53.5話 素晴らしき食卓
「第一回、お料理コンテストー!!」
「わーパチパチ!」
「…………………」
エプロンと三角巾を装着したエアが天井に人差し指を突き出し、高らかに宣言する。
エイルは笑顔で拍手しているが、レイナは浮かない顔だ。
エクール神殿の清掃から空腹で酒場に戻ってきたはいいが、シャルロットもナギもギルドの方に召集されているため、しばらく帰ってこない。
このまま空腹のまま待つわけにはいかないので、
「食材は好きに使っていいって伝言も貰ってるし、各自好きな料理を作って三人で分け合うぞ。何を作っても文句なしだ」
「本当に好きな料理でいいんですか?」
「よほどのゲテモノ料理じゃなければ何でもいいぜ。ま、そんなの作るのはかなりの料理下手だけだろ」
「…………………………」
シャルロットから厨房の使用許可は既におりている。
酒場なので材料は豊富にあり、厨房もそこそこ広い。
三人がそれぞれ作業するのも容易だろう。
「作っている最中に他の料理を盗み見するのは禁止、最後にお披露目するってことで。それじゃ、解散!」
「おー!」
「……………………………」
エイルもエアにならってエプロンと三角巾を装着する。
非常にゆっくりした動作でレイナも遅れてエプロンをつけると、
「あ、あの……」
「ふははははは!魔王軍の料理番長と呼ばれた俺の料理テクニックを見せてやる!」
「ジェンナー家秘伝のソースの出番です!あれ、レイナさん?どうかしましたか?」
「あ、いや。何でもないわ……」
「大丈夫ですか?顔が真っ青ですけど……」
「ぜ、全然……全く、問題ないわ…」
「──?」
忙しなく泳ぐ眼球、額からタラタラ流れ落る汗、少しも大丈夫そうに見えない顔色。
エイルがさらに気をかける前にレイナは三角巾をもって逃げるように厨房へ駆け込む。
エイルも厨房に向かうと、
「ホアチョオオオオオオオオ!!」
包丁でまな板を叩く心地よい音と共に、エアの奇声が聞こえてくる。
エアの手の包丁は超高速で動き、キャベツのみじん切りを量産、さらにはトマトやパセリを一口サイズにスライスしていく。
素早く、一切の無駄もない完璧な動作だ。
自分も負けてられないと、エイルがかごの中にあった野菜に手を伸ばすと、
「さてと、じゃあ私も作ろうか──モガッ!?」
突然後ろから口を塞がれ、厨房の外に引きずり出された。
手足をジタバタさせて必死に抵抗するが、襲撃者の腕力になす術なく壁に追い込まれ、
「む、むー!むー……ぷはっ…な、なんです──」
「エイル、正直に答えて」
口から手が離されて自由になったと思うもつかの間、今度は両手で両肩をガシッと掴まれる。
目の前の襲撃者──レイナは互いの鼻がぶつかりそうになる距離まで顔を近づけて、
「切る、煮る、焼くの工程が一切ない料理は?」
「あ、あのレイナさん何をやって──」
「切る、煮る、焼くの工程が一切ない料理は?」
「え、えっと……ほとんどの料理は切るか煮るか焼くかのどれか一つが入ってると思いますけど……」
「──ッ!?何ですって……!?」
「いや、そんな世紀の大発見みたいに驚かれても……ってもしかして……」
力なく膝を屈めたレイナを見ていると、疎いエイルでも理解できる。
きっと、いや絶対に。
「レイナさん、料理の経験は?」
「………………いや、あるわよ?」
「料理はおいしい食材調達から、というのは無しで」
「………………………」
静かに目をそらし、少しずつこの場から離れようとしているレイナの腕を掴む。
「エイル、離してちょうだい。私これから用事が……」
「ないですよね、絶対ないですよね!?大丈夫です、一緒に料理作りましょう?」
「い、嫌よ!魔王にバレたら何て言われるか!!あいつに料理もできないのかってバカにされるくらいなら、腹を切って死んだ方がマシだわ!」
「そんなに!?」
マトゥル騎士団の料理事情はよく知らないが、この様子だとレイナに料理当番が回ってきたことなんて一度もないのだろう。
意外な弱点が露見したわけだが、別に料理ができないことを笑うつもりない。
一名、全力で揚げ足を取りそうな人はいるが。
「フライパンを使ったことは?」
「……ない」
「お湯を沸かしたことは?」
「……ない」
「じゃあ、包丁を握ったことは?」
「……剣なら」
「包丁と剣を一緒にしちゃダメです。たとえ同じ刃物だとしても」
「……なら、ないわ」
聞けば聞くほどレイナの料理スキルが壊滅的であることしか分からない。
切る、煮る、焼くができない時点で覚悟はしていたが、これ程までとは予想外だ。
「……仕方ないじゃない。誰も料理なんて教えてくれなかったんだもの」
「レイナさん……」
すっかりいじけてしまったレイナをなんとか励まそうとエイルもあれこれ考えるが、料理超初心者のレイナにできる料理はそう多くない。
補助すればポタージュなら作れそうだが、エイルと共同で作業しているところをエアに見られようものならレイナのプライドはズタズタだ。
うんうん唸りながらエイルは必死に考える。
長い長い思考の末、たどり着いた答えは、
「レイナさん、サンドイッチ伯爵ってご存知ですか?」
※※※※※※※※※※※※※※※※※
数時間後、三人は酒場で一番大きなテーブルに集まった。
テーブルには各々が作った料理が並んでいるが、釣鐘状の銀の蓋──クロッシュが被せられているため外から見ることはできない。
「よし、みんな料理はできてるな」
「はい、バッチリです」
「あ、当たり前じゃない……」
「よーし、なら俺から……じゃーん!」
勢いよくクロッシュを取り払うと、香ばしい匂いがフワリと広がる。
少し高めの皿に飾り用の葉っぱと共に乗せられているのは、綺麗な茶色の焼き目がついたステーキだ。
しかも彩り鮮やかなサラダもついている。
「す、すごい…これ、手作りですか……!?」
「まあ魔王軍のお料理番長と名高い俺にかかればこれくらい楽勝だ!ふははははははは!!」
「本当にこいつ、魔王だったのかしら……」
魔王なのに料理番長、実はエアはただのコックとして魔王軍に引き入れられただけなのではと勘繰りたくなったが、ぐっと飲み込む。
今はそれよりも目の前の料理を味わいたい。
一枚の大きなステーキを三等分し、それぞれの皿に分ける。
フォークとナイフを使い、上品に口まで運ぶと、
「───!おいしい……」
レイナが驚いたように目を見開く。
柔らかい肉から染みでた肉汁が広がり、口の中で脂肪がとろける。
塩とこしょうだけのシンプルな味付けで、程よい焼き加減も合わさりさっぱりと食べられる。
こんなに美味しいステーキは今まで食べたことがないと思えるほどに美味しい。
「美味しいですぅぅぅぅ~!これ、何のお肉なんですか?」
「ん?貯蔵庫に保存してあったやつを使ったけど……確かヴァージドデリス、だったな」
「「ヴァージドデリス!!?」」
綺麗に言葉がハモり、レイナとエイルのナイフとフォークが皿の上に落ちた。
ヴァージドデリスとはルナムニル王国の限られた地域に生息する牛型モンスターだ。
彼らの肉は全モンスターの中で最上級の旨さを誇る。
しかし荒い気性と滅多に姿を現さない貴重さから市場に中々出回らず、価値が非常に高い。
ヴァージドデリス自体は低級モンスターにも関わらずクエスト難易度は下手な大型モンスターよりも上だ。
彼らの肉を巡り、内戦すら起きる──そんな逸話もあるくらい貴重なモンスターなのだ。
「ヴァージドデリスって、かなりレアなモンスター……ですよね?そ、それを勝手に……?」
「な、あは……ははは……。だってシャルロットは好きに使っていいって……まさかな?大丈夫だろ、な?」
「しゃ、シャルロットに殺されるわよ……!」
珍しくレイナが血相を変えて慌てている。
それだけでシャルロットを怒らせていけないと十分に理解できたが後の祭り。
既にお高いお肉様は胃の中、エアの表情がゆっくりと死んでいく。
長い沈黙がとても重い。
「よ、よし!次は勇者だ!料理オープン!はやく!!」
話題を無理やり転換させる作戦のエアがレイナを急かす。
チラリとレイナがエイルに向かって視線を送る。
「ふふ、レイナさんの料理楽しみです」
本当に大丈夫?と視線で語りかけるレイナを安心させるように、エイルがにっこりと笑う。
少し躊躇しながらレイナがクロッシュをあけると、
「お、これはサンドイッチか」
「そ、そうよ。悪い?」
料理ができないレイナが作ったもの、それはレタスと干し肉をライ麦パンで挟み、手作りソースをかけたサンドイッチだ。
包丁の使用はパンを切るだけにとどめ、レタスは手でちぎり、後は蜂蜜ベースのソースをかける。
必要最低限の工程しかないシンプルな料理だが、それでも初めて包丁を使ったためパンはとても歪で、レタスも大きさがバラバラだ。
あまり見た目は良くないが、レイナの健闘を知るエイルは躊躇いなくサンドイッチにかぶり付いて、
「はむっ……うん、とっても美味しいです!」
パアッと不安で汗だくのレイナの顔が明るくなる。
だがすぐにいつものすまし顔に戻り、
「あ、当たり前じゃない。このぐらいどうってことないんだから」
さっきまで不安だらけだったことを隠そうとする苦しい強がりだが、これでこそいつものレイナだ。
事情を全て知るエイルは可笑しそうに相づちを打つ。
「見た目は少しアレだけど……はむっ。……お、ソースがいい感じでめちゃくちゃうまいな!」
「……そ、そう?」
一番心配だったエアも満足しているようで、レイナがとても小さなこえで「よかった」と呟く。
レイナにジェンナー家秘伝のソースを伝授したエイルも満足そうにうんうんと頷く。
セウェルスやティトー、さらには村長のクラリスをも虜にしたソースを教えてしまったため、もうジェンナー家秘伝ではなくなったが、
「その……あ、ありがとう」
こっそりとレイナがエイルに耳打ちした。
恥ずかしそうに、それでも少し嬉しそうに。
頬が赤くなっているレイナはとても可愛らしく、魔王軍と戦う勇者には見えない。
「はい、どういたしまして」
不器用な感謝をありがたく受け取る。
レイナのプライドを守れて感謝までされたのなら十分だ。
「でも、ライ麦だからパンが少し硬いな…」
ライ麦パンは色が灰色でしかも硬い。
中々歯ごたえがあり、少し食べすらいのが唯一の難点だ。
「じゃあ、私の料理と一緒に食べてみたらどうでしょうか?」
最後にエイルがクロッシュをあける。
スープボウルに注がれた赤色のスープからは湯気が登り、作りたてであることを主張する。
「絶対に外さない予感はしてたが、やっぱりエイルは料理上手だったな」
優しいトマトの香りを嗅ぎながらエアは満足気に頷く。
レイナの料理と合わせて食べやすいメニューを考えてスープにしたが、中々好評みたいだ。
トマトベースのスープには小さく切った野菜が沢山入っており、食べごたえもある。
「んじゃ、まずはスープだけで……いっただき!」
「……いただきます」
三人揃ってスプーンでスープを省力すくい、溢れないように丁寧に口に運ぶ。
口に入れると同時にトマトの酸味と程よい塩味が舌を包む。
ほっこりする温かさに三人の顔がだらしなく綻んで──そして。
「──っ!!!!?か、か、か──」
最初に異変に気づいたのはレイナ。
舌に感じた違和感を言葉にしようと口を開いたが、唇から喉の奥深くにかけてが痺れたように動かない。
そのすぐ直後にエアが目を見開いて、
「か、辛いぃぃぃぃぃぃ!!!??」
何度か咳払いをするが、辛味成分はしつこく喉に絡み付き、痛みへと変化していく。
エアとレイナがトマトスープに化けた激辛地獄に悶える中、ただ一人エイルだけは満面の笑みで頬に手を当て、とても幸せそうにスープを食べている。
「ん~やっぱり隠し味はトウガの実ですね!程よい辛味が美味しいです~!」
「程よい!?辛味を越して苦痛を与えてくるこれが、程よいって!!?ていうか何だそのトウガの実って!?」
「トウガの実は異世界探索で見つかったセリアンスロゥプ原産の植物から取れた香辛料です。魔王軍の侵攻で東洋の香辛料が手に入らなくなった今、すごく重宝されているんですよ」
「おのれ魔王軍……!!絶対に許さねぇ!!」
つい最近まで所属していた集団に、しかも一応最高職だった者が言ってはいけないセリフだ。
ルナムニル王国や神聖帝国、砂漠の民の他にも東洋には小さな都市国家や港市国家が多く栄え、香辛料や染物などを中心に大国と交易を行っていた。
しかし、魔王軍によるマートティア侵攻により交易は途絶え、代わりに異世界との貿易が主流になってしまった。
だが、異世界からもたらさせる産物は東洋の香辛料に近いものもあり、代用品としては申し分ない。
ちなみにトウガの実は最も辛いと言われる香辛料の一つで、非常に安価なのも特徴だ。
「もはやこれ隠し味ですらねぇじゃねぇか!!!トマト味より辛味の方が前に全力主張してるぞ!!」
「だって、辛ければ辛いほど美味しいじゃないですか」
「エイルぅぅぅぅぅぅ!!おまえだけはまともだと思ってたのにぃぃぃぃ!!」
「か、から、辛い……」
頭に手を当て、絶望した表情で涙を流すエアを不思議そうに見つめながら、エイルはテーブルに突っ伏したレイナの背中を優しく擦る。
酒場の外はすっかり暗くなり、エアの悲痛な声だけが響き渡った。
次回から二章に突入します。
来週にはスタートしますのでしばらくお待ち下さい……。