24話 スライム・パニック
森を進んでいく三人。
ここまでスライム一匹とすら遭遇していない。
「本当に……いるんでしょうか?」
かれこれ歩き始めて三十分、少し疲労してきたエイルがぽつりと呟く。
一方のレイナは全く疲れた様子を見せず、ペースを崩さない。
「い、いるに決まってるだろ……俺の顔に変な体液ぶっかけた極悪非道のモンスターがぁ……はぁはぁ…」
「あのエアさん…大丈夫ですか?少し休憩した方が……」
「ぜ、全然余裕だし……ゲホッ」
疲労困憊で二人のかなり後ろを歩いているエア。
強がってはいるが、表情までは強がれていない。
倒れる一歩手前の深刻な顔だ。
「レイナさん、少し休憩しませんか?」
「……べつにいいけど」
エイルの提案をレイナは素直に受け入れ、エアを切り株に座らせて一休みする。
「あー喉乾いた……」
皮袋の水筒で水分を補給するエア。
少し顔色が良くなり、気分が高揚したまさにその瞬間。
「──ペッ!!!」
エアの顔面に例の臭いどろどろジェルが噴射された。
しかも、今回は色が黄色だ。
立ち上がり、ジェルが噴射された方に顔を向ける。
「……おい、誰だ。殺してやるから出てこい」
「え、エアさん……!?」
重力にしたがってジェルが地に落ちた。
露になった顔は鬼の形相。
怒りで真っ赤に染まった瞳で、しっかりと犯人を見つめている。
エイルもエアの視線の先をみると、
「ぼよーん!ぼよーん!」
木の影に隠れるように、目と口がついた小さなジェルの塊がニヤニヤと笑っていた。
「死にたいようだな。いいぜ、捻ってちぎってなぶってぶっ殺してやるぞごらああああああ!!!」
一瞬でエアの手には風の剣が握られ、スライムの体に剣を突き刺した。
しかし、怒りで照準が定まらず、何度も突くが一回も当たらない。
その間抜けな様子を木にもたれながら見ていたレイナは、
「まったく、気を抜いてるからモンスターになめられ──」
「──ペッ!!!」
バシャン、レイナの顔がスライムのジェルまみれになった。
エイルを足の近く、まるでエイルを盾にするように一匹の小さなスライムがいた。
「「あ」」
エイルもエアも呆気に取られ、呆然と立ち尽くしてしまう。
だが、徐々に身体が恐怖におおわれていく。
スライムが怖いのではい。
何も言わないレイナの方が怖いのだ。
「…………………」
───あ、やばい。
レイナから溢れんばかりのピリピリとした殺気が伝わる。
二人は、同時に直感した。
もうすぐ、この場は血の海になると。
「ぼよよーん!ぼよーん!!」
スライムはニヤニヤ笑うように鳴き、お尻を振って挑発する。
エアの顔にジェルをぶっかけたスライムも、襲ってこないことをいいことに調子にのりはじめた。
二匹そろって木の回りをぐるぐるまわり───弾けた。
一匹の腹にはナイフが突き刺さり、中の臓器は破裂して跡形もなくなっていた。
そして二匹目は、
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ……」
高速で振るわれた剣により綺麗に一刀両断。
その手際の良さはまさに、死という芸術。
エイルとエアは恐怖で震えがとまらない。
二等分されたジェル塊と謎の臓器を踏みつけながら、レイナは忌々しそうに、
「……早く行くわよ」
二人の返事も待たず、森の奥へと進む。
右手の剣からスライムのジェルが滴る。
まるで、人殺しの後のような冷えきった空気だ。
「ゆ、勇者を怒こらせちゃだめだな…」
「は、はい…その通りだと思います…!」
「……何してるの?」
「「いえ、なんでも!!」」
先程より声が二割増しで怖くなっているレイナにビビりながら、後をついていく。
怒りの矛先が、こちらに向かないように細心の注意を払いつつ。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「ぼよおおおおおおおん!!??」
一匹、また一匹とスライムが天に召されていく。
森の奥へ進むと、少しずつだかスライムの数が増えていった。
人間にイタズラすることが趣味なのか、木陰に隠れてちょくちょくジェルを吐き出す。
だが、
「…………」
レイナは剣でジェルを打ち返し、スライムは跳ね返ってきた己のジェルで自滅していく。
あるときは剣で斬り、あるときはナイフを投擲。
全身の武器を余すことなく使い、スライムを秒殺する。
一言も言葉を発せず、ただ淡々と。
ただ、目だけはスライムに対する殺意で満ち溢れていた。
「……俺達、出番ないな」
「そう、ですね」
レイナ一人が前でスライムを全て狩っていくので、エアとエイルはただついて行くことしかやることがない。
いや、一度スライム狩りを手伝おうと前に出たのだが、
「……あいつらは私の獲物よ」
と、モンスターも震え上がる声で言われたので、二人は何もできない。
さらにスライムを斬る剣の動きや踊るようなナイフの舞いが苛烈になる。
たぶん横に立っただけで巻き添えを食らう。
「そういえば、エアさんは腰の剣は抜かないんですか?」
「ん?あ、これか?」
エイルが指差した先、そこにはエアの腰の鞘に収められた剣。
ウシュムガルとスライムと戦う時も、鞘から引き抜かれたことがなかった。
「大した殺傷力がないから使ってないだけだ。まあ、思い出深い剣ではあるが…」
ふっとエアは表情を緩め、思い出を懐かしむように目を瞑った。
これ以上聞くのは無粋だと思ったエイルは、質問をやめた。
だいぶ森の奥にきたところで、
「ぼよーん!ぼよーん!」
突然、木の上からスライムが降ってきた。
それも、
「ぼよーん!ぼよよよよよ!」
「ぼーぼよーん!ぼよ!」
「ぼぼぼぼぼぼ!」
何匹も、たくさんのスライムが地を埋める。
レイナの攻撃も間に合わなくなるほどの数のスライムだ。
「ジェルが臭い!さっさと退きなさい!」
目の前のスライム三匹を剣の一振りでまとめて凪ぎ払う。
だが、スライムの雨は止まらない。
二、三匹切った程度ではこのスライムの大増殖に効果はない。
「勇者、伏せてろ!エイルもな!」
エアが風の剣で舞う。
竜巻のような風をまとい、スライムを吹き飛ばしていく。
もちろん、スライムもただやられるだけではなく、ジェルを飛ばし反撃する。
「うおっ!?や、やめろ!ベタベタする、おえっ口に入った!おえええ不味い不味い!!!」
口に入ったスライムジェルを口から吐き出していると、エアの身体にスライムが絡み付いてきた。
足にいやらしくまとわりつき、徐々に上へと侵攻していく。
「や、やめろ!本当に何してんだお前ら!あ、ちょ何処に入って──あ、パンツ、パンツはやめろ!おいこらバカああああああ!!」
「なんだか分からないけど、エアさんが『イケナイ』状態に!」
「意味わかって言ってる?」
「お前らぁ!見てないで助けるフリでもいいからしろよぉ!!」
このままではスライムにエアの男の子として大切なものが奪われてしまう。
だが、レイナには助ける気はないようだ。
スライムがエアに集中しているため、レイナは散らばったスライムを重点的に狩る。もちろん、エアを犯すスライムは無視。
ならば代わりにと、エイルがスライムを引き剥がそうとするが、
「ああだめ!エイルが俺みたいになったらいろいろダメ!良心の呵責に苛まれる!!だからだめ!!」
「え?」
必死にスライムに触らないようエアがエイルを止める。
穢れなき瞳のエイルには、スライムの恐ろしさ(主に性的な)がわからない。とりあえず伸ばしかけた手を引っ込める。
スライムに侵食されながら、エアは風の剣を振り、
「《風よ、天命に答えたまえ!!》」
聞いたことのない呪文とともに、剣から台風のような風が吹き荒れ、スライムはエアの身体から引き剥がされる。
ついでにまわりのスライムのほとんどを巻き込んで宙を舞い、地に叩きつけられたスライム達はただの臭いゼリーとなった。
「え、エアさんすごい!」
「関心してる場合じゃないわ。もうボス戦よ」
「ボス戦?それって────っ!?く、臭い……!!!」
スライムがいなくなったのに、辺りには猛烈な異臭が漂う。
腐ったヨーグルトを凝縮し、その上から生ゴミをかけたような匂いは鼻をへし折るレベルの臭さだ。
「おい、嘘だろ……」
やけにスライムが多い。それは当たり前だ。
なぜならここがスライム生産の最前線。
──ドスン、ドスン。
重いなにかが森の奥から近づいてきた。
二メートルはあるジェルの巨体、スライム特有のつぶらな瞳は健在。
一般的なスライムをそのまま巨大化したようだが、唯一違っているのは頭のてっぺんに王冠のようなオブジェがついていることだ。
まさにスライムの王様──キングスライムが堂々の面構えで現れた。