を傾げた。魔王のウシュムガルと似て非なる存在。腹に大量に入っていた妖精の羽。
エイルは助けを求めるようにレイナを見た。小さくため息をつくと、レイナは静かに言った。
「妖精のオドは永遠の属性を帯びてるって言ったでしょ?妖精のオドの力を使って、ボロボロの肉体を無理矢理繋ぎ止めていたのよ」
「あっ!なるほど!」
ポンとエイルは手をうち、首を縦に振って納得した。
モンスターは不釣り合いなオドによって傷ついている。ならば、永遠という特殊な属性を帯びた妖精のオドによって肉体を強化し活動しているのだ。
「……自然のものを使った再生能力も、自然とともに生きる妖精の力の一端だろうね。まったく、作った奴はナンセンスだ。いい素材を使ってガラクタを作っているようなものだよ」
テレーズは眉間にシワを寄せた。製造に携わる者として、今回の件の当事者に何か思うところがあるようだ。
一方、エイルは少しホッとしていた。
「とにかく、今回は魔王軍とは関係ないんですね」
「安心はできない。粗末な作りとはいえ、魔王軍に近い技術を持っている個人または組織があるということだ」
しかし、レベリオの言葉にエイルの背筋に緊張が走った。魔王軍と同じ技術を持ち、人間を脅かす存在。
新たな問題に、エイルは身を引き締めるのだった。