21話 見送り
エイルとエア、二人は人生初めて『正座』というやつをやっていた。
ナギに謝るときは『正座』と『土下座』が一番効果的だと先ほど教わったからだ。
二人の目の前には仁王立ちするシャルロット。
まだお昼の開店前であるため、酒場にいるのはエイル達三人とナギ、それに機嫌が悪そうなシャルロットの五人だけだ。
「私は、今怒っています」
「…………」
「なんで怒っているのかは分かるわね?」
普段優しげなシャルロットは顔をしかめている。
シャルロットの後ろではレイナが酒場の椅子肘をついて座っていた。
なるべく関わりたくないのか、目を合わせようとしない。
こうしてシャルロットからお叱りを受けているのには理由がある。
ギルドからクエストを受けた直後、最初はそのままスライム討伐に向かうつもりだった。
たが、昨日の夜のバイトをサボったことを思い出すと、一度酒場に戻った方がいいと思い始め、一行は酒場に立ち寄った。
予想外だったのは、シャルロットが予想以上に怒っていたことだ。
「ごめんなさい…勝手にダイダイルの血を持っていて……」
「バイトサボって悪かった…その、ごめん…なさい」
大切な食材であるダイダイルの血を持っていったこと、せっかく雇ってくれたバイトを無断で休んだこと。
シャルロットとナギには恩しかないのに、それを仇で返してしまった。
申し訳なさと、事情を全て話せないもどかしさ。
ただ謝ることしかできないバイト二人を、シャルロットは険しい目で見て、
「勝手に食材を持っていたことも怒ってるし、お仕事を怠けたことも許しません。でも、一番怒ってるのはね」
しゃがみ、エイルの視線に合わせる。
さらに怒られると身を固くしたエイルをシャルロットは、
「冒険者が帰ってこないと、不安になるの」
優しく、エイルを抱き締めた。
「夜、お酒をここで飲んでいた冒険団が、次の日には一人欠けてる。毎日同じメニューを頼んでくれた常連の冒険者が突然いなくなる。……こんなこと、この街ではしょっちゅうあるわ」
酒場には冒険者がたくさんくる。
常連も、新米もシャルロットの酒場で酒を飲み、冒険話に花を咲かせる。
でも、冒険には危険が伴う。
命を落とす者も、たくさんいる。
エイルのように冒険に焦がれる者と同じくらいに。
シャルロットの声が震えている。
それは怒りや悲しみではなく、嬉しさで気持ちが高ぶっているからだろう。
「心配したの。変なクエストに引っ掛かって、騙されたんじゃないかって。一昨日、すごく張り切ってたから」
「……お見通し、だったんですね」
「ええ、二人ともニップルに来たときと同じ目をしてたのも。お昼の仕事を休みたいって聞いたときは、何かやりたいことがあるんだと思ったわ」
あれだけやる気に満ちて仕事をして、仕事の休みを申し出れば不審にも思うだろう。
でも、冒険者を長く見守ってきたシャルロットには全てお見通しだったのだ。
変なクエストを受けようとしてたことさえ。
全てを知っていて、シャルロットは何も言わなかったのだ。
ただ、二人の夢を信じて。
「ごめんなさい。無茶して、心配をかけて…」
「本当に心配したのよ。でも、無事でよかった」
静かにシャルロットは立ち上がると、「まったく」と 困ったように笑い、
「今回仕事を怠けたことと食材を勝手に盗んだことは厳罰とします。その分まで働いてもらいますからね!」
素直に頷き、二人はシャルロットの罰を飲む。
すぐにシャルロットは表情を緩めて、
「ギルドにお世話になったこと、レイナと冒険団を組んだこと、これからクエストに行くこと……。聞きたいことは山ほどあるけど、理由は聞かないわ。きっと、話せないんでしょ?」
「……ああ」
エアの返事にシャルロットは笑った。
驚きも悲しみもしない、まるで最初から返ってくる言葉がわかっていたようだ。
そのシャルロットの寛大さに胸に痛くなる。
「じゃあ、これだけは言っておくわね」
再びシャルロットがしゃがみ、正座を続ける二人の肩を抱いて、
「おめでとう。夢がかなって」
「─────はい」
目尻が熱くなった。
横を見ると、エアも赤くなった目を隠そうとうつむいていた。
シャルロットの祝いの言葉に、ただはいと返事しかできない。
「だからちゃんと帰って来て、初めてのクエストの感想を聞かせてね」
力強く手のひらで肩を叩かれた。
その一動作に何よりも二人は励まされた。
正座をやめて立ち上がると、足が痛かった。
蛇羽国では一般的なものらしいが、エイル達には当然馴染みがない。
でも、足の痛みも気にならない。
「いってらっしゃい、冒険者さん達」
シャルロットがエイルとエアの背中に手を当て、小さく押した。
「レイナを…よろしくね」
エイルだけに聞こえるように囁き、シャルロットは厨房へと姿を消した。
「じゃあ、行きましょうか」
椅子から立ち上がったレイナは説教やシャルロットの励ましには一言も触れない。
ただ、扉に向かって歩く。
最初にレイナが外に出て、次にエア。
最後のエイルが扉を閉めようとしたその時、
「エイル!」
男の声に振り向くと、白い板前服のナギがいた。
普段厨房に籠りっきりで、滅多に声を発しない料理人は、
「…いってこい」
小さな声で、でも力強く拳を握って。
不器用な見送りにエイルは満面の笑みで答える。
「はい!エイル・ジェンナー、行ってきます!」
その答えに、ナギも満足そうに笑った。