43話 新たなる世界へ
「では、今回のミッションの目標地──マスカルウィンについて説明します」
時刻は朝七時。
ギルドの地下にある部屋に案内されたエイルとエア、レイナ。
部屋は真っ白な壁で覆われ、床には大きな金色の魔法陣が描かれていた。
三人は緊張した面持ちでクラーピスの言葉を聞く。
「冒険団ヘルヴィムの星によると、マスカルウィンにモンスターの姿は見られません。世界が崩壊しているせいか、空気中の魔力量が異常に多いです」
「魔力の量が多いと何か問題があるんですか?」
「マスカルウィンの魔力濃度は聖女が維持する結界の魔力の数千倍です。この量の魔力は、生物にとってもはや毒であり、オドの拙い人間でも影響をうけます」
魔力は一見万能の源だが、適量を過ぎれば生命を殺す。
聖女サーシャが張る結界は人間に害がないギリギリの魔力で構築されているが、マスカルウィンは既に終わった世界。
世界を流れる魔力の循環回路が崩壊し、溢れた魔力がそのまま地上を漂う。
「魔力対策ために、皆さんには簡易的ではありますが防御魔法をかけます。館まで一本道なので、魔力に汚染させる前に辿り着くことを目指してください」
クラーピスは説明と同時に、小さな記章を三人に配布する。
手渡された鳥を象った記章には紐がついていて、首から掛けられるようになっていた。
魔力による被害がどの程度なのか、予想すらできないが生き物を住まわせない死の世界を作り出すほどだ。
じんわりと汗が滲んだ手に持っていた記章が湿る。
「でも、どうやって行くんだ?マートティアに穴開けてエデンを渡るのか?」
カチン、今までシリアスかつ真面目に進んでいた空気が凍りついた。
あえて皆口に出さなかったこと──異世界への行き方。
冒険者なら知ってて当たり前のことを聞いてしまったエアに、冷ややかな視線が集まる。
「え?みんなして何その哀れむような瞳は……え、エイルだって分からないよな?」
「……たぶん、ゲートを使って行くんだと思います…」
「げ、ゲート?」
「ギルドと他世界を瞬間移動する魔法だと思ってくれ。この術式は非常に消費魔力が多い──世界と世界を無理やり繋ぐからね」
クラーピスの後ろで魔法の最終調整を行っていたレベリオが初歩的な質問に答える。
異世界探索は滅びた太古の楽園エデンに散らばる世界を見つけることが目的だ。
同盟を結んだ世界と交易をする場合もあるが、荷物やら人やらを伴っての大所帯でエデンを渡るのは危険が大きい。
そこで考案されたのが、エデンを飛び越える魔法──通称ゲートだ。
目的地となる異世界で、ニップルのように魔力が多く集まる地点に転移魔法の出口となる魔法陣を設営する。
あとは大量の魔力を使って、出発地点から対象を転移させるだけだ。
しかしこの魔法は非常に難易度が高く、失敗すれば永遠に時空の間をさ迷うこととなる。
「ニップルには魔力が多く集まっているので、ギルド内でも大規模術式を発動させることが可能です。ただし、魔力の消費が非常に激しいので、何時間も持続させることはできません。五時間後に再びゲートを開きます。その時まで、どうかご無事で」
深々とクラーピスが頭をさげた。
ヘルヴィムの星の冒険者達によって、マスカルウィンへの道のりは随分楽になった。
その先には、彼らを凌駕する化け物がいる。
三人揃っての冒険はこれで二回目。
しかもそれは前代未聞のミッションときた。
不安と緊張で、唾を飲み込む。
「レイナ君、本当に……いいんだね」
「ええ。私は私の目で真実を見極める」
「……そうか」
レベリオがレイナに何かを問いかけた。
エイルが落ち込んでいるうちに何かあったのかもしれないが、それを尋ねるより先にレベリオが口を開く。
「これは過去に類を見ないミッションだ。まだ未熟な冒険者である君達には大任だと思う。……しかし、我々はエイル君の禁じられた魔法に頼らざるを得ない」
レベリオが作戦の要である、エイルを見た。
昨日までのエイルなら、その碧の瞳を直視できなかっただろう。
でも、今は違う。
決意を秘めた双眸で真っ直ぐとレベリオを見つめ返す。
「───」
僅かに、レベリオの口角が上がった。
柔らかい笑みは一瞬で消えてしまったが、初めて見たレベリオの表情にエイルは小さく驚いた。
「目標はマスカルウィンに潜む魔王軍の獣、巨神ティアマトの遺児──ウシュムガルおよびマスカルウィンの調査。諸君の健闘を祈る」
「はい!」
本当は怖い。
それでも、エイルは一番最初に返事をした。
恐怖を越えた感情が、沸々とわき上がってくる。
なぜ冒険者に憧れたのか。
未知の世界を探検する冒険者達の武勇に、功績に、物語に自分を重ねて毎日夢見ていた。
ずっと焦がれているだけの日々。
もどかしくて、悩ましかった。
だから、魔書に書かれている魔法を試したのだ。
どうしても夢を叶えたかったから。
多くの英雄達が目指した新たな世界。
例えそれが忌み深き禁じられた魔法によってもたらされたものだとしても。
ベッドの上で読んでいた『マトゥル騎士団の物語』のような、胸が熱くなるような華々しさがなくても。
ポンコツでお人好しな魔王と、暴力的なのにどこか優しい勇者。
そして、血を使った破壊の魔法を行使する回復術師。
何もかも違う三人なのに、嫌な気持ちにならない。
「ゲードを開きます──みなさん、魔法陣の中央へ」
レベリオとクラーピスが部屋の隅に、魔法陣をさけるように移動する。
エア、エイル、レイナの順で大きな魔法陣の中央に立と、
「《───!───!》」
クラーピスが呪文を唱える。
不思議なことにクラーピスの声は三人の耳には届かなかった。
それは三人がいる空間だけ隔離されたようだった。
「…………大丈夫、大丈夫……」
初めての異世界への転移。
緊張で手が震える。
自分に大丈夫だと言い聞かせるが、震えは止まってくれない。
すると、
「………レイナさん?」
レイナが手を伸ばし、エイルの右手を握った。
柔らかくて温かい、優しい手の感触。
不意に胸がドクンと鳴った。
「……大丈夫よ。私がついてるもの」
「……はい!」
満面の笑みで頷くと、レイナは一瞬目を見開いて──すぐに目をそらした。
いつもより頬が赤く染まり、
「その顔は…反則よ…本当に…」
ブツブツと、エイルに聞こえないように不満を漏らすが、表情はどこか照れ臭そうだった。
エイルも繋がれた手と反対の手を伸ばして、
「え、エイルさん?な、なななな何をしてててて……!!?」
「三人一緒なら怖くないかなって。……駄目ですか?」
「全然いいぜ!ふ、ふぉぉぉ……!!」
エイルと手を繋いだエアの顔は、火を吹いたように紅潮した。
それでも、エイルの手をしっかりと握り返す。
光が魔法陣をなぞり、大きく広がっていく。
狭い部屋を、膨大な風圧が暴れまわる。
チカチカと目が痛くなるほどの光と稲妻の輝きを最後に、エイルは目を閉じた。
ふわりと宙に浮くような感覚。
身体が何処かへ行ってしまうような不安定さが全然を包む。
でも、三人一緒だから怖くない。
しっかりと両手の温もりを感じながら、力を込める。
決して離さぬという強い意思。
次に足が地面に着く感覚を掴んだ時には、エイル達は既に転移を終えていた。
マートティアを越え、果てしない旅路の先にあった世界。
ゆっくりと目を開けると、目の前には、
「──ここが、マスカルウィン……?」
厚い雲が何段も重なり、空を覆い隠す。
太陽が隠れているため、辺りが暗いのは仕方がない。
だが、夜のように真っ暗なのは不自然だろう。
薄い霧が僅か光り、それ以外に光源は見当たらない。
なにより静かすぎる。
木の葉が揺れる音も、小鳥のさえずりも聞こえない。
完全な無音。
マスカルウィン──もう終わった世界。
そこに、三人は降り立った。