35話 黒龍シュヴァルドラゴ
ニップルから遠く離れた森。
その森の名はフワワの森といい、近くに住む村人も滅多に近づかない禁忌の森だという。
恐ろしい化け物が住むと言い伝えられ、モンスタースポットが大量に存在する地であるからだ。
冒険者もよほどの上級者でもない限り入ることはしない。
そして、現在進行形で森を進んでいるのが、
「な、なんでこんなところに……」
「まーまー、リンドの我が儘に付き合ってよ。ね、リンドー?」
「…………」
「…………」
「もう嫌だこの空気……」
絶賛敵対中のリンドとレイナが前を先行し、その後ろをシフォカとエイル、おまけのエアがついていく。
前方の二人の空気がピリピリし過ぎて、後ろまで空気が重苦しい。
本当にここいることが場違いだとしか思えないエイル。
今向かっているのは、難易度Aランクの討伐クエストのモンスターの寝床。
その名前は、黒龍の異名を持つ大ドラゴン──シュヴァルドラゴ。
「でも、いいんでしょうか?私達までクエストに参加しても…」
「本当はダメだけどね。まー、ギルドには内緒ってことで」
「バレたら恐ろしいことになるぞ…」
本来ならこのクエストはリンドが団長を務めるヘルヴィムの星が受けていたもの。
それをレイナとリンドの勝負のために勝手に利用しているのだが、罪悪感しかない。
極秘クエストで最後にしようと思っていたギルドの冒険者法に違反する行為に、エイルの心は押し潰されそうだ。
残念なことに、気にしているのはエイルだけだが。
「黒龍シュヴァルドラゴっていったら、熟練冒険者でも難しいモンスターですよね。そんなのと戦うなんて…」
「まー怪我をしても大丈夫。だってシフォカはハーブノイルだからね☆」
ピクリ、エイルの眉がつり上がった。
ハーブノイル。それは最近登場し、ヒーラーとしての地位を確立した新職業。
九つの種類の薬草を使って魔法を発動させるので、アクスラピアのように薬が臭くないのが一番の特徴だ。
回復以外にも補助魔法が使えたりと、あらゆる事態に対応できたりする。
そのせいでハーブノイルは今一番人気のヒーラーとなり、アクスラピアの需要は駄々下がり。
アクスラピアとハーブノイル。この二つのヒーラーは決して相容れることのない、天敵同士なのだ。
「そ、それなら私だってアクスラピアです!回復なんてお手のものですから!」
ピクリ、シフォカの眉がつり上がった。
バチバチと後方でも火花が飛び散り、
「今は回復・補助の万能型ハーブノイルの時代ですぅ!」
「いいえ!まだまだアクスラピアだっていけます!!」
「頼むからここでも喧嘩しないでくれ……」
二つの喧嘩を後ろで眺めながら、エアが悲しそうに懇願したが、誰の耳にも届くことはなかった。
「…少し静かにして」
レイナとリンドが立ち止まり、木のかげに身を潜める。
ちょうど森を抜ける地点で、一歩踏み出せば岩肌が露出した、少し広い場所に出る。
そこに佇んでいたのは、一匹の黒龍。
「あれが、シュヴァルドラゴ…」
シュヴァルドラゴ、黒き竜。
三メートルはある巨体はまるで翼の生えたトカゲ。
全身を余すことなく黒くて艶のある鱗で覆い、対称的に瞳は真っ赤に光輝く。
鳥の巣のような木や石で出来た住居に身を埋め、ほとんど骨になったモンスターをしゃぶっている。
「ど、どうするんですか…!?あんなに大きいサイズなんて…」
今のところ、シュヴァルドラゴがこちらに気が付いた様子はない。
だが、少しでも近づけば一瞬でペシャンコだ。
「あ、あなたが行きなさいよ!あなたの強さを見せてもらうためのクエストなんだから!」
「無理ですよぉ!!!まだスライムぐらいしか倒したことがないのに!!」
木の陰に隠れながらシフォカがエイルを無理やり前に押し出す。
シフォカの言っていることは間違っていないが、それでもスライムとわけのわからないまま倒したウシュムガルしか戦闘経験がないエイルには、巨大なドラゴンに立ち向かえるほどの勇気がない。
それに他者に血の魔法が使えることを見せてもよいのかもわからない。
ギルドも苦渋の決断でミッションを出したので、あまり血の魔法の存在が公になることは嬉しくないだろう。
「…エイルは後ろで小物を片付けてなさい。魔法は使っちゃだめよ」
エイルにそっと耳打ちすると、レイナは迷いなく黒龍の前に飛び出した。
「れ、レイナさん!!」
エイルの声がレイナに届いたかはわからない。
背中の剣―ランス王子の形見だという剣を引き抜き、シュヴァルドラゴの首目掛けて斬りかかった。
完全に予期していなかった死角からの攻撃は、シュヴァルドラゴの首を切り落とす──はずだった。
「ガア、アアアアアアアアア!!!!」
敵意をむき出しにした、荒々しい鳴き声。
シュヴァルドラゴの首の鱗が鋼の鎧のように硬かったのではない。
爪。
剣が首を切り落とす寸前、シュヴァルドラゴの太く巨大な爪が振るわれていた。
「……っ!」
力ずくで爪を砕こうと剣に力を込めるがビクともしない。
むしろ、逆にシュヴァルドラゴの機嫌を損ねた。
「キシャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
天まで届く咆哮。
それを合図とするように森がざわめく。
「な、なんだ…急に森が…!?──っ」
エアが後ろを振り返り、絶句した。
背後が感じる禍々しい気配。
何十とはびこるうめき声は、少しずつまた数を増やしていく。
もう見なくても分かる、エイル達の背後をモンスターがいる。
後退を許さないほどに。
前に行っても後ろに行っても、モンスターと戦わなければならない未来は変わらない。
「死にたくなかったら、全力で戦いなさい。シフォカ!!」
「はいよ、適当に時間稼いでおくから」
剣を構えるリンド。
背中を合わせて、シフォカが懐から小さな小瓶を取り出す。
「あ、そうそう。しばらく息止めててね。死ぬからさ」
「え?あのちょっと──」
物騒な言葉の詳しい説明はなかった。
代わりにシフォカは小瓶を地に叩きつけ、ガラスが飛び散ると同時に白い煙が全てを覆った。
視界が白く染まる。
咄嗟に鼻と口を手で押さえたが、皮膚にまとわりつく嫌な感触が襲い掛かる。
「…っ。これは…」
霧のように辺りを漂う煙。
頭がクラクラし、目を開けていられない。
脚から力が抜け、エイルは座り込んでしまう。
それはエイルだけではなく、
「ガア!?アガアアアアアア!?」
「ギャアア!アガァ、アアアアア!!!」
四方からモンスターの叫び声が響く。
明らかに苦しんでいる、悲痛に満ちた鳴き声だった。
「エイル、伏せろ!!」
エイルが背後に感じた邪悪な気配に気づくより先に、エアが叫んだ。
咄嗟に地に伏すと、エイルの頭のすぐ上に一陣の風が吹いた。
刃のように鋭い風は、獲物を食い殺す寸前だったモンスターを真っ二つに切り裂き、エイルの命は拾われた。
「これって…ドラゴン?」
エイルを襲ったモンスターは、小さなドラゴンの姿をしていた。
シュヴァルドラゴを小さくしたような、子供ドラゴン。
「シュヴァルドラゴは番を作って繁殖する珍しいモンスター。基本的に他のドラゴン型のモンスターか同じ種の子供と群れを形成してる。ボスばっかりに気を取らていると、あっさり死んじゃうからねー」
「何呑気に解説してんだよ!!このままじゃ―」
風の剣を構え、エイルの前に立ったエアがシフォカに文句を言う。
解説は有り難いが、視界が悪い上にシフォカがまき散らした変な霧のせいで上手く動けない。
「この毒は人間にも効くからねー。でも時間稼ぎは十分」
「それって…どういう…」
「炎帝の準備が整ったってこと。ね、リンド?」
シフォカが姿の見えないリンドに声をかけた。
チリチリ、何かが焼ける音がモンスターの鳴き声に混じって聞こえてきた。
ほんのりと、白い霧が赤色に染まる。
「《──神々の祝福の火。灼熱にして不浄を罰する正義の刃。偉大なる炎神よ、勇ましい精霊よ、集い我の声に答えたまえ》」
エイルの髪が風で揺れた。
エアが持つ風の刃ではない、ある地点に風が集まっているのだ。
「《汝、太陽の守護者なり。生命の育み、慈しむ恵みの光にして世界を焼き尽くす終末の炎》」
風が舞う。火の粉を纏い、白い霧を焼き焦がしていく。
「《それはあらゆる罪を焼き滅ぼし、灰とする。生命の息吹を終わらせる絶対の炎の剣を我に与えたまえ》」
リンドの姿が一瞬だけ、霧の隙間からチラリと見えた。
手に持っていたのは、赤い剣。
赤々と燃えるように光る剣を構えた姿はもはや英雄と言っても過言ではない。
「《我は炎帝。炎剣イノセフラムの継承者なり──》」
軽く、剣の重さを確かめるように手首だけで剣を振った。
その一振りで嵐のような風が吹き、霧が一瞬ではらわれた。
リンドが持つ剣の全貌が露になると、エイルは思わず息をのんだ。
太陽の如く燃え、熱を帯びた剣。
レイナの持つ聖剣とはまた異なった、炎神の剣。
その恐ろしくも、太陽のような煌々さを併せ持った剣に誰もが目を奪われるだろう。
「あの剣の名前はイノセフラム。太陽神シャマシュが持つ正義の剣」
シフォカが勝ち誇ったように、シュヴァルドラゴを睨みつけた。