6話 楽しい食卓
ジェンナー家は父母、姉弟に祖母の五人で構成されている。
一家の大黒柱であるエルドス・ジェンナーが院長を務める診療所はウラム村唯一の医療機関でありエイルとティトー、そして母セシリアがお手伝いとして働いている。
他に従業員はいないため基本的に夕食は五人なのだが、今晩は違う。
「うめぇ…牢屋の食事の千倍はうまい…!」
「今日はセウェルスが駆除したモンスターを何匹か貰ったので、久しぶりのお肉です!」
「外見グロテスクなファブリックの肉体だけどな」
ガツガツと満面の笑みで肉を頬張る魔王を横目で見ながら、ティトーがボソッとつぶやいた。
ファブリックは四足歩行型のモンスターだ。
肉は牛肉に近く脂肪ものって美味が、体中から生えている触手や触手から排出される体液を撒き散らすその姿は、非常に気持ち悪い。
牛や豚などの家畜は数が非常に少ないので、青年団の有志によって狩られたモンスターは人間の食料として有効活用される。
いつもは家族五人の静かな食卓だが、魔王が客人に招かれたことによって騒がしい食卓へと変わりつつあった。
「変態の肉の方が大きいじゃん!俺のと交換しろよ!」
「もう半分以上食ってるじゃねえか!あげるわけないだろ!─ておい!」
「へへ、ポテトもーらった!」
「それは最後に食べようとしてたポテトだぞ!!弁償しろ!」
「いつまでも残しておくのが悪いんですー!バーカバーカ!」
「こんにゃろおおおお!ポテトの恨みを知れ!」
ポテトをとられた魔王は目にもとまらぬ速さでティトーがいつも最後に食べるミニトマトを奪う。
食べ物の熾烈な奪い合いがさらに加熱する中、あまりの騒がしさにセシリアは、
「エイルのお客様、ずいぶんと元気な方ね」
「あはは…まともなご飯が久しぶりだから、かな」
「あらそうなの?」
セシリアは笑顔のまま食事を進める。
内心はざわついているのだろうが、セシリアはそれを顔に出すことはない。
母セシリアの本業は、教会で子供達に勉学を教える先生だ。
普段は優しいが怒ると怖いので、ティトーと魔王の争いがこれ以上加熱しないことを祈るばかりだ。
「秘技、骨ソードッ!!」
「なんのおお!食らえレモン汁!!」
ピクリ、セシリアの眉が動いた。
エイルの背中に冷や汗が伝い、チラリとセシリアの顔色を伺う。
だが、肝心の二人はというと、
「てめぇフォーク使うとか卑怯だろ!魔法使いなら正々堂々と戦え!」
「そっちこそ手に持ってる魚の骨離せよ偽魔王!」
「なんだと!レモン汁でその腐った目洗いやがれ!」
「そっちこそ、卵からやり直せ──」
パンッ!セシリアが勢いよく両手を叩いた。
喧嘩真っ最中のティトーと魔王は同時に肩をビクリと震わせ、ティトーに至っては明らかにばつが悪い顔をしている。
震源であるセシリアは笑顔のままだったが、目は殺し屋のように冷酷な光を宿している。
「二人とも、食べ物で遊んではいけませんよ?」
背筋の産毛が全て凍ったかのような錯覚を感じるほど冷たい声でセシリアが諭す。
「「は、はい…」」
二人同時に手に持っていた食器と食べ物を置き、静かに食事を再開する。
その後は何事もなく食事が進み、食器を下げるまで誰一人として声をは発することはなかった。
「ふう、ごちそうさまでした…」
エルドスとセシリアが食器を片付け始めた。
すると、
「ディオネ様、恵みに感謝致します。明日もどうか、私たちの糧をお恵みください…」
今まで一言も言葉を発しなかった祖母のエミリアが両手を組み、女神ディオネへ祈りを捧げていた。
女神ディオネとはルナムニル王国の国教にもなっているディオネ教の天空神だ。
エミリアはディオネ教の熱心な信者で、食後だけではなく早朝や寝る前も祈りを捧げている。
「ディオネ…ねぇ」
魔王は意味深げに女神の名前を呟いた。
女神と魔王、相容れない存在同士、何か因縁があるのかもしれない。
「紅茶はお飲みになりますか?マオウさん」
「あ、はい。お願いします」
食後の紅茶を勧めるエミリアに魔王は礼儀正しく答える。
一応魔王は『マオウという変わった名前の友達』という設定で家族に紹介している。
当の魔王はというと、エイルと始めて会った時とは比べ物にならないくらい真面目で誠実な対応だったので、ティトーを除くジェンナー一家の信頼を勝ち取っている。
エミリアはゆっくり立ち上がり、台所で紅茶を用意し始めた。
数分後、熱々の紅茶が入ったティーポットと五個のティーカップをお盆に載せて戻ってきた。
「あれ?もう一つは?」
食卓に参加したのは六人だ。だがエミリアが持ってきたカップは五個。
一人分たりないのだ。
すると、
「エルドスがねぇ、いらないって言ったのよ。もう一回モンスター退治に行くって」
「お父さんが?」
「んなッ!?」
エミリアの発言にティトーが大袈裟に驚いた。
ティトーは台所で食器を片付けていたエルドスの元へ慌てて向うと、
「親父!モンスター退治するんだろ!だったら俺も連れていってよ!」
「おまえは留守番だ」
「な、なんでだよ!?今まで参加したきたのに!」
「ダメだ。危険すぎる」
とりつく島もなくティトーの願いは却下された。
なおもエルドスの腰に巻き付いて抵抗を続けるティトー。
モンスター退治のメンバーに選ばれることはウラム村の若者にとっては小さな誉れだ。
しかもティトーはモンスター退治メンバーの常連であり、若いながらも頭角を表していた。
参加できないことは屈辱にも等しいのだろう。
「なーんーでー!セウェルスは参加するんだろ!」
「当たり前だ。彼の『土』属性の魔法は優秀だからな」
「うぐぐぐぐぐぅ……!」
エルドスに襟を掴まれ、ティトーは無理やり引き剥がされる。
納得がいかないようで表情は険しい。
だが、ここでエイルに一つ疑問が沸き上がった。
「あれ?今日のモンスター討伐は終わったはずじゃ……」
確かに昼間──エイルと魔王がエデンにいた頃に今日のモンスター退治が行われたはずだ。
基本的にモンスター退治は三日に一回程度。
少なすぎるとモンスターが大量に増殖し、多すぎると絶滅の危機を感じたモンスターの自滅覚悟の特攻攻撃を誘発してしまう可能性があるからだ。
なので一日に二回もモンスター討伐に出掛けるなど聞いたことがなかった。
エイルの問いにエルドスは険しい表情で、
「一匹、デカいのが見つかった」
その言葉に全員が言葉を失った──ただ一人、考え込むような仕草をとった魔王除いて。
「ヘクト三七匹、ファブリック四十匹…他にも食い漁ったモンスターの死体があった。今までに見たことのない種類だ。村に興味を持つ前に伐つ」
食器を片付け終えたエルドスは自室に向かい、手に大きな猟銃──もちろん魔法的な力がこめられた──をもってきた。
エルドスの専門は回復魔法だが、『水』属性の攻撃魔法も熟知しているのでモンスター討伐の中心的な人物となっている。
「……ぶぅ」
ティトーは拗ねてそっぽを向いていたが、エイルは胸がざわついていた。
「戸締まりに気を付けなさい、いいなエイル」
「は、はい!お父さんも気をつけて!」
「ああ」
家族の誰の顔も見ることなく玄関に向かうエルドス。だが、その視線が一瞬、魔王を一瞥したように見えた。
「大丈夫よ、エイル。お父さんは強いもの」
不安そうにエルドスの背中を見つめていたエイルの肩にセシリアがそっと、手をおいた。
エルドスの実力は本物だ。疑っているわけでも甘く見ているわけでもない。
それなのに、
「───胸のざわつきがとまらない」
その理由に、最後まで気づくことなくなく───。