25話 スライムの倒し方
目の前にそびえる、巨大スライム。
そこから放たれる匂いが強烈すぎて、鼻をつままなければ即死してしまう。
「ぼよーん」
他のスライムより重々しい声でキングスライムが口を開いた。
息が外に放出され、
「臭い、臭い臭い臭いくさいいいいい!!!」
「ひぃええええええええ!!!」
「……くっさ」
くさい、もうくさいを通り越して苦痛。
三人は回れ右で五十メートルほど後退する。
スライムの口臭攻撃のせいで、近づくことは不可能だ。
「ど、どうしましょう!?このままじゃ近づくことも……!」
「落ち着け、冷静になれ!だ、だ誰かが鼻をつまんでいけば……たぶんそいつは犠牲になるけど!」
「………」
離れてだいぶマシにはなったが、臭いことには変わらない。
主戦力であるレイナとエアは近距離戦闘専門。武器を持って戦えば、鼻をつまめないのでまともに戦えない。
誰がスライムと戦うか。不思議と全員で行くという選択肢は誰も提案しない。
そうこうしていると、
「ぼよーん!ぼよーん!」
散らばっていたスライムの残骸達がキングスライムに集まっていく。
死骸を取り込むと、キングスライムの身体が膨らみ、小さなこぶのような突起が生えていく。
突起はウネウネと動き、やがて変な臓器が生成され、目と口がジェルに浮かび上がる。
「ぼよーん!」
完全にスライムの形になったところで、母体から切り離されて分裂が完了した。
まだ生まれたての幼体だからか、体は小さい。
ベビースライム達は産声をあげ、三人に襲いかかる。
「数がまた多くなってるぞ!倒してももきりがない!」
レイナとエアが慌てて迎撃するが、悪臭のせいで思うように身体が動かない。
エイルも銃を取り出し、謎の臓器を狙って打つ。
臓器に銃弾が当たると、スライムはただのジェルの塊となって崩れる。
おそらく、謎の臓器こそスライムのオドなのだろう。
だが、努力むなしくスライムの数は減らない。
キングスライムのあらゆる場所からスライムが分裂し、生まれていく。
通常の倍でスライムは増えていき、生産が倒す量を遥かに凌駕しているのだ。
倒されたスライムの残骸がキングスライムに引き付けられ、新たなスライムの材料となる。
まさにスライムのリサイクル工場だ。
このままでは数におされてしまう。
「こ、こうなったら自滅覚悟で行くしかない!」
「でも誰が……!?」
焦りでエイルとエアの言葉が速くなる。
ただ、レイナだけは真顔で何もしゃべらない。
それに目をつけたエアは、
「勇者、おまえ平気そうだな!ならちょっと行ってきて──」
「……………」
「おい、勇者?」
「……………」
レイナは何も言わない。
よく見ると、首筋と額に汗が浮かんでいる。
唇は微かに震え、目も少し虚ろだ。
剣を振るう動きも情けなく、倒すスライムの数があろうことかエイルに負けている。
「あの…レイナさんもしかしてスライムが完全にダメに──」
「作戦を考えたわ」
「え?あ、はい」
エイルを指摘を遮り、唐突にレイナの作戦説明が、始まった。
言葉の遮りが絶妙すぎてわざとなんじゃないかと勘ぐったが、疑惑を飲み込んで話を聞く。
「一人がキングの側でスライムの生産を足止めする。攻撃が止んでいる隙にエイルが血の魔法を使って遠距離から攻撃する。もう一人はここでエイルの補助……完璧ね」
近距離で武器を使えないなら、遠距離からの攻撃。
エイルの血の魔法から打ち出される黒い武器なら、十分キングスライムも射程範囲に入るだろう。
だが、これには一つ問題がある。
「私はそれで賛成ですけど……誰があの悪臭の根源に行くんですか?」
この間にもスライムは増産されていき、休む暇なくエイル達に襲いかかる。
エイルが魔法を発動させる余裕はない。
囮がキングスライムを引き付けることには賛成。
でも、囮はエイルの魔法が発動するまでキングスライムという激臭の塊と失神せずに戦わなければならない。
エアとレイナ、どちらかが確実に犠牲となる選択肢。
「…ねえ、魔王」
今までの中で、おそらく最大の好意的な声でエアの名前を呼んだ
あらかさまな態度の変わりように、エアも危機感を抱いたようで、
「…ちょっと待て。すごく嫌な予感がするんだが…」
「さっき、風の魔法を使ってたわよね?それも結構すごそうなやつを。囮をやっても長く持ちそうじゃない?」
「い、嫌だ!そもそも囮は二人でもいいじゃん!?な、なんで俺だけ──!」
「私があの匂いを嗅ぎたくないからよ」
「せめてエイルを守るためとか言い訳しろよおおおおお!!」
エアの言い分を自己保守のために退け、レイナは哀れな囮の首根っこを掴む。
そのままキングスライムに向かう死骸のジェルを眺めると、
「……や、やめろよ?な?落ち着こう一回。だ、だからね?なぁ…あ、ちょ待って待って待って!!!やめて!待って!」
「健闘を祈るわ──盾」
「盾!今、盾って言ったぞこいつ!!あ、ちょ──」
一際大きなスライムの残骸がキングスライムの元へと運ばれていく。
その残骸にエアを躊躇なく投げ飛ばし、エアはキングスライムの体内へと輸送されていった。
「らめええええええええええええ!!!!!!」
悲痛なエアの叫び声が森に響き渡る中、
「さあ、エイル。魔王が時間を稼いでいる間に魔法を発動させましょう」
「なんか……ごめんさない。エアさん……」
とても申し訳ない気持ちに押し潰されそうだ。
キングスライムの体内で風の剣を振り回すエアに軽く頭をさげる。
地面に膝をつけ、ポーチから血の入った瓶を取り出す。
だが、
「……臭っ!?」
瓶に入ったモンスターの血はスライムに負けないくらい臭かった。
「さすがに一日放置すれば腐敗するよね……」
エアのためにも、気持ち悪さと匂いを堪え、魔法陣を血で書き始める。
書いているのは水の攻撃魔法の魔法陣。
かなり低レベルの魔法なので、普通はどの魔法使いも省略するような代物だ。
だが、魔法陣が半分ほど書き上がったところで魔法陣が光を放った。
「あ、あれ?まだ書き終わってな──」
バチンッ!光は稲妻のように流れた。
稲妻は地を割り、魔法陣を真っ二つに裂いた。
よく分からないうちに光も消えてしまったが、魔法は失敗したようだ。
「な──!?」
いきなり作戦の要である血の魔法が失敗し、エイルの顔が真っ青になる。
レイナは壊れた血の魔法と血がまだ少し入った瓶を交互に見て、
「……血が腐ってるせいか」
「へ?」
「魔法的記号が不完全だったり、壊れていると魔法が暴走してしまうの。魔法の基本よ」
「そ、そうなんですか…」
魔法の詳しい教育はティトーが全て受けていたが、魔法の才能に乏しいエイルは両親から教わった回復魔法以外ほとんど無知だ。
今になって必要になるなんて、皮肉めいているが。
「じゃあ、これは…」
「『血だったら何でもいい』というわけではないのかもね。それか、この血にはもう魔法的な意味なんて残ってないのか」
とりあえず血が発動の鍵だとばかり思っていたが、他にも条件があるようだ。
血の状態も関わるということを知れて一歩前進したが、状況は全く変わらない。
むしろ、悪化している。
「どこに手をいれて……ちょ、触手みたいで気持ち悪いいい!あ、あひぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
身を呈してキングスライムの動きを止めているエアも、スライムの触手のように伸びたジェルに体を弄くられて大変なことになっている。
エアとスライムの戦いを見たレイナはため息混じりに
「……まあ、しょうがないか」
落胆したような、諦めたな声。
剣の先を自身の腕に当てて──。
「れ、レイナさん!?何やって──!?」
レイナの腕から血が溢れ出る。
血はポタポタ滴り、地に池をつくる。
だが、レイナは騒ぎもしない。
それどころか表情一つかえず、冷静に剣を腕から引き抜く。
「とりあえず、今は私の血を使って。あと、魔法陣も───」
「腕に剣を刺すなんて馬鹿げてます!!早く治療しないと!!」
出た血の量は致死に至るほどではない。
それでも、腕が使えなくなる可能性はゼロではない。
むしろ、障害が残って二度と剣が使えなくなる方が高い。
なにより、自分で腕を傷つけたレイナの行動が信じられなかった。
回復術師アクスラピアとしての腕はまたまだだが、ここで何もしないよりはマシだ。
腕を己で突き刺したレイナは怖いくらい冷静に、
「ああ、大丈夫。すぐに治るから」
「何を言って───え?」
レイナの腕を掴み、治療を始めようとしたが、
「傷が──ない」
確かにレイナが腕に剣を刺した。
血が溢れたのも見た。
なのに、傷が見当たらない。
「な、え?そんなこと……」
「私、人より傷の治りが速いの。だから心配しなくて結構よ」
口では簡単に言ったが、エイルはまだ心配のまま。
けれど、何も言わないということは触れられたくない話題ということだ。
まだレイナのことをよく知らない、この状態で深いところまで踏み込んでいいのか。
不安が言葉を詰まらせ、結局出たのは、
「分かりました…。じゃあ、もう一度…」
人の血を使うことに抵抗を感じなら、レイナの血を指先につける。
すると、
「ここはエクール神殿の聖地。使う魔法陣もディオネ様の加護がこもったものを使うといいわ」
エイルの手に自身の手を添える。
驚くエイルの無視して、エイルの手を操って魔法陣を描いていく。
あっという間に魔法陣は書き上がり、見たことのない魔法陣が目の前にあった。
「これは…」
「女神ディオネ様は風属性の守護神。これの大元は風属性の魔法陣よ」
「風属性?でも私は──」
「あなたの回復魔法は確かに水属性の魔法。でも、血の魔法は光属性の聖剣に反応したのだから、他の属性でも発動するかもしれないわよ」
エイルは水属性。
だが、血の魔法が水属性の魔法とは限らない。
事実、レイナの使っていた光属性の聖剣を魔法的記号と見なして、魔法を発動させていた。
レイナの言うとおり、試してみる価値はある。
「呪文は風属性の基本呪文だけでいいわ。この魔法陣で補助は十分だもの」
「わかり…ました」
水属性の魔力を風属性の魔法陣に注ぐ。
普通なら魔力が拒絶反応を起こし、暴走の原因になる行為だ。
少しの不安を抱きつつ、描いたばかりの魔法陣に手を当てる。
「《シルウェストレ・アニマ》」
──ヒュン。
光すら越えた速度で黒い刃が打ち出された。
魔法が発動されたことに気がつくより速く、勝負は決した。
スライムの触手に身体を舐めまわされるエアの額を掠り、黒い刃は正確に標的のオドを貫いた。
「ぼよよ?……ぼよ、ぼよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよ」
キングスライムはもがきも苦しみもしなかった。
一瞬何が起こったのか分からないようにキョトンとしたが、すぐに体に変化が起こった。
今までよりも何倍にも体が膨張していく。
鳴き声も変な調子になり、明らかに様子がおかしい。
魔法が失敗したのかと思ったが、
「あひぇぇぇ…ど、どうしたぁ─」
エアの言葉を遮り、スライムが体内のオドを中心に光始めた。
光は強くなり、目も開けていられないほど目映くなる。
そして、
「ぼよよよよよよよよよよよよよん!」
最後の咆哮を叫び上げると、スライムの体は大破裂を起こした。
木や地にスライムのジェルが撒き散らされ、辺りは黄色まみれになる。
しかもただの破裂ではなく、大破裂なので、その被害はかなり広範囲に渡った。
具体的にいうと、遠距離にいたエイルとレイナにも臭いスライムのジェルが降りかかった。
べちょり、べちょり。
ほのかに生暖かいスライムジェルが二発、頭から隕石の如く衝突し、二人の身体は見事にジェルまみれになった。
「………………………………」
「………………………………」
やりようのない感情にレイナとエイルは黙るしかない。
ただ一人。
「ら、らめええ……」
スライムから解放されたジェルまみれのエアだけが、身体をビクビクと震えさせながら恍惚とした表情で悶えていた。