60話 癒しの名前
「──はっ!」
レイナの剣によって薙ぎ払われたモンスターが中に舞う。
濃い体毛で覆われた四足歩行の見た目は狼に近いが、三股に分かれた刃のような尾を天に向かって突き上げるその様は野生の動物とはかけ離れている。
名前はスティークフォーク。エイル達が所属する冒険団──アヌテオラが受けたクエストの討伐対象だ。
スティークフォークは空中で体勢を整えると、三股の尾をレイナに向け、レイナの首を剣のように切断するだろう。
その前に、
「《トゥプシマティ》──!」
横からの鋭い一撃。
エアの風の刃がスティークフォークの腹を引き裂き、真っ二つになった死体が血と肉を撒き散らしながら落下する。
これで十五匹目。クエストでは畑を荒らすスティークフォークの群れを討伐してほしいとのことだったが、おそらくこれが最後の一匹だろう。
時間は三十分とかからなかった。レイナが集団でまとまるスティークフォークを一匹ずつ誘導し、エアが個別に対処する。
二人の連携が功を奏し、流れを作って討伐することができた。
「(……その点、私は何もしてないなぁ…) 」
木の影に妖精と共に身を隠しながら、エイルは何もしていない自分に落胆した。
足元には血で描かれた魔法陣。
光もでなければ黒刃が出てくることもない。
あの日──魔王軍のリリスと再会し、因縁の相手であったウシュムガルと対峙して禁じられた魔法を使ってからというもの、魔法は発動しなくなってしまった。
ランクFの討伐クエストで何回か試したが、魔法は発動の兆しさえみせない。最初からそんな魔法は存在しなかった、とでもいう様に。
なので今回のような討伐クエストではエイルの出番はほぼない。
していうなら、少し怪我したエアを治療するくらいだ。
「はい、終わりました。あとはあんまり動かさないようにしてくださいね。傷口が開いてしまうかもしれないですから」
「ああ、ありがとう。大した傷じゃないけど、すぐ治療してもらえるのはありがたいぜ」
熟練したアクスラピアなら傷を治した上、肌をより綺麗にできたりできる。しかし、半人前のエイルには傷を治すことが精一杯だ。
「レイナさん、傷の方は──」
「私はいいわ。もう治ったから」
戦闘中にレイナが負った傷は既に消えていた。
エイルも討伐クエストで何度も同じ場面に出くわしたので、レイナの体質に驚くことも少なくなってきた。
聞いても話してくれないので、そういう体質なんだろな、とエイルも割りきっている。気にならない、と言えば嘘になるが。
モンスターの粘液で調合した薬をポーチにしまうと、大きな木の幹にもたれた。
「あら、エイル。そこにいて大丈夫?」
「ふえ?どうかしましたか?」
「エイルのいるあたりに妖精の結界があるわよ。あと右に一歩くらいかしら」
「へぇ……って!?うへぁ!!?」
思い出される数々の妖精との出来事。
全力で妖精の結界付近から離れたエイルはレイナに隠れ、先程までもたれかかっていた木を観察する。
よく見ると、一本の枝先に赤毛の妖精が座っていた。警戒するようにこちらを睨み付けている。
「よ、妖精ってそんなにメジャーじゃないんですよね!?なんだか最近よく見かける気がするんですけど!?」
「妖精の群れは普通、森の奥にあるから人の目にはあんまり触れないはずなんだけどね」
レイナが手招きすると、枝に座っていた妖精はレイナの指先にとまる。
小さな口でレイナに何かを伝えると、すぐに森の奥へと消えていった。
「やっぱり、妖精の気が立ってるわね。これも、例の『裏クエスト』の影響なのか……」
「え?」
赤毛の妖精を見送っていたレイナの視線が一瞬鋭くなり、ぼそりと何かを呟いた。
辛うじて聞こえたのは『裏クエスト』という単語だが、エイルに聞き覚えはない。『裏』とつくのだから良いものではなさそうだ。
レイナの視線がエイルの肩で髪を優雅に整えていた妖精に移る。
「そろそろ、あなたにべったりしてる妖精に名前をつけたら?妖精だってたくさんいるんだし、『妖精さん』じゃ、どの妖精に呼び掛けてるのか分からなくなるわ」
「え?いいんですか?妖精にも…ほら、ファルパとか名前があるんじゃ…」
「ああ、あれは私が勝手につけたのよ。名前があった方がエクール神殿管理の役割振りをしやすいし」
「へえ、あれは勇者のセンスだったか……ほほう結構可愛い趣味がってあああああごめんなさいごめんなさい!!」
レイナの一睨みで離れた距離からからかっていたエアが、エイルの後ろに隠れて謝る。エイルの後ろに身を隠している限り、レイナは武力行使はしない。この光景も既に見慣れたものだ。
くすりとエイルは笑い、話を聞いて少し緊張気味にこちらを見つめる妖精の頭を人差し指でやさしく撫でながら、
「それじゃあ……パナケイア、はどうでしょうか?」
「医術を司る精霊アスクレピオスの侍女として伝わる精霊ね」
「はい。私はアクスラピアとしてまだ新米で、技術もまだまだ未熟です。でも、この妖精さんを最初に見たとき、私、助けたいって思ったんです。種族が違っても傷ついて、苦しんでいる存在に変わりはありません。大先輩の父やベテランのアクスラピアのような治療はできない、それでも助けたいって、心から思ったんです。私がやったことが彼女にとって、本当に意味のあることだったのか、今でもよく分かりません。だから、心を開いてくれたことが、こうして身体を寄せてくれることが何よりも嬉しい。ちゃんと『癒し』てあげられたって思える存在だから、『癒し』と深く関わりのあるこの名前にしたいんです」
精霊アスクレピオスはルナムニル王国の初代女王マトゥルの一番の部下としてこの国の医療の発展に貢献した。パナケイアはアスクレピオスに仕え、共に医術を研究していたという。
ちょっと理由が傲慢すぎるだろうか、妖精に目を向けると、
「……あれ?もしかして気に入りませんか?」
妖精は顔を背け、腕を組む。
何か気に入らなかったのかと妖精に声をかけるが、妖精は無言のままじっとしている。
顔はよく見えない。でも、心なしか赤くなっているような気がする。
「怒ってるんでしょうか?全然こっちを見てくれないですし…」
「いやこれは照れ隠しのツンツン状態から急にデレ状態になったただのツンデレぶほォッ!?」
言葉の途中でエアがぶっ飛んだ。
真っ赤に顔を染めた妖精が怒りながら人差し指をエアに向けている。倒れたエアの顔には泥がこびりついていた。
「ブフォッ!!?」
泥玉が地面から浮かび上がり、妖精の合図でエアに向かって突撃した。
「つまり、この名前が気に入ったってことよ。エアは余計なことを言ってパナケイアを怒らせただけだから」
「余計なこと……?でも、名前を気に入ってもらえたならよかったです。これからもよろしくね、パナケイア!」
エアの角に蹴りをいれていたパナケイアを優しく抱き上げ、自分の肩にのせる。パナケイアはむすっとした顔で、それでもどこか嬉しそうな様子でエイルの肩の上に座っていた。
「い、いい話な感じで終わる前にこいつの攻撃やめさせろ…頼むいやお願いしますエイルさああああん……」
「ってあああああああ!?ぱ、パナケイア!ストップ、ストーップ!!」
慌ててエイルがパナケイアに攻撃をやめさせるが、泥まみれになったエアを慰め、さらに掃除するのに数時間かかったのは言うまでもない。
罰として帰り道、スティークフォークの亡骸を全て背負うことになったエアの横で、レイナがぽつりと、
「本当、妖精に好かれないわね。魔王って」