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禁じられた魔法の使い方  作者: 遠藤晃
1章 風の守護者
54/73

51話 禁じられた魔法の使い方

「はぁ…はぁ……ッ」

 

 荒く息を吐きながらたどたどしい足取りで前に進む。

 ズシンッ、低い地鳴りが館全体を揺らす。

 

 屋敷の崩壊が近いのか、それとも──。

 

「エア……さん…」

 

 きっと二人が戦っている。

 根拠も何もないが迷いなくそう思えてしまう。

 

「……行こう」

 

 力強くまた一歩踏み出し、ゆっくりと前に進み続ける。

 

 廊下の一番奥に巨大な扉が見えた。

 立派な両開き扉で、金の装飾がなされている。

 

 僅かに既視感を感じながらドアノブに手を当てると、

 

「──っ」

 

 ピリピリと伝わる内部からのプレッシャー。

 きっと、この先が最後の戦地となるだろう。

 両手で重たい扉を押し、粉塵が舞う部屋の空気に顔をしかめる。

 

 細い廊下みたいな場所で、ベランダように落下防止の柵型の手すりが取り付けられた立ち見席のようだ。

 

「ここは礼拝堂……?」

 

 どうやら館を一周してきたようだ。

 手すりにつかまり、二階から礼拝堂の惨状を見た。

 

 規則正しく並べられていた椅子はとごろどころ抜き取られ、天井にはぽっかりと大きな穴があいている。

 

 部屋の中は酷い有り様で、唯一無事なのは巨大なパイプオルガンぐらいだ。

 

 ゆったりと宙をまう埃や塵が光に反射して幻想的に輝く。

 そして、

 

「───ッ!?」 

 

 鼻孔を突き抜ける生臭い臭い。

 全身を逆撫でするねっとりとした気配。

 

 反射的に走り出すと、

 

「ァァァァァァァァ……!!」 

 

 地上から何かが発射されたような衝撃だった。

 ゴウッ!!と床が抉れ、巨大な牙が二階を噛み砕く。

 

 エイルの視界いっぱいに広がる紫紺の魔法陣が描かれた銀の翼。

 傷だらけの体で無理やり魔法を行使したウシュムガルの全身がギシギシと嫌な音を立てる。

 

 一瞬にして二階の半分は崩壊し、ウシュムガルの口から唾液と血が混じった瓦礫が落ちていく。

 

 エイルから受けた傷は塞がっておらず、ボタボタと床に真っ赤な鮮血が滴る。

 虚ろな瞳を忙しく動かていたかと思うと、急に視線を定めた。

 

 細い瞳孔の先にエイルを捉え、

 

「ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 必死に両手の爪を二階に食い込ませ、血だらけの口をさらに大きく開く。

 

──ミシミシミシミシッ!!!

 

 ウシュムガルの力で床全体に亀裂が入る。

 もう苦痛なんて気にしていられない。

 重たい足に鞭を打ち、ウシュムガルから逃れようと走る。

 

 しかし、エイルが逃げるよりも先に亀裂が二階全体を覆って、

 

「─ァァァァァァァ!!!」

 

 ウシュムガルの重さに耐えきれず、二階は雪崩のように落ちていく。

 巨大な建物の残骸はウシュムガルを一瞬で飲み込み、悲痛な叫び声が響く。

 

 その崩壊はすぐにエイルに迫る。

 このまま落ちて挽肉になるか、それとも───。

 

「っあああああああ!!!」

 

 判断は一瞬だった。

 

 手すりに身をのりだし、そのまま手すりに足をかける。

 身体をバネのように縮ませ、不安定な足場から勢いよく跳びだす。

 

 限界まで手を伸ばし、指先に感じた感触を掴みとる。

 母親にしがみつく赤子のようにパイプオルガンの側面に必死に抱きついて、

 

──ドッシャアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!

 

 土埃が舞い、視界が茶色に染まる。

 

 館全体が揺れ、耳を突き抜ける爆音にただ身を震わせる。

 腕に力を込める、決して落ちぬように。

 

 五分にも満たない短い時間だったが、エイルには無限に続く地獄のように思えた。

 

 再び静寂が訪れる時には辺りは瓦礫の山だらけで、エイルがしがみついているパイプオルガン以外は原型を保っていない。

 ゆっくりと慎重に下へと降り、ある程度の高さで手を離す。

 

 地面は大小様々な瓦礫やガラス片が散らばり、迂闊に歩くことすらままならない。

 

 酷く静かだ、逆に不安を加速させるほどに。

 

「……まだ───」

 

 エイルの言葉に答えるように、無数にあった瓦礫の山の中でも一際大きな山の頂上が崩れて、

 

「──────ァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!」 

 

 世界全体に鳴り響かせるような咆哮。

 

 己の肉体を圧していた瓦礫を突き破り、巨体を顕現させた白銀の竜──ウシュムガル。

 

 銀の鱗のような鎧は健在だが、醜悪な爪や牙には亀裂が走り、喉元や口から滝の如く血を流す姿は、いかにも満身創痍といった感じだ。

 

 あらゆる生き物を圧倒するプレッシャーをエイルただ一人に叩きつけ、空洞となった眼孔でエイルを射抜く。

 

 衰えぬ殺意は健在、これは捕食のためでも快楽のためでもない。

 荒々しい執念、人間を憎しみ絶滅せんとする悪意。

 

 その姿はまさに、人間の敵というに相応しい。

 

 ボロボロの体は、エイルをその手で殺すまで決して止まることはない。

 

「ぁ、ァァァァァ、アアアアアア……!!」

 

 エイルの真正面に立つウシュムガル。

 

 当然ながら逃げ場は存在しない。

 

  高濃度の魔力に殺されるか、ウシュムガルに食い殺されるか。

 

 それともウシュムガルが先に果てるか。

 

「………っ」

 

 エアから借り受けた剣を固く握る。

 背中に汗が滲み、唇が小刻みに震える。

 

 それでも、決して退くことはない。

 真っ正面からウシュムガルを睨み付け、

 

「う、あああああああああああああああああああああああああ───!!」

  

 最初の一歩は躊躇いがあった。

 恐怖を吐き出すように荒々しい雄叫びをあげる。

 

 二歩目は覚悟を決めたからか、すんなりと前に出た。

 剣を振り上げ、ウシュムガルに向かって真っ直ぐに突き進む。

 

 迎え撃つようにウシュムガルも一歩前に踏み出して、

 

「ァァァァァァァァァ───!!!」

 

 キィィィィィィン!!!、聖剣と獣の刃がぶつかり合い、火花が飛び散る。

 

 力が拮抗することなどあり得ない。

 しかし、エイルはギリギリの力でウシュムガルを受け止めていた。

 

 それほどまでにウシュムガルの力も能力も、魔力の出力も落ちている、ということだろう。

 

「ぅ、あああああ……!!!」

 

 ギリギリと奥歯を噛む。

 

 血で魔法陣を描く隙すらない。

 ウシュムガルから目を離せば、一瞬にしてバットエンド。

 

 思案する間もなく、戦況は動く。

 

「ァァァァァァァァ、ァァァァァァァァ、アアアアアア、アアアアアア!!!」

 

 今までと違う鳴き声。

 まるで魔法使いの呪文のように節がついてるように聞こえた。

 

 きっとそれはモンスターの呪文詠唱だったのだろう。

 

 虫食いみたいな穴が無数にあいた翼を展開し、紫紺の魔法陣を浮かび上がらせる。

 部屋の中の魔力の流れが変わり、ウシュムガルに集中し、

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 熱気に近い『波』のような、見えない圧力がエイルに襲いかかる。

 

 あつい。暑い。熱い、熱い、熱い。

 まるで火の中にいるみたいだ。

 身体が融けている錯覚すら感じる。

 

 手を離して地にのたうち回りたくなる絶望を必死に堪えて、押されていく身体を前に出して、

 

「負ける──もんかあああああああ!!!!」

 

 無理やり剣を引き抜き、再びウシュムガルに向かって突き出す。

 

 剣先はウシュムガルの喉元に食らいつき、鮮やかな飛沫を上げて、

 

「あ、アアアアアアアアッ!!??」

 

 絶叫の後エイルを融解しようとしていた熱風は消え去り、涼しい室温がエイルの身体を急速に冷やしていく。

 

 手足が火傷したみたいにヒリヒリする。

 

「は……かはっ……」 

 

 心臓を鷲掴みにされたような胸の痛み。

 意識が飛びそうになるのを必死で堪えるのが限度だ。下肢の力が抜けて膝を地につく。  

 

「ァァァァァ!!アアァァァ!!!」

 

 ウシュムガルは苦しそうに首を振り回し、今も肉体を傷つけ続ける剣を払おうともがく。

 

 カラン、くるくる回転しながら剣が宙を舞い、地に落ちる。

 しかし剣を取り払ってもウシュムガルの苦痛は終わらない。

 

 原因はボロボロの状態で魔法を使ったことだろう。

 

 翼の傷口を経由して高濃度の魔力が体内に入り込み、肉体を急速に汚染しているのだ。

 

「──ッ!」

 

 痛む胸を押さえ、エイルは立ち上がる。

 

 ウシュムガルが弱っている今しか攻撃のチャンスはない。

 ヨロヨロと身体の軸が安定しないままフラりと前に進む。

 

 そして、

 

「ァァァァァァァァァァァァ……」

 

 エイルが血塗れの剣を掴むと同時に、再びウシュムガルが声を上げる。

 迫力のない唸り声を上げて血を垂れ流す姿は初めての邂逅した時とは程遠い。

 

 だが、その程度ではウシュムガルは立ち止まらない。

 

 翼をぴったりと体に張り付けると、

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」 

 

 四肢を地に伏せ、トカゲのように地を這って前に進む。

 

 前肢の力が強すぎるのか、一歩進むごとに地面が砕けていく。

 外れかけた顎を最大まで開き、エイルに向かって突撃した。

 

 加速し、障害物を破壊しウシュムガルは進む。

 

「──っ!!」

 

 コツン、背中に固いものが当たった。

 エイルの背には高く積み上がった瓦礫の山。

 

 認識と同時に高く手を伸ばし、不安定な残骸に足をかける。

 破片が下肢に突き刺さっても、小さな隙間に足が陥没しても登り続ける。

 

「シャアアアアアアア!!!!」 

 

 細い舌を鞭のようにしならせ、エイルの足を絡め取ろうと急接近する。

 エイルは右手を離し、片手で体重を支えながら剣を横凪ぎに振るう。

 

 奇跡か、火事場の馬鹿力ともいうのかエイルの剣がウシュムガルの舌に命中した。

 

 声にならない絶叫。背を反り、山から雪崩のように落ちていく。

 

 ピクピクと体から切り離された舌が震え、やがて動かなくなった。

 

 剣にこびりついた血を拭く暇すら惜しい。

 再び息を切らしながら登り始める。

 

「は……ぁ……っ…」

 

 身体に重石を乗せられたような息苦しさ。

 

 身体の方はこれ以上進むことを拒んでいるのか、ずっしりと足が重い。

 それでも不思議と手を伸ばせる、踏ん張れる。

 

 足場の悪い山道を這い上がり、ようやくその頂きに立つと同時に、

 

「ァァァ……!」

 

 いつの間にかウシュムガルは体勢を建て直し、エイルを真っ直ぐと見つめていた。

 

「─────」 

 

 ウシュムガルと頂の上に立っているエイル。

 獣と人の視線が交差する。

 

 虚ろな瞳には何が映っていたのだろうか、ウシュムガルはただ静かにそこにいる。

 

 きっと、これが最後になるだろう。

 一人の少女と原初の楽園の住人。

 

 互いに分かっている。

 だから、勇気が出た。

 

「《我の指先はアスクレピオスの杖なり。治癒を司る精霊よ、汝の力で穢れを払いたまえ》」

 

 そっと剣の刃を人差し指で撫でる。

 剣にべっとりと付着した血をインクに、剣に文字と記号を描く。

 

 鉄のひんやりとした感覚、それを上書きするように指先が焼けて爛れるような激痛が、身体の末梢から襲いかかる。

 

 ウシュムガルの体液は毒なのだ。一滴であってもそれは命を蝕む厄災の種であり、触れることは愚行に等しい。

 

 苦痛に表情を歪ませながらも手を動かし、ほうき星のような図形とその下に普段魔法陣の縁に描いていた呪文を綴っていく。

 

 一見するとそれは水属性の魔法陣に見えるが、実際は不完全な代物。

 

 魔法というのは特別な場合を除き、正しい魔法陣と呪文が土台となる。

 魔法陣の欠損や呪文を省略した状態で魔法を発動させることは高度な応用であり、熟練の魔法使いであっても非常に難しい。

 

 でもエイルには発動するという確固たる自信があった。

 

 だって、

 

「《これはティアマトの寵児を討ち滅ぼすものなり───ウンディート・アクア》」

 

 エイルの魔法はいわば寄生虫。

 

 元々あった魔法陣を破壊し、組み換えて無理やり新しい魔法陣にする。

 それはつまり、糧となる魔法陣さえ描けば後は勝手に魔法を構築してくれる、ということだ。

 

───ドクン。

 

 鼓動が聞こえる。

 

 まるで生きているみたいだ。

 

 剣の鞘に力を込める。

 鉄で出来た無機物の塊なのに、猫みたいに温かい。

 

「──────────」 

 

 王宮仕えの騎士が笑ってしまいそうなくらい型崩れな剣の構え。

 しかし、剣技を知らぬ少女が纏う覇気は一介の剣士を軽く凌駕していた。

 

「私はエイル・ジェンナー──冒険者だ」

 

 静かに化け物と対峙する姿は、沈勇という言葉がよく似合っている。

 

 先に静寂を破ったのは、

 

「ァァァァァ!!!」

 

 弾丸のように一直線に、少しの狂いもなく。

 ただウシュムガルは前に征き、瓦礫の山を突き進む。

 

 牙が並んだ口腔がエイルに迫る。

 ギロチンのように鋭い牙が下ろされる、その瞬間、

 

「っああああああ───!!!」

 

 少しでも選択を謝れば即座に終わる中、エイルは躊躇なく剣を振るう。

 

 なんだか剣が少し重い。

 剣そのものは血で呪文と図形を描いたこと以外何も変わっていないのに、ずっしりと重みを感じる。

 

 剣と牙がぶつかる。

 

───キィィィィィィィン!!!

 

 鼓膜を突き破る高音。

 

 一つ遅れて衝撃波のような『圧』が広がり、瓦礫や館の装飾を宙に舞わせる。

 

 ズサリ、少しずつウシュムガルが押されていく。

 

 腕に力を込める、奥歯を噛みしめる。

 キツく握りすぎたせいで、爪が手に食い込んで血が滴る。

 

 痛みを飲み込み、さらに一歩踏み出し、

 

「ァァァァァアアアア!!!」

 

 完全にエイルに押されたウシュムガルはよろめき、僅かに後ろ足を退ける。

 しかし、一息つく間もなくウシュムガルは首を精一杯伸ばし、

 

「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ───!!!!!」 

 

 影が落ちる。

 

 人間なんかちっぽけで、すぐに呑み込まれてしまう、大きな影。

 

 エイルの眼球に映る、銀の煌めき。

 

 やけに鋭くて所々欠けている牙。

 

 限界まで開かれた口腔がエイルの頭を食らおうと迫る。

 

「────ぁ」

 

 あと十秒、いや五秒だろうか。

 きっと呑まれて砕かれて死ぬのだろう。

 

 一瞬脳裏によぎった恐ろしい予測がエイルを怯ませた。

  

 足がすくむ。

 

 それでも剣の柄を両手で力強く握り続ける。

 不思議な温かさが少しだけ心地よくて安心する。

 

 僅かな勇気を振り絞ってウシュムガルを見つめて───そして、見つけた。

 

「──っああああああ!!!」

 

 恐怖の声だったのか、己を奮いたたせるための叫びだったのか。

 

 それはエイルにも分からなかった。

 

 ただ確かなことは、ウシュムガルの上顎に──小さな『こぶ』を見つけた。

 豆粒のように小さなこぶ。

 

 それが何であるか、確証はなかった。

 

 だが、今までウシュムガルと戦ってきた記憶を信じるしかない。

 

 迫り来る牙、大きな口腔。

 

 限界まで口を開いたウシュムガルに、一歩近づく。

 

 きっとその姿は自ら喰われていく生け贄に見えたであろう。

 

 怖い、怖くない。

 もう恐怖を感じることもできない。

 

 でも不思議と身体は動いてくれた。

 

 もう一歩、前に征く。

 

 恐怖を、絶望を、本能すら押し退けて。

 

 己を突き動かすのは、レイナとエアが信じてくれた未来への希望。

 

 まだ終わりたくない。

 

 だって、気がついたばかりだから。

 三人で冒険するときに感じた楽しさ、胸の鼓動を。

 

 もっと冒険したい、この三人で。

 

 だから、戦う──戦え、戦え!

 

 腕を精一杯伸ばし、剣を突き出す。

 

 エイルの意思に呼応するように銀の刃に描いた魔法陣が赤く光った。

 

 そして水が氷点下に至り氷に変わるように、剣が黒剣へと塗り変わる。

 

 その黒剣はもう見慣れたしまったもので、いつもエイルに恐怖を与えてきた。

 

 でも今は何よりも頼もしい存在に感じる。

 

 これが禁じられた魔法の正しい使い方かどうか分からない。

 

 けれど今だけはこれでいい。

 

 ウシュムガルが牙を下ろす──直前。

 

「私は────前に進む!!!」

 

 黒剣は狂いなく目標の肉を貫く。

 伝わる気持ちの悪い感触、ねっとした血の臭い。

 

 それらを無視してエイルはさらに剣を奥深くまで突き刺す。

 

 ウシュムガルの動きが止まり、

 

「ァ、アアア……」

 

 小さな唸り声。

 

 それを最後にウシュムガルの意識は完全に途絶し、力無く後ろから崩れ落ちる。

 

 肉体を覆っていた鋼の鎧が魚の鱗のように細かく砕けた。

 

 オドを破壊されたことで、魔力を精製できなくなったからだろう。

 

 鋼の鎧はウシュムガルの上顎からわずかに露出したオドから作り出されていた。

 

 しかしオドは失われた。

 

 大気中を漂う高濃度の魔力がウシュムガルを破壊する。

 急速に腐敗し、ドロドロに崩れていく肉体。

 

───ピキッ。

 

 金属が割れる軽快な音。

 

 その音と共に、エイルの頭に石で殴られたような衝撃が走る。

 

 防御魔法が瓦解した。

 

 魔法の加護がなければ、人間はこの高濃度の魔力の中では生きられない。

 今まさに魔力がエイルの中で暴れている。

 

 痛みもなく、死ぬ。

 

 魔力が肉体を破壊する。

 

「─────」 

 

 意識が混濁していく。

 

 力が抜け、背中から落下する。

 

 現在進行形で魔力に身体を犯されているウシュムガルの死体に向かって、エイルが落ちていく。

 

「───!───る!」

 

 完全に意識が無くなる寸前、声が聞こえた。

 

 聞こえたことは辛うじて認識できたが、内容を捉えることはできなった。

 

 しかし、その声にエイルは安心していた。

 

「(………エアさん)」 

 

 最期に会いたかったなぁ、そんなことを考えて目を閉じた。

 

………………………………………。

  ………………………………………。

 

………………………………………。

 

──風が吹いた。

 

 荒々しい嵐のような風。

 

 肌に叩きつけられる暴風はちょっとだけ、痛かった。

 

「いた……み?」

 

 意識が僅かにはっきりする。

 

 そして、 

 

「……無茶なこと、しやがって」

 

 いつの間にか、風は春風のように穏やかなものに変わっていた。

 

 そっと壊れ物を運ぶように、風がエイルを抱き、

 

「え、あさん?」

 

「風で魔力をぶっ飛ばした。……もう、大丈夫だ」

 

 肩を力強く持つエアの手。

 

 エイルを抱き上げたエアは笑う。

──その表情に何度助けられただろう。 

 

「………エア、さん」 

 

 涙が溢れる。

 

 エアの胸に顔を埋め、優しい温もりを確かめる。

 

 すごく恥ずかしいことをしているけど、そんなの気にならない。

 

 鼓動が速い、でも少しだけ心地よいと思ってしまう。

 

「…………」

 

 艶やかな紫紺の髪が視界の隅で揺れた。

 

 遠慮がちで、寂しそうな表情の少女が見えて、

 

「──レイナさん!!」 

 

 パアッと顔に満開の笑顔が咲く。

 

 感動の再開を邪魔しないと静かに消えようとしていた勇者の少女に抱きつき、笑いかける。

 

 レイナは眩しい表情に一瞬驚いたようにたじろいたが、 

 

「……まったく、本当にそっくりなんだから」

 

 ゆっくりとレイナも抱き締め返す。

 エイルには敵わない、という風に笑う。その笑顔は優しくて、とても愛らしかった。

 

 誰一人として無傷な者はない。

 満身創痍でボロボロ、けれど不思議と皆笑顔になれた。

 

「──あ」

 

 翼を力強くはばたかせる音。

 

 今度ははっきりと聞こえた。

 

 白い鳥が大空に向かって飛び立つ。

 小さくも堂々と天を泳ぐ姿がとても美しかった。

 

 その姿を遠くから見つめながら、エイルはただ胸に沸き上がる歓喜に身を委ね、静かに微笑んだ。

 

 ただそれだけだ。

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