63話 悪意との邂逅
「私達、何かが足りないと思うのよ」
「は、はあ。どうされたんですか、シャルロットさん。また突然に……」
「いつになく神妙だな。ついに店を畳む覚悟が―――って嘘だって!泣くな、悪かったナギ!」
「……うう」
猫メイド喫茶のオーナーフレデリカとの勝負宣言から数日経過した今日、エイルとエアは叩き起こされ、酒場の広間に呼び出された。
重苦しい空気から何となく話題は読めている。
連日、酒場の売上は芳しくない。
常連客は何人か来てくれるが、フレデリカの店の前に行列ができる度にシャルロットの怒りは募り、ナギやアルバイト二人は暇を持て余していた。
「味、内装、接客、それなりに頑張ってきたご近所付き合い……あの女に負ける要素なんて何もない、ないはずなのよ!あいつにお客を取られ、人気を見せつけられるなんて……屈辱……!」
怒りと憎しみの炎を燃やすシャルロット。ギリッ、奥歯を噛み締める音がやけに恐ろしい。
このままではシャルロットの怒りが爆発するだけはなく、酒場の立ち行きそのものが怪しくなる。
もし店が潰れてしまえば、ただのアルバイトであるエイルとエアは路頭に迷う。エイルの持つ『魔法』を解明できないまま最悪、資金難のため冒険団解散なんてこともありえる。
「一体何が足りないというの!?お金、権力?それともお色気?なら、露出を増やしてさらにおさわりもサービスするしか……」
「シャルロットがどんどん迷走していく……なあエイル、何かないか?」
「私ですか?うーん、そうですね」
ナギの背中を「よしよし」とさすりながら、エイルは少し考えて、
「インパクト……じゃないでしょうか?」
「インパクト?何だそれ?」
「フレデリカさんのお店、可愛い制服や斬新なメニューにオプション、新しいことをたくさん取り入れていましたよね。やっぱり、そういうものって目立ちますし話題になると思うんです」
喫茶店で食べた不思議な料理やメイドさんによる接客、それらはどれもエイルにとって初めてのことだった。
美味しいだけではなく『楽しむ』という要素がお客さんの心を掴み、評判が冒険者の中で広がっていったのだろう。
「なら、私たちも見習って全く新しいことをやってみるのはどうでしょうか?話題が広がれば、いい宣伝にもなりますし」
「なるほど、一理あるわね。でも新しいことって何かしら……」
「それはまだ考え中で……新メニューとか、コンセプトでまとめてみるとか……」
「やっぱりお色気とおさわりかしら」
「できればお色気以外でお願いします。セクハラと労働基準法違反でギルドに訴えますよ」
「可愛さを押し出すとフレデリカの店と被って二番煎じになりそうだな」
「……ふむ」
一同は口を閉ざし、考え込む。今この会議に酒場の未来がかかっているといっても過言ではない。
「可愛いじゃなくて、インパクトがあって、冒険者の心を鷲掴みにするようなコンセプト……そんなものあるのかし―――ん?」
「……?何だよ、俺の顔をじっと見て」
「そうよ、これだわ!!」
シャルロットはエアの顔を見て何かを思いついたようで、エアの頭――正確には角を指さした。
突然指を指されたエアは何のことか分からずキョトンと呆けていたが、シャルロットは一人満足した様子で部屋を出ていき、大量の黒い布を抱えて戻ってきた。
「さあ今日は準備で忙しいから酒場は夜までお休みよ。二人は食材の調達、ナギは内装、私は衣装を仕上げちゃうから。はい、みんな散った散った!」
一気に指示を出すと、シャルロットは黙々と集中して布を切り、どこからか持ってきた衣装に縫い付け始めた。
いまいち状況を理解できないが、とりあえず三人はシャルロットの指示通りに動くことにした。
「それじゃあ、私たちはそろそろバドディビラに仕掛けた罠を見に行きましょうか。シャルロットさんの企みの役に立つかもしれませんから」
「バージドデリスがいたら、の話だけどな」
「朝から騒がしいわね。ま、いいけど」
階段を降りる足音と共にレイナがいつもの澄まし顔で現れた。
マトゥル騎士団の騎士服を完璧に着こなし、艶やかな紫髪を揺らす。凛としたその姿にエイルは毎日見とれていた。
「レイナさん、おはようございます!私たち、これからバドディビラに仕掛けた罠を見にいきますけど、レイナさんも一緒に行きませんか?」
「勇者なんかほっとけ。どうせ今日も騎士団のやつらと仕事だろ」
「ええ。ポンコツ魔王くせによく分かってわね。むかつくから死になさい」
「何でだよ!!」
「まあまあ……一緒に行けないのは残念ですけど、お仕事頑張ってくださいね」
レイナとエアが低レベルの口喧嘩をして、エイルが仲裁に入る。これもいつものことだ。
しかし、ここ数日のレイナは騎士団と行動を共にすることが多い。ベテランの冒険者として、ギルドと騎士団を繋ぐ要として重宝されているレイナは朝早く出かけては夜遅くに帰ってくる。
仕方がないこととはいえ、三人一緒にいる時間が減ったことをエイルは少し寂しく思っていた。同時に心配もしていて、
「レイナさん、最近忙しそうですね。毎日帰りが遅いみたいですし………ふえ?」
「心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫よ。……エイルって小動物みたいね。あなたを見ていると、気が抜けちゃうわ」
「え!?私、そんなに間抜けな顔してますか……」
「小さくて可愛いってことよ。……じゃあね」
突然レイナがエイルの頭を撫でた。
その目が慈愛に満ちていて、どこか寂しげだったのは気のせいだろうか。
それ以上レイナは何も言わず、酒場を出ていった。
レイナの少し変わった様子に後ろ髪を引かれる思いだったが、朝日と共に騒がしくなっていく街の音に意識に戻された。
「……!」
エイルの髪が揺れ、隠れていた妖精パナケイアがひょっこりと顔を出す。
パナケイアを肩の上に乗せると、エイルは気持ちを切り替えるように宣言して、
「それじゃあ、私たちも出掛けましょうか。目指せバドディビラ、です!」
「ああ、そうだな。……というか生意気妖精、おまえずっとそこにいたのかよ」
「何だか気に入られちゃって……あはは」
「……♪」
※※※※※※※※※※※※※※※※※
バージドデリスは希少価値に高いモンスターで、数多の人間を虜にしたお肉を持つ。その究極の美食を求め、戦争すら起きたという。
なので、
「……いませんね、バージドデリス」
「知ってた、うん。超レア級モンスターがそう簡単に捕まるわけないって」
空っぽの檻を三つ回収した二人の心は早くも折れかけていた。
餌だけが綺麗に無くなり、檻の中にはモンスターや小動物達の糞だけが残されている。
「この調子だと、残りの二つも期待できそうにねぇな。……はぁ、いくらなんでも、幻のお肉をたった罠五つで捕獲しようとしてんのが間違いなんじゃねぇか?」
「バドディビラの原生林は女神アスタルテの聖域があることに加えて、採集禁止の希少植物を保護するための保護区域が設けられているそうで、迂闊に罠を設置できないんです」
手付かずの原生林であるため、この森には貴重な植物が多い。中には人間に対して有害で、採集が禁止されている違法なものもある。
数年前まで密漁者が相次ぎ、森を荒らされることも多かったという。そのような輩から森を守るため、立ち入り禁止の保護区域が設けられた。
聖域と保護区域には絶対に入ってはいけない──エイルはテレーズにそう強く念押しされていた。
森の大部分が保護区域となっているため、罠を設置できる場所は限られている。
「それに罠の場所は森に詳しいテレーズさんが決めてくれたので、成功率は高いはずなんですけど……い、いえ大丈夫です!きっと、たぶん、極僅かな可能性でバージドデリスが捕まっている……と思います」
「エイルもかなり諦めモードじゃねぇか。ま、ウダウダ言ってても仕方ねぇな、さっさと回収してシャルロットに怒られようぜ」
「うう、あの日食べた美味しいお肉の代償は大きいです……」
徐々に無くなっていく自信と共に森を進む。
バージドデリスはモンスターとしては珍しく、木の根を主食としている。 そのため、罠は大木の近くに設置する。
大木の根元、草と花で見えないように隠された木檻の中を覗くと、
「あれ、檻が食い千切られてる……強度が足りなかったのかな」
動物がいた形跡はあるが、檻は見事に破壊されていた。誘き寄せのための餌だけ食べて逃げられたようだ。
餌に誘われた獲物が檻に入ると檻が閉まる。野生動物の捕獲にも使われる一般的な代物だが、モンスターの攻撃にも耐えられるようにと、テレーズが特別に作ってくれた。
「これじゃあ、最後の一つもいねぇだろうな」
「やっぱり、そう簡単には捕まってくれませんね。でも、バージトデリスはそんなに強いモンスターじゃないから、檻を破壊される心配はないはずなのになあ……」
「別のモンスターがかかってたんじゃねぇのか?こんなバカ広い森なら、小型のモンスターくらいならたくさんいるだろ」
「そうなんですけど……うーん」
言葉にできない違和感。
檻を開けた時から、不思議な緊張感をエイルは感じていた。
背筋を震わせる、ねっとりとした気配。否──これは臭いだ。
「血の、臭い」
「は?」
「この檻の中から、心をざわつかせるような……濃い血の臭いが……しませんか?」
「うん?いや、そんなことねぇと思うが……」
エアが檻に顔を突っ込み、鼻息を立てながら臭いを嗅ぐ。「う……」と顔をしかめ、うっすら涙が滲んだ目でエイルを見ると、
「くっせえ……獣の臭いと糞の臭いだなこれは。わりぃ、俺にはよく分かんねぇな」
「うーん、でも本当に血の臭いがしたはず……あれ?」
「……エイル?」
「どうして、そんな臭いが……さっきまで何ともなかったのに」
朝の優しい風が二人の間を流れていく。
森の中はとても静かで、獣の鳴き声も聞こえない。夜露で濡れた植物の葉が太陽に照らされ、キラキラを光っている。穏やかで優しい、美しい森。
以前来たときと何も変わらない、そのはずだった。
「──、──!」
「パナケイア、どうしたの?」
エイルの頭の上でくつろいでいたパナケイアが突然、エイルの髪を引っ張った。
エイルの肩にすばやく飛び移ると、敵意と緊張感を帯びた瞳で森の奥を見つめる。
小さな身体は僅かに震え、必死に恐怖を押し殺しているようにも見えた。
──様子がおかしい。
そう理解した瞬間、エイルは気がついた。
この森は静か過ぎる。
檻を回収するために森に入ってから、二人は獣どころか小鳥一匹とも遭遇していない。
パキッ、背後から枯れ枝を踏みつける音がした。
ゆっくりと後ろを振り返り、そして『それ』を見た。
「……あ」
『それ』の見た目は子牛に近い。クリーム色の体毛に小さな角、背から鷹のような翼を背から生やしている。
顔の上半分は黒いマスクで覆われ、首には首輪のようなものが取り付けられている。
そして、モンスターが咀嚼していた『食べ物』を見た瞬間、エイルの背は凍りついた。
口からはみ出た無数の触手。粘液を帯びた触手は毛の生えた肉塊を掴み、狼のように牙が生えた口の中へ運んで行く。
重い音と共に口から何かが落ちた。
それはエイル達が数日前にバドディビラの森で見たような、鉄の鎧の一部だった。