45話 魔を越えて征く
「こんにちは、神々の奴隷。哀れなお人形さん」
スカートをつまみ上げ、恭しくお辞儀するリリス。
小さな挙措にも気品が目立つ。
瞳に宿った禍々しい殺意を隠せていれば、誰よりも可憐な少女として生きていけるだろう。
「……楽園、か」
小さく、誰よりも気づかれようにエアが呟いた。
最初から誰にも伝える気のない言葉だったのだろう。それを聞いたのは隣にいたエイルだけだった。
「……ここが楽園?随分と寂れた場所を理想郷と称すのね、魔族っていうのは」
挑発するように笑うレイナ。それでも警戒を怠らない。
リリスの顔が一瞬で真顔になり、
「遥か昔、楽園があった。温かな太陽が地を照らし、自然の緑が私達を守ってくれた。神の世界のように豊かではなかったけど幸せな楽園だった。──でも」
一度言葉を止め、リリスは天井を仰いだ。
静かに目を閉じ、数秒間だけ思案して、
「……欲深き神々は我らの楽園を欲した。そして長き争いにより楽園は壊れ、放棄された……もう太陽の光は差し込まない、自然も破壊されて消え去った。……楽園は壊れてしまった。だから新しい楽園を作ろうとした」
「……?一体何の話を…?」
創世神話には神々と魔族が争ったなどという記述はない。
魔族が住まう楽園、楽園を破壊した戦い。
記憶にもない言葉が頭を駆け巡る。
リリスが嘘を言っている可能性もあるが、
「でも、ティアマト様の《角》を使ったのは失敗だった。肉体を世界の礎にしたマートティアより強度も質も劣っていた、だから楽園は時間と共に劣化していった」
紫紺の瞳がエイルを射抜いた。
肌でしっかりと感じられる殺意、敵意、怨念。
背筋がゾクリと凍る。
同時に、
「角……?それって──」
巨神ティアマトの角。
それは確か神話ではマートティア創世の後、壊れたエデンに投げ捨てられたハズだ。
分からない、リリスの言葉がまるで分からない。
「エイル、こいつの言葉に耳を貸すな」
エアがリリスの言葉に戸惑うエイルを庇うように、一歩前に出た。
「楽園をぶっ壊されて悔しいのは分かる。神々をみんな殺してやりたいっというのも───俺も、そうだったから」
「……エアさん」
エアの背中が震えていた。
奥歯を噛み、必死に涙を堪えているようにも見える。
神の円卓──アヌンナキを嫌う理由。
過去に神と確執を生む『何か』かがあったのだろう。
「でも、お前達の復讐に人間を巻き込むな。マートティアは人間の楽園だ」
「……はははははははははっ!」
真っ正面からリリスを睨み付けるエア。
しかし、リリスは怯むことなく可笑しそうに笑う。
狂気をにじませた顔をにっこりと歪ませて、
「これは復讐なんかじゃないわ。反逆よ、我らは神に反逆する。豊かな楽園マートティアに嫉妬してるわけじゃない、これは大義のための戦いなんだから──それをたっぷり教えてあげる」
その直後、地が揺れた。
エイルの足元が盛り上がって、
「──エイルッ!!」
ふいにレイナに抱き締められ、床に倒された。
その横を凶悪な牙が粉々に破壊する。
身をよじり、顔を出した穴から姿を現したのは、
「ァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
「ウシュムガル……ッ!」
レイナがエイルを庇ったままウシュムガルを睨み付ける。
もしレイナが気がつかなかったら、エイルは今頃肉片となってウシュムガルの腹の中だ。
一方、奇襲に失敗したウシュムガルがエイルをじっと見つめる。
「この前来た人間は五分も持たなかったけど………雪辱に燃えるウシュムガルに、貴方達は何分持つのかしら?」
「ァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアア!!!!!」
翼を広げたウシュムガルは天井に向かって咆哮し、エイルだけを見つめる。
真っ赤な瞳は明確な殺意を宿していた。
ウシュムガルに打撃を与えたのはエイルただ一人。
あの時の恨みをずっと覚えていたのだろう。
低い唸り声を反響させ、殺意を高めていく。
「私がこいつらを引き留める。エイルは魔王と一旦逃げなさい」
「それじゃあレイナさんが……!」
背中の大剣に手を伸ばし、レイナがウシュムガルの前に一歩踏み出した。
リリスとウシュムガル。
二体を同時に相手にするなんて自殺行為だ。
「……こんなところで死ぬつもりなんてないわ。エイルは別の場所で魔法の準備をして。頼んだわよ、魔王」
分かってるはずだ、レイナの攻撃は最大の脅威であるウシュムガルに通じないと。
それでも、次に戦力となるエアをエイルと共に逃がすのは───。
「……一つだけ約束しろ。前みたく自滅覚悟の特攻だけはするな」
レイナは何も言わない。
太い剣を指でいとおしそうになぞると、魔法陣が剣の表面に描かれていく。
何重にも重なり、絨毯の模様のように複雑になって、オレンジ色の煌めきを放つ。
「……あなたの剣を使わせてもらうわね──ランス」
目の前にそびえるは巨大な化け物。
それに臆することなく、勇者は剣を構えた。
「やっと使う気になったんだ、王子様の形見の剣!いいよ、その剣ごとぶち抜いてあげる!!」
リリスが手を掲げると、手に細い棒が握られた。
その先端は鋭く尖っていき、真っ赤な槍へと変化した。
そのまま槍を構えると、ウシュムガルも身を引いて戦闘体勢に入る。
先に動いたのは、
「ッアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
「──ッ!!」
毒の唾液を口から撒き散らし、レイナの動きを封じたウシュムガルが突撃する。
レイナは避けなかった。
ジュワリ、皮膚が焼ける音。
真っ正面からウシュムガルの攻撃を受け止めたレイナの頬には、ウシュムガルの唾液で出来た火傷。
いくらか剣で防いだとはいえ、無傷とはいかなかったようだ。
ウシュムガルの圧力に剣一本で耐えるレイナの横に、
「っあははは!王子様のところに連れてってあげる!!」
リリスの槍がレイナの脇腹を貫く──直前。
わざと力を緩め、素早くウシュムガルから距離をとるレイナ。
一方、突然拮抗していた力がなくなったウシュムガルはバランスを崩し、前のめりになった。
槍は無の空間を突き刺し、地を抉る。
その衝撃で、ウシュムガルはついに前に倒れた。
「──走りなさいッ!」
振り返らず、レイナが叫んだ。
「いくぞ、エイルッ!!」
「──っ、はい!!」
エイルの腕を掴み、エアが戦場を背に駆け出した。
一瞬の迷いも、すぐに消えた。
レイナが託してくれたチャンスを無下にしたくない。
その思いがエイルを動かした。
もちろん、リリスも黙って二人の退場を許すわけではない。
すぐに標的を変え、こちらに迫る。
「《風よ、天命に答えたまえ》──!!」
エアが風の剣を握り、呪文を唱えた。
部屋にあるはずのない風が吹き荒れ、リリスの槍の軌道をずらす。
「ちぃ────!!」
再びリリスが二人に槍をつき出す前に、レイナが間に躍り出る。
「行かせない…!」
リリスの槍をレイナが受け止めてるうちに、エイルとエアは扉を開けて部屋の外に転がるように脱出した。
絶対に振り返らないと決意して。
振り返れば、レイナを一人にできなくなる。
だから、ひたすら前に進む。
微かに聞こえる金属音を耳に焼き付けながら走る。
廊下を一目散に駆け、最初に入ってきた広間に辿り着くと、
「俺は勇者のところに戻る。……一人で大丈夫か?」
「……それは…」
本音を言えば、一人で魔法を発動させることなんてできない。
でも、このままレイナを一人になんて出来ない。
「……大丈夫です!私だって、やれば出来るんですから!」
無理をして笑う。
レイナはエイルが魔法を使うことを信じて、退路を命懸けで作ってくれた。
ならば、その期待に答えなければならない。
不安や恐怖を抱いてる場合ではない、やるしかない。
それしか打開策なんてないのだから。
唇が震える。
瞳に涙が滲む。
「……本当に、おまえは優しいな。そんでもって、誰よりも勇気がある」
全然隠せていない不安に、エアは力が抜けたように笑う。
そして、腰に下げた一本の剣を抜き、エイルに差し出すと、
「この剣はエイルが持っててくれ。きっと役に立つはずだ」
「でもこれは……エアさんの思い出の……」
「いいから持っていけ。これならおまえの魔法にも耐えられる。使い時を間違えるなよ」
無理やりエイルに剣を握らせるエア。
透き通るように白い剣だ。
鞘には刺繍のように細やかな鳥の模様があしらわれ、戦闘用というより儀式用のように見える。
戸惑うエイルを余所に、そっとエアがエイルの頬に手を当てた、
「エア……さん?」
ゆっくりと、二人の顔が近づく。
戸惑いを通り越し、動きが完全に止まるエイル。
静かにエアの額とエイルの額がぶつかる。
吐息が顔にかかるほど、二人の距離は近い。
少しだけ、胸がドキリとなった。
「君にティアマト様の加護があらんことを」
そういうと、エアはエイルの返事を待たずに元来た道を引き返した。
不思議と、はち切れそうだった不安が弱まっている。
変わらず、胸がドキドキしているが。
それでも。
「大丈夫──行こう」
右を向くと、瓦礫や壊れた家具で塞がれた廊下が目に入った。
迷いなくエイルはそちらにむかい、障害を避けながら前に進む。
魔を越えて、征く。
道は違えど、願うものは同じだと信じて。




