18話 太陽神の剣
「ウシュムガル……?」
銀の鱗に、凶悪な爪。
口から滴る唾液は大地を焦がす毒。
二度目の再会にして、名前が分かった。
ウシュムガル、それはマートティアの創生神話に語られる怪物の名前。
神話の怪物そのものなのか、その名を与えられた別のモンスターなのか。
どちらか分からないが、相手にするのは死に急ぐようなものだ。
「……ティアマトの遺児なんて、洒落てるわね」
「ふふ、そうでしょ?だって、人間を殺すための兵器だもの。この子にはとってもお似合いな名前だと思わない?」
「本当、嫌な趣味だわ」
レイナの嫌みにも全く反応せず、リリスは楽しそうにウシュムガルを撫でる。
まるで、新しく買ったおもちゃを試そうとする子供のようだ。
おもちゃはウシュムガル、遊ばれるのは人間。
「さあ、逃げて逃げて逃げ惑って!!」
「アア、アアアアアアアアアア!!!」
リリスの声に呼応するようにウシュムガルが叫び、レイナ目掛けて襲いかかる。
まっすぐに迫り来るウシュムガルの牙を剣で受け止め、レイナは真正面から迎え撃つ。
牙と剣がぶつかり、ウシュムガルの顎に唾液が垂れる。
鋭い歯でレイナの剣を噛み砕こうとしているのか、ウシュムガルは剣に食らいついたまま離そうとしない。
ダメだ、あの化け物を特性を知っているエイルは危険を感じて、
「あの化け物──ウシュムガルが唾液も、血も毒なんです!!」
「ど、く──?」
レイナの剣が唾液にまみれていく。
ジュワジュワと鉄板で焼くような音が鳴るが、ティトーの剣のように溶けてはいない。
よく見ると、剣はオレンジ色の膜のようなものを纏い、それが唾液に当たっている。
剣を守る結界のようなものだろうか。
「ウシュムガルの体はね、血の代わりに毒の液が入ってるの。神の武器すら通さない絶対守護の鎧に生命を断つ厄災の牙と爪。でも、なんでウシュムガルが毒を持ってるって知ってるのかなぁ?」
パチンとリリスが右手の指を鳴らし、そのままエイルを指差す。
「ァァァァ!アアアアガギィィア!!!」
首を大きく横に薙ぎ払い、レイナを後方に吹き飛ばす。
抗えぬほどの強い力には、さすがのレイナもなす術もなく地に叩きつけられた。
だが、体勢を崩したレイナではなく、リリスの指先にいるエイルに猛攻が迫る。
「なんでか分からないけど、余計なお喋りをする前に殺しちゃえ!ウシュムガル!!」
リリスの声に答えるように、ウシュムガルが加速し、エイルを飲み込まんと口を開いた。
「───っ!」
恐怖で手足が震える
だが、ウシュムガルから目を決して離さない。
そしてすぐ目の前に迫った瞬間、動きを見極めて横に転げる。
バキバキバキバキ!!!エイルの代わりに木が薙ぎ払われ、幹が砕かれていく。
銃は効かない。それならばとポーチに手を伸ばす、その前に、
「離れなさい!!」
エイルを後ろに突き飛ばし、レイナがウシュムガルの前に躍り出る。
再びレイナと鋭い牙がぶつかり、何度も激しく火花が散る。
だが、
「ァァァ!アガアアアアアアァァァァ!!」
一瞬でウシュムガルの体にぴったりと張り付いていた翼が広がり、どす黒い紫色の魔法陣が光る。
体が紫色の雷を纏い、チリチリと雷で地が焼けていく。
「アアアアアア!」
「───っ!?」
ウシュムガルがレイナの剣に噛みついた。
魔法により、更に顎の力が強くなっている。レイナは徐々に押されていく。
突然、ウシュムガルが頭を横に払った。
その勢いの強さにレイナの手から剣が離れ、吹き飛ばされた。
くるくると宙を舞い、エイルのいる場所よりさらに後方の位置に突き刺さる。
武器を失ったレイナ。
太もものホルダーに入ったナイフに手を伸ばすが、それより先にウシュムガルが仕留めにかかる。
「どっせいやああああああ!!」
レイナの前髪を風が揺らした。
勇ましい声を同時に風の剣がウシュムガルの猛攻を受け止めていた。
その剣の持ち主は、
「……何もせずに死ぬが嫌になった、それだけだ。別に勇者に感化されたとかじゃないぞ」
「……ふん」
レイナを庇うように前に立つエア。
その言葉に興味ない返事をすると、レイナもナイフを両手に構える。
「このおおおおおお!!」
風が強くなり、エアの剣の風の層がさらに厚くなる。
風の刃は渦を巻き、ウシュムガルの体を押していく。そしてついに、剣は相手を完全に押し返し、ウシュムガルは派手に後方に吹き飛ばされて木にぶつかる。
衝撃で木は粉砕し、ウシュムガルはさらに倒れてきた木の下敷きになる。
「エイル、酒場から拝借したヤツは持ってきたな?」
「は、はい!もちろん!」
エイルがポーチに手を当てる。
ポーチの中には、小瓶が入れられており、スライム討伐と実験のためにこっそりと酒場から持ってきた血が入っている。
ダイダイルの血抜きで出た血(料理にも使っている)を無断で持ってきたので、バレたらお叱りどころかバイトクビもありえる。
「自分に得体の知れない力があって、怖いと思う。辛いし、苦しいとも思う。でも」
勇者と魔王、対称的な二人が並ぶ。
「さっき言ったよな、俺と冒険に行きたいって」
巨体を圧する木を吹き飛ばし、ウシュムガルは何ともない様子で再び戦線に復帰する。
目は怒りで染まり、まっすぐとエアを見つめる。
真っ赤な瞳をエアも見つめ返し、
「俺も、エイルと冒険に行きたい。だから───一緒に乗り越えようぜ、エイル!」
「……はい!」
エイルが後方に下がったと同時に、エアがウシュムガルに斬りかかった。
エアをサポートするように、レイナがナイフを繰り出し、ウシュムガルの動きを止める。
十分二人から距離をとった後、ポーチから血が入った小瓶を取り出す。
「何してるのかな?」
背後から愛らしい声が聞こえた。
決して友好的ではない雰囲気に振り返ると、
「邪魔をしようっていうなら殺しちゃうよ?まあ、元から皆殺しにするつもりだけどね」
リリスは天使のように無邪気な笑みを浮かべながら、拳を振り上げた。
咄嗟に身をかわすと、エイルがいた場所が小さなクレーターのようにへこんでいた。
武器を失っても、リリスの強さは健在。
後退るが、隠れる場所も落ち着いて魔法陣を描ける場所もない。
カツン、エイルの足に何か当たった。
それは、
「レイナさんの剣……」
魔法を使ったウシュムガルに払われた銀の剣。
その銀のきらめきに、エイルの目はなぜか引き込まれた。
そして、手に持った小瓶が熱くなったように感じた。
まるで、剣と共鳴するように。
──魔書に書かれた魔法陣や呪文を使ったことじゃない。
──私が、血を使って魔法を使えたこと。それが重要なんだ。
リリスはゆっくりとエイルに近づく。
今まで何の役にもたっていないエイルを殺すなんて余裕なのだろう。
魔法陣はあくまで補助であり、絶対必要なものではない。
どっちにしろ、魔法陣を書くより先に勝負がついてしまう。
それならば、今は信じるしかない。
目の前の聖剣が、エイルを導いてくれることを。
「───うわあああ!!」
自分を鼓舞するように叫び、地面に小瓶を思い切り叩きつけた。
ガラスが割れて中の血が飛び散り、地を赤く染める。
そして、
「な、なに?」
血は意思をもったように地に広がっていき、倒壊した神殿まで血の海が広がる。
明らかに小瓶に入っていた量を凌駕している。
模様を描くように血の海が割れていき、巨大な魔法陣が形勢されていく。
刺さった剣を中心とし、エクール神殿すら組み込んだ魔法陣が出来上がる。
「な、何をした!?何だこれは!!」
リリスは血の魔法陣で覆われた大地を見回す。
エイルにも何が何だか分からない。
前の魔法陣より大きく、模様も違う。
例の黒い『槍みたいな刃』すら出てこない。
「──呪文だ!魔力に指示を出せ!!」
エアがウシュムガルと熾烈な殺し合いの中叫んだ。
魔法においてもっとも重要な補助。
魔法的な意味をもつ言葉で魔力を制御する、それが呪文。
はっとしたようにエイルは剣に向けて手をかざす。
「《水よ、刃となりて敵を穿て!ウンディート・アクア──!》 」
唱えるのは、水の攻撃魔法。
呪文と共に、血の魔法陣が沸騰したように煮え立つ。
だが、リリスも黙っているままではない。
「調子に乗るな!」
リリスがエイルに迫る。
そして、咄嗟に口から出た最後の呪文は、
「この刃は、ティアマトの寵児を討ち滅ぼすものなり──!」
ヒュン、高速で魔法陣から黒い槍のようなものが打ち出された。
リリスは身を翻して避け、槍はリリスの前髪を数本切り取っただけだ。
だが、リリスの先にいたウシュムガルは槍の存在に気づくことすらなかった。
「ァァァァギャアアアアアアアアアアア!!?」
槍はウシュムガルの腹を貫き、血がほとばしる。
続いて二本目が発射され、さらにウシュムガルの腹が引き裂かれていく。
レイナとエアは滴る血を回避するため距離を取るが、もうウシュムガルの眼中に二人は映っていない。
「やった……?」
魔法が発動したことに安堵したが、直後エイルは鋭い痛みに悶えた。
「っあ……いぎっ……!?」
「へえ……血を使うんだ。これは予想外。まさか、本当のまさかね……」
エイルの腹を蹴り飛ばしたリリスは 笑みのない冷徹な表情でエイルを見下した。
地に伏したエイルと同時に、血の魔法陣からの攻撃は止み、ウシュムガルに刺さっていた黒い槍も消えてしまった。
それを見たリリスは、
「ウシュムガルをここまで追い込んだことに敬意を示して、一旦引いてあげる。また会う時まで、禁じられた魔法の使い方でもお勉強しておくことね」
「待て、リリス──」
「ァァァァァ!アアアアアアアアギィアアアアアアアアアアア!!!」
エアの言葉をウシュムガルの叫び声が掻き消す。
翼を大きく広げ、上下に動かすとウシュムガルの体は宙に浮いた。
羽ばたかせた翼で風が起こり、レイナもエアも近づけない。
リリスは低空飛行のウシュムガルに近づき、軽やかに飛び乗る。
そのまま振り返ることもなく、空へ飛び去った。
「う……ぁ……ぃ」
「エイルっ!大丈夫か!?」
「ちょっと、どうしたのよ!?」
腹を抱えてうずくまるエイル。
慌ててエアとレイナが駆け寄るが、エイルは反応できない。
急に疲労、眠気、寒気が襲いかかり、意識を保つことすら困難だ。
前と同じように、頭にウシュムガルがもがき苦しむ姿が永遠と映し出される。
思考がはっきりしない、殴られたような痛みに脳が支配される。
プツリ、エイルの視界は暗転し、そのまま気を失った。