53話 悪意の矛先は何処に
「全く、予想外のことばかりですね」
真っ暗な執務室。
窓の外で光る月を横目で見ながらクラーピスが呟いた。
「ふむ……エイル君が精神干渉魔法なしで立ち直ったことがそんなに不満かね」
「はい、人間の心は脆弱と聞いていたものですから」
「……それは君達の傲りさ。人間という種族は一見弱く、無力のようだ。しかし、心が無事ならいくらでも立ち上がる……とても不思議な種族なんだ」
「それに、レイナが諜報の報告を聞かなかったのも納得がいきません。彼女……いえ人間の行動には一貫性や合理性はないのでしょうか?」
「君が完全に人になりきれていない証拠だ。これから学んでいくといい、人間には時に効率を無視した行動を起こすときがあるとね」
レベリオの説明を聞いてもなおクラーピスは不満そうに唇を尖らせる。
教会と王宮に提出するマスカルウィン関連の書類は大体終わった。
あとは使者を送り、今後の方針について話し合うだけだ。
もっとも直接集まって話した方が早いのだが、
「ディオネ教の教皇は私に会いたがらないだろうね」
「教皇クロウリーはこちらを警戒しているようです。教会主導の異世界探索が凍結した今、ギルドに対して有利になカードをもっていないせいでしょう。いずれ何らかの行動を起こすと思いますが、いかがいたしましょう?」
「報告書には彼の目を引くようなことは書かなかったが……いざとなったら君のお得意の『精神干渉魔法』を使いたまえ。ああもちろん、死なない程度に手加減するように」
「了解いたしました」
所詮、この街では魔王軍の脅威すら覇権争いの道具にすぎない。
特にディオネ教は人々の恐怖も世界の危機も利用し尽くし、ギルドをニップルから排斥しようとする。
ならば、
「いずれ、彼らも気づくだろう──淘汰されるのはそちら側だとね」
ディオネ教の野心など生ぬるい。
レベリオという若き指導者は大望を叶えるためなら全てを利用する。
現に、
「ウシュムガルの死体の回収は終わったか」
「はい、大半が腐敗していたため回収できたのは頭部と鎧の一部だけですが」
「綺麗な部分を研究班に回せ。他の部分はテレーズに、彼女ならうまく加工するだろう」
「テレーズですか……彼女は──いえ、了解しました」
「それと、『研究室』は見つかったか?」
「いえ、館内内部はギルドの先行隊もまだ調査していません。しかしエイル・ジェンナーがウシュムガルと対峙した一室が、魔王軍の『研究室』である可能性があります」
「なら、そこを早急に調査したまえ。まだウシュムガル開発の痕跡が残っているかもしれない」
「直ちに」
赤毛の髪を翻し、クラーピスは部屋を出ていった。
大方、やることはまとまった。
背もたれに身体を委ね、クラーピスが見つめていた月を見る。
視界の隅にディオネ教の教会が映る。
「魔王軍に勝つのは人間さ。神が入り込む余地なんて少しもない」
魔王軍の全てをしゃぶり尽くし、骨すら残さず利用してやる。
行動目的はともかく彼らの技術は本物だ、特にウシュムガルという新たな生命誕生には恐れ入る。
モンスターについてはまだ不明な部分も多く、まだ人間の敵として君臨し続けている。
しかし、モンスターの皮や牙、臓器は優秀な武器を作る素材となり、人間の技術向上に貢献してきた、
もし、魔王軍の技術を解析し人間の技術に応用できたとしたら──魔王軍を討伐する価値は十分すぎるほどある。
神などに頼るつもりは毛頭ない。
そのために彼女を呼んだのだ。
「期待しているよ、エイル君──存分に神殺しの魔法を磨いてくれ」
端正な顔が悪意で歪む。
その悪意の矛先は魔王軍などではなくもっと大きな、人では決して手の届かないものに向けられていた。