33話 戦いの予兆
時刻は早朝。
ギルドの中は慌ただしかった。
職員が走り回り、怒号が飛び交う。
並々ならぬ状況に、多くの冒険者が不安を覚えていた。
「なあ、兄貴。何かあったんッスか?」
朝早くから掲示板に張り出されたクエストを眺めていたギデオンが、少し不安げに兄貴分であるバラクに問いかけた。
「……久しぶりに、来るのかもな」
「来る?何がッスか?」
「そんなの決まってるだろ」
「───?」
「ギルド勅令のクエスト──ミッションだよ」
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「の、ノックしますよ……?」
「い、いつでもいいぜ!…あ、やっぱ待って少し深呼吸させて…」
「いつまでこの茶番を続けるつもり?」
エイルはギルド最上階にあるギルド長レベリオの部屋の扉をノックしようと拳を握る。
だが、そこから長い。
緊張で震えた拳は扉の直前で何度も止まり、後ろを振り向いては二人に確認を求める。
加えてエアも過呼吸になりそうなくらい深呼吸を繰り返し、落ち着きがない。
既に三十分以上時間を無駄にし、レイナの我慢もそろそろ限界だった。
「今度こそ…いきます!」
「よし、もう一回深呼吸してからいこう!」
数えきれないほどやった『フリ』なので、もう結果は目に見えている。
ドアをノックする──直前にエイルがまた手を引っ込めようとしたが、
「レベリオ、来たわよ」
ノックもなしにレイナが扉を開けた。
その暴挙に二人は眼球が飛び出そうなくらい驚いたが、躊躇いもなくギルド長の部屋に入っていくレイナの後ろを恐る恐るついていく。
「一応、ノックくらいはしてほしいものだが」
「そっちから呼び出したんだから、早く要件を言ってちょうだい」
「まあ、君らしいといえば君らしい。さっそくだが、君達に話がある」
レベリオは少し困ったようだったが、レイナに促されて話をはじめる。
昨日ギルドを訪れたシャルロットが気持ちよく寝ていた三人を叩き起こし、ギルドに呼ばれたことを伝えた。
ギルドに呼び出されるなどただ事ではない。内部も不穏な空気が流れており、何が事件が起こったことは明らかだ。
自動で扉に鍵がかかり、カーテンが閉まる。
完全に密室となった部屋で、蝋燭の光だけが赤々と室内を照らす。
「異世界探索任務中の冒険団『ヘルヴィムの星』が新しい世界を発見した」
「…そう」
レイナは興味なさそうに返事をしたが、
「し、新世界発見!?どんな世界なんですか!?」
冒険に憧れる生粋の冒険者オタクのエイルだけはレベリオの言葉に食いついた。
目は星のようにキラキラと輝き、立場を無視して続きを迫る。
しかし、様子がおかしい。
新世界発見。冒険者なら誰もが憧れる偉業。
エイルのような反応が普通なのだが、レベリオもレイナは驚きもしない。
「枯れた木が地を覆い、毒の風が吹き荒れる。川や湖は枯れ、太陽すら存在しない。あらゆる生き物が生きることを許されない死の世界。これが今回見つかった世界──マスカルウィンだ」
「………」
「どの世界も生き物が住めるとは限らないの。むしろ、マートティアみたいに自然や国が栄えている世界の方が珍しいわ。異世界探索で見つかる新世界なんて、大抵こんなもんよ」
新しいモンスターや未知との邂逅を想像していた分、事実を知った時の衝撃が大きかった。
どうりでレイナとレベリオの反応が芳しくないわけだ。バルトロメディア冒険団のように、人間の益となる世界を見つけるのは滅多にない。
レベリオの口から淡々と語られた現実に、しばらく絶句していたエイルだが、
「そ、その世界で何かあったんでしょうか?」
本来なら話題にも上がらない新世界のことをエイル達に伝えるということは、それなりの発見があったのだ。
それが良いにしろ悪いにしろ、エイルにとって関係のある事柄であることは間違いない。
「その世界には──不思議な館があったそうだ」
「館?」
「生き物が昔いたのか、今でも生きているのか…古い洋館のような建物が森を抜けた先にあったらしい」
人工物がある、それは高度な知能や技術を持つ生物がいる証だ。
死の世界のような、もう終わった場所に住む者が。
「洋館内も探索しようとしたらしいが……謎のモンスターに阻まれ団員三人が致命傷を負い、命からがら帰還した」
「謎の……モンスター?」
「報告によると、二足歩行のドラゴンで前肢は退化していて小さい。全身が鉄のような鱗で覆われ剣すら通さない。体内を流れる血は火のような火傷をもたらす毒……もうわかるだろう」
鉄の鱗、毒の血。
この二つでエイルは完璧に謎のモンスターの正体を掴んだ。
エアとレイナを追い込み、エクール神殿を破壊した魔王軍の化け物、その名前は──
「ウシュムガル──その姿が確認さ
れた」
全員が息を呑んだ。
これで魔王軍の関与は確実、マスカルウィンという世界が魔王軍の重要な地であることは間違いない。
「現状、ウシュムガルに対抗できるのはエイル君ただ一人。他の冒険者ではマスカルウィンの調査すらままならない」
机の上に置かれていた一枚の紙。
レベリオはそれをエイルに差し出して、
「今回君達にはマスカルウィンに存在する謎の館の調査を行ってもらう。これはギルドからの勅令──ミッションとする」
「み、ミッション!!!?」
渡された紙には『ミッション』という赤文字が記され、さらに『極秘』という赤判子まで押されていた。
紙を持つ手から力が抜け、ひらりと紙が床に落ちる。
──ミッション。
ギルドから出されるクエストで、実力実績が優れた冒険者に直接通達される。
普通のクエストとは比べ物にならないほどの難易度と責任が要求されるが、受けることは冒険者の誉れとされる超重要な任務なのだ。
Bランク以下の並みの冒険者には声すらかからない。
それが今、冒険者になってわずか数日のFランク冒険者が賜った。
「…本気?」
「ああ、本気だとも」
エイルが落としたミッション通達の紙を拾ったレイナは、文面を険しい顔で見つめた。
無謀な命令であることはこの場の全員が理解している。
それでも、エイルが冒険者になることを許されたのは魔王軍との戦いのためなのだ。
「ミッション開始は三日後──それまでに万全の準備を整えたまえ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※
「大変なことになったぞ…」
「…み、ミッション…ミッション…なんて…」
一行はまだ客のいない酒場に戻り、頭を抱えていた。
冒険者にとってミッションは確かに誇りではあるが、まだスライムしか倒していない初心者には荷が重すぎる。
なにより、魔王軍と戦う覚悟がまだ整っていない。血の魔法のこともよく分かっていない。
この状態で魔王軍と戦うなんて自殺行為だ。
「まだ魔法のことが全然分かってないのに…どうすれば……」
「ああ、それなら少し分かったわ」
「え!?本当ですか!?」
エイルの悩みをあっさりと解決するレイナの一言。
憂鬱な表情から一変、レイナに食いついて言葉を待つ。
すると、レイナはおもむろに服に手を入れて何かを取り出した。
金の装飾が成された剣の鞘のようで、剣の刃はついていない。
「…ウシュムガルに神殿を破壊された日、あなたが使った剣の残骸よ」
「もしかして、あのときの…」
そういえば魔王軍のリリスに追い詰められた際、咄嗟にレイナの剣を使って魔法を発動させてしまった。
あの後行方が分からなかったが、レイナの元に返っていたようだ。見るも無様な残骸となって。
遅すぎる罪悪感が沸き上がるが、レイナにはそれ以上に重要なことを発見したようだった。
「この剣は太陽の神様が持つ剣──のレプリカ。模造品ではあるけれど、それなりに力を持つ聖剣。その剣が、割れてただの鉄の剣になっていた」
「ただの…剣?」
レイナの言い方に違和感を覚えた。
なぜ割れてしまった剣を、『ただの』剣と表現するのか。
だがすぐに理由はレイナによって説明された。
「偽物とはいえ、神様の持つ剣を模した剣は魔法的な意味を持つ。だからこの剣一つで魔法を発動させるための術式となる」
「だから、魔法が発動したんですね」
エイルの使う血の魔法を発動の鍵はまだよく分かっていない。
血を使った魔法陣を描くことで魔法が発動する。
種類も属性も関係ない、あらゆる魔法の術式や呪文に対応していると認識している。
だが、
「最初は私もそう思ったわ。…けど、違った」
「違った?」
「この剣にあった太陽神の力が、魔法的な意味が…無くなっていた。仮に剣が破壊されても、その残骸にはまだ神様の力が残っているはずなの。でも、これには何も残っていない」
剣の鞘をそっと手で持ち上げる。
魔法をよく知らないエイルは、鞘を見ても神の力が残っていることは愚か、魔法の有無なんて分からない。
それでも、不思議とレイナの言葉を疑う気持ちは沸いてこない。
「スライムを倒した風の魔法陣は…本当に酷かったわ」
キングスライムを倒すために描いた魔法陣はいつも使っていた水属性ではなく風属性の、それも女神ディオネの魔法陣だった。
レイナは最初からエイルの血の魔法に検討がついていたのかもしれない。
だから、あの場で確かめるためにエイルが全く知らない魔法陣を提案したのだ。
「ディオネ様の加護がこもった魔法陣は完璧な比率で魔法記号が組み合わさったもの。それが……破壊されて、まるでぐちゃぐちゃに意味のない記号を組み合わせたみたいに組み替えられていたわ。あんなものじゃ、どんな魔法使いでも魔法を発動させることはできないわ、むしろ暴走を誘発するだけ」
どこかで聞いたことのある台詞。
記憶を辿ると、すぐにどこで聞いたのか思い出すことができた。
『原理はわからない。ただ、エイルの滅茶苦茶な……何の意味もない魔法陣が『血』という要素によって発動した。そこが問題なのさ』
村長も言っていた。エイルの描いた魔法陣は無茶苦茶なもので、魔法を発動させることなんてできないと。
でも、そうではなくて。
元々意味のあった魔法陣が、エイルが血の魔法を発動させたことで全く違う、意味のない魔法陣に組み替えられたとしたら。
その可能性に気がついたのはレイナも一緒だ。
「おそらく、あなたの血の魔法は──他の魔法を乗っ取り、書き換えてしまう」
「書き換え…る?」
「どの魔法の術式でも発動するわけでじゃない、どの術式でも発動できるように『術式』自体を変えて、破壊の魔法を無理やり発動させる。だから、乗っ取られた側はボロボロに破壊される」
それはまるで動物に寄生する蜂。
宿主の体を破壊し、最後は殺してしまう捕食者。
他の魔法陣や魔法的意味を破壊して魔法を発動させる、魔法の寄生虫と言える。
「…そういえば、俺が補助した時も魔法陣はやたら破損が多かったな」
黙って話を聞いていたエアがポツリと呟いた。
エデンへの道を切り開いた魔法陣は元々不完全なものだと思っていたが、それでは一番最初、エアを封印石から解き放った魔法が発動したことの説明がつかない。
血の魔法に固有の魔法なんて元から存在せず、全ての魔法を改変してしまうなら。
「うーん…でも血がなんで発動の鍵になるのかはわかりませんね」
レベリオは神話に語られるティアマト解体に関連するかもしれないと言っていたが、血を使う以外まるで関連性が見当たらない。
それでもかなり魔法の真実に近づけたことは大きな成果だ。
しかし、その喜びを分かち合うことはできなかった。
──カラン。
営業時間外の酒場にも関わらず、酒場のドアが開いた。
入ってきたのは二人の人物。
エイルは驚きで声を上げた。
忘れもしない、彼女達は────。
「……これは一体どういうつもりなの、レイナ」
「もーリンドったら…そんなに慌ててなくてもいいじゃんー」
ウラム村の森でエイルを助けた冒険者、リンドとシフォカ。
再会と共に、厄災の扉が開いた。