36話 炎帝
ルナムニル王国に伝わる創世神話によると、マートティアが創世される以前、楽園と呼ばれる場所があったとされる。
その地を守るために太陽の神が光り輝く剣を突き刺し、門番たる精霊を置いた。
剣の名前はイノセフラム。絶対正義にしてあらゆる悪を滅ぼす神器。
「あの剣の名前はイノセフラム。太陽神シャマシュが持つ正義の剣-あれに焼き尽くせないものなんて無いんだから!」
鞘の部分を含め、剣の全てが炎に包まれている。
リンドは熱さなんて微塵も感じていないようで、剣先を地面につけて静かに目を閉じる。
視覚を自ら塞くのは自殺行為。
案の定、毒の霧から解放された子ドラゴンが炎の揺らめきに引き付けられた。
「リンドさんッ!」
「大丈夫、あの程度なんて敵じゃないから」
レイナの首筋に子ドラゴンが迫る。
唾液をまき散らし、羽を広げて。
エイルの目にゆっくりと子ドラゴンの動きが映る。鋭い牙が首と頭を切断する、まさにその瞬間。
「-え?」
まばたきの間に子ドラゴンが炎に包まれ、灰となって地に落ちた。
リンドに迫っていた個体だけではない、周辺で機会をうかがっていたモンスターが軒並み焼かれていた。
たった一振り。
風に導かれて炎が延焼し、モンスターだけを焼き尽くす。
太陽神の炎剣は決して使用者を傷つけることなく、煌々と燃える。
「ァァァ…」
仲間を無造作に焼かれた子ドラゴン達は恐れるように後退る。
中には完全に戦意を喪失し、震えたまま動かない個体までいる。
エイルも神の一撃の前に、ただ茫然とするしかない。
その眼差しは太陽のような剣に見惚れていた。
それほどまでにリンドの攻撃は完成され、美すら感じさせたのだ。
「戦わないなら引っ込んでなさい。邪魔だから」
エイルの横をリンドが通り過ぎた、炎剣を携えて。
何も言い返せなかった。ただ黙って、後ろ姿を見送ることしかできなかった。
その間にエアの風の剣がモンスターを次々と葬っていく。
多くは毒霧で衰弱し、戦える個体はほとんで残っていなかった。
そのため小物の殲滅はすぐに終わった。
黒龍シュヴァルドラゴとレイナの戦いはエイル達が毒の霧に苦しんでいた時も続いていた。
しきりにレイナは首に向かって剣を突き刺し、あるときは振るうがシュヴァルドラゴは頭を振り回して防御する。
「ガアアアアアアアア!キシャアアア、アアアアア!!」
「チィ―!!」
少しずつ、戦いのペースがシュヴァルドラゴに取られていく。
思い一撃にレイナは後退っていき、ついに壁にまで追い詰められた。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
口を限界まで開けたシュヴァルドラゴが、壁ごとレイナを食らう。
だが鋭い歯に噛み砕かれる寸前、レイナは咄嗟にしゃがんで攻撃をかわした。
ドラゴンの顎の下で、レイナは大剣を垂直に構え、真上に突き刺す。
「アギャア、シャアアアアアアアアアアアアア!!!?」
頭を振り回し、無理やりレイナを引きはがしたシュヴァルドラゴは苦しみもがく。
「あ…」
黒い鱗で覆われていたためよく見えなかったが、シュヴァルドラゴの顎の少し下にある一枚の鱗。
それだけが不思議な形をしていた。
歪な六角形のような鱗は厚みがあり、まるで一つの臓器のようだった。
レイナが傷つけた場所の近くにあるそれは赤い光を放ち、血が滴る傷口を光で包む。
「あれは一体…?」
「モンスターは巨大になればなるほどオドも発達し肥大化していく。それでも巨体全体にオドで精製した魔力を行き渡らせることは不可能。だから体外から魔力を取り入れるためにオドの一部が外に露出している」
いつの間にかシフォカがエイルの隣に立っていた。
おちゃらけた雰囲気は完全に消え、自信に満ちた瞳で戦況を見守る。
「じゃあ、あれがオド…」
「そうゆうこと」
レイナが執拗に首を狙っていたのは、最初からオドを攻撃するためだったのだ。
スライムの時も、オドへの攻撃が有効であるとわかっていたはずなのに、なにも分かっていなかった。
そんな自分がミッションを受けること、本当にそれが正しいことなのか。
今更そんな疑問が頭を支配した。
「じゃ、じゃあ翼にオドがあるモンスターもいるんですか?」
弱気な感情を無理やり奥に押し込めると、ウシュムガルの特徴であった翼のオドが思い出された。
ウシュムガルの大きさを考えれば、体内をめぐる魔力のために外部から魔力を取り入れていたとおかしくない。
シフォカはエイルの質問に、呆れたようにため息をつき、
「随分とおバカなモンスターね。わざわざ翼なんて目立つ所をオドするなんて、急所をさらけ出すみたいもんよ」
「え?」
「オドを少しでも傷つけられたら、一気に魔力が流れ出して暴走するわ。だから普通は見え悪いところに小さく露出させる程度よ。」
「で、でも…」
ウシュムガルの翼には赤い魔法陣が浮かび上がっていた。
違和感がなかったといえば嘘になる。
オドを傷つけられることはモンスターにとって致命傷。
それにも関わらず、目が見えない状態で獲物の位置を捉えたり、傷を修復したり…。
冒険者になった今だからこそ、気づけることがある。
「そんな間抜け…あの館で出会った『アイツ』しか見たことないわ」
「-っ」
忌々しそうに、奥歯をかんだシフォカの顔が恐ろしかった。
仲間をウシュムガルに傷つけられた悔しさ、怒り。
最愛の弟を血まみれにされたエイルは痛いくらいにシフォカの気持ちを理解した。
「シャアアアアアアアアアアアアア!!」
シュヴァルドラゴの翼が天に向かって開いた。
翼をはばたかせて体を宙に浮かせると、遥か天空に向かって突き進む。
逃げたのかと思ったが、くるりと旋回すると猛スピードでこちらに飛来してきた。
勢いをつけて加速しているため、避けるのは絶対に間に合わない。
シュヴァルドラゴの軌跡の先にいるのはもちろんレイナだ。
「レイナさんッ!!」
エイルの悲鳴にも似た叫び声。
レイナは動かなかった。避けるそぶりすらない。
ぶつかる、その衝撃が引き起こす惨劇に目を閉ざすが、
「-捉えた」
リンドの一言ともに、岩壁にシュヴァルドラが激突した。
岩が雪崩のように落ち、状況を理解できていないシュヴァルドラゴの体を容赦なく打ち砕く。
こっそりと木の陰に隠れていたリンドが投擲した炎剣がシュヴァルドラゴの腹に突き刺さり、飛行の勢いをそのままに岩壁にめり込んだのだ。
無表情でリンドは軽やかにシュヴァルドラゴの上に乗り、炎剣の鞘を掴むと、
「《楽園の穢れを焼き払え―》」
炎が増し、リンド以外の全てを飲み込んだ。
叫び声も肉が焼ける嫌な臭いすら炎にかき消されて。
「-アアアアアアアアアアアアア!!!!!」
尻尾を地に叩きつけて、焼け焦げたドラゴンは立ち上がった。
初めてリンドの顔に焦りが浮かぶ。
剣を引き抜いて距離をとるが、体を大きく振るわせて炎を消し、這うようにリンドに接近するシュヴァルドラゴの方が速い。
血で真っ赤に染まった瞳がリンドだけを捉えて―。
「ハァッ!!」
その顔は戸惑いと疑問が入り混じった、複雑な表情だった。
くるくる、回転を繰り返してシュヴァルドラゴの頭が宙を舞う。
己の首を斬った者の正体を知ることなく、モンスターの長たる黒龍は絶命した。
「はあ…はあっ…」
背後からシュヴァルドラゴの首を刎ねたレイナの顔は返り血で真っ赤に染まり、荒い呼吸を繰り返す。
魔法の反動か、足の力が抜けて崩れ落ちる。
剣を杖に立とうとするがその場から動くことができず、レイナの顔色は悪くなるばかりだ。
「レイナさん、大丈夫ですかッ!?」
治療のためエイルが木の陰から身を出した、まさにその時。
風が吹いた。
花びらが優しく舞う、穏やかな風に髪の毛が揺れる。
不思議なことに風は天から降り注ぐように吹いていた。
呑気に空を見上げて、
「動いちゃだめッ!!」、
シフォカがエイルの腕を掴み、引き寄せた。
数秒後、巨大な、質量のある『何か』が空から落ちてきた。
耳を貫く爆音と共に地が割れる。
竜巻に匹敵する風圧が木々を木っ端微塵に砕かれ、雷が落ちたのかと錯覚してしまうほどの衝撃に目を瞑る。
目を開けた時、根元から折れた大木共々吹き飛ばさていたことを知り、全身を強く打った痛みに悶えながらも立ち上がる。
そして見た。
地を抉り、森を吹き飛ばした黒龍を。
シュヴァルドラゴは番を作る珍しいモンスター。
では、その番は今までどこにいたのか。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
片割れを殺されたシュヴァルドラゴが怒りに身を震わせていた。