1話 禁じられた儀式
「ねーちゃんさ、バカだよね」
開口一番、弟は姉に罵声を浴びせた。
「バ、バカじゃないもん!たまたまモンスターがいて、たまたま戦闘になって──」
「で、たまたま冒険者が通りかかって、たまたま助かったんだろ?攻撃魔法が使えないのに森に入るとか自殺行為だぜ」
「むぅぅぅぅぅぅぅ……!」
「だいだいアクスラピアが使う材料くらい、親父に頼めばもらい放題だろ」
五歳年下の弟、ティトーに正論を畳み掛けられ、姉の威厳がボロボロのエイル。
小さな村の小さな診療所、その裏庭で魔法書を広げていたティトーに昨日のモンスターとの邂逅を話していたのだが、弟は同情なんて甘いことはしなかった。
冷ややかな目線を送り、容赦なく嘲罵の言葉を投げ掛けて、
「攻撃魔法が使えないならしゃしゃりでるなって、マジその通りだしな」
「そこまで言われてないよ!?」
「ニュアンス的にそうだろ」
「う…だって……」
森に入ったのはほぼ全てエイルが悪かった。
この村──ウラム村は比較的安全で、モンスターによる被害もない。
それでも少なからず、モンスターは存在し、定期的な退治が望まれる。
今年で十七才になるエイルは若者で編成されるモンスター狩りの自警団に入団できていなかった。
女という理由で入団できないわけではなく、エイルにより三歳年下の少女も普通にモンスター退治に出ている。
入れない理由は一つ。
「私だけ攻撃魔法が使えないからって……」
モンスターは遥か前──人間が遠き楽園から移住してきたと言われる原初の時代から既に存在していたらしく、唯一の攻撃方法は『魔法』のみ、と言われている。
一応剣や銃といった武器で傷をつけることは可能だが、すぐにモンスターの回復魔法で治癒されてしまう。
人間やモンスターには魔法器官─オドと呼ばれる魔力を精製する器官が存在する。
そこで精製された魔力を使うことで、属性に分類された『魔法』を発現させることができる。
たが、人間のオドは退化していて、精製できる魔力の量は非常に少ない。
そのため、人間による魔法発動には、魔法陣のような術式や器具による補助が必要になる。
例外としてオドが退化していない人間もおり、そういった人は魔法をより高度に学ぶために魔法学校に通い、魔法使いとして名を馳せることになる。
逆にオドが退化どころか存在しない人間──フールという者もおり、彼らは魔法が使える人間から差別され、迫害される。
エイルはフールではないのだが、
「オドが退化してるわけでもない、属性が外れているわけでもない……ねーちゃんには才能が絶望的にないんだよなあ……」
「姉をそんな可哀想な目で見ないでよ!」
なぜかエイルは攻撃魔法が使えない。
術式も呪文も正しいはずなのに、魔法がうまく発動しないのだ。
「神の思し召しか、天使の告知だよこれもう。冒険者になるなっていう」
「うぐぅ……。テ、ティトーだって水属性は嫌だー!って言ってたじゃない!!」
「しょ、しょうがないだろ!親父もかーちゃんも、ねーちゃんだって水属性じゃないか!!それ以外の属性になれる可能性なんて皆無なんだから!」
属性は炎、水、風、雷、土、光、闇の七つで、それぞれ魔法の発動方法と効果が違う。
例えば『水』は『癒し』や『精神干渉』といった魔法と相性がよく、逆に『炎』は『熱』や『攻撃』系の魔法と相性がいい。
属性ごとに固有の呪文や術式があり、違えると魔法は発動しない。
ちなみに七属性に属さない希少属性も存在する。その場合、固有のものは一切使えないため、自身で魔法を開発するしかない。
ティトーは炎属性が良かったらしいが、両親・姉・爺婆が水属性の家系の血筋を受け継ぎ、例外なく水属性を賜った。
駄々をこねまくってはいたが、魔法の才能は村でも最強レベルだ。
そのため、村の長老から特別な魔法教育を受けており、将来は魔法学校への入学が決定している。
なぜ姉弟でここまで違っているのか、残念なことにエイルとティトーは全くといっていいほど似ていない。能力と才能は完全に異なり、似ているのは髪色と瞳の色くらいだ。
ティトーは魔法書を読む作業に戻り、
「ま、頑張って簡易魔法ぐらいはつかえるようになってよ。水属性にも一応、攻撃魔法あるからさ」
「分かってるわよ……嫌でも覚えないと……。あ、この本借りていい?」
「ほいほい。たぶんねーちゃんには一つも理解できないと思うよ」
エイルが手に取ったのは、ボロボロの書。
拳くらいの厚さの魔法書は、その見た目通りの重さで、エイルはよろけながら持ち上げる。
残念だが、ティトーが言ったように半分も理解できないだろう。
「ぐぬぬぬ……それも今日で終わりなんだから」
ティトーの言い種に少し腹を立てながら、こっそりと裏庭から外に出る。
のんびりと時を過ごす村人に悟られないよう、再び森へと向かう──昨日の事件の森へ。
魔法が使えないのには理由がある、それがエイルの結論だった。
術式も呪文も正しいのに、魔法が発動しない──しかも攻撃魔法だけ。
水属性と一番相性のいい回復魔法は、両親と比べたら拙いが一応は使える。
それがフールでないことの証であり、他に原因があるのだ。
「──水属性の呪文と術式を使っても攻撃魔法が発動しない。それは、私の魔力が足りないから」
攻撃魔法は世界に直接干渉する魔法。
必要となる魔力の量は回復魔法よりも多い。
攻撃魔法が発動しない理由を、自身の魔力の量が少ないと考えた──補助をつけても足りないほどに。
オドで精製される魔力の量は一生変わることがない。
なら、補助をより強化するしかない。
森に到着するとエイルは魔法書を地面に下ろし、昨日準備した魔法陣が荒らされていないか確認する。
森に行く理由は一つ。儀式のためだ。
昨日はその準備のために森に入り、モンスターと出くわしたのだ。
休憩と称し、本を読む作業に没頭していたのが悪いのだが。
「よし、大丈夫。あとはヘクトを一匹……」
すると、エイルは近くに仕掛けておいた小動物用の罠を確認した。
小さな鉄格子の中には、カエル型のモンスターのヘクトがいた。
モンスターの姿は獣型もいればヘクトのような両生類型、ドラゴンなんかもいる。
ヘクトは小柄で驚異は小さい。
その肉は調理すると非常に美味で、酒場の定番メニューとなっている。
だが、今日捕獲したのは食べるためではない。
「ごめんね……すぐに済むから」
そう言うとエイルは懐から台所用から拝借したナイフでヘクトの腹を小さく切る。
「ゲッ!?ゲコッゲコッ!!!」
文字通り、身を切られる痛みにヘクトは体を震わせる。
エイルは必死にヘクトを押さえ、ヘクトの血を地面に垂らす。
小さな血の水溜まりができると、
「ごめんね──」
力を緩め、ヘクトを解放すると、傷ついたことなんて気にしないかのように走り出した。
姿が完全に見えなくなった頃、エイルはティトーから借りた魔法書を開く。実は何回かこっそりティトーから拝借しており、あらかじめ準備しておくべきものは頭に入っていた。
難解な文字が羅列したページをめくり、大きな魔法陣が描かれた頁を広げた。
「母なる創生の女神、我に呼応せよ。汝、魔力の源にして自然の具現なり───」
呪文を唱えながら、昨日描いた魔法陣をヘクトの血でなぞっていく。
ティトーが持っていた魔法書は全て長老の所有物だ。
今行っている儀式はその一冊に描かれたもので、生け贄を捧げる太古の方法。
まだ魔法という技術が確立していなかった頃、人々は己の魔力を高めるために生き物の命を捧げた。
その効果は今とは比べ物にならない代物で、世界を脅かすほどの魔法を発動することができたという。
今ではただの伝説となっており、信じる者はほとんどいない。
それでも。
「──偉大なる神に血を捧げます。この血をもって人を創造した神に再び奉じます」
きっと怒られるだけでは済まないだろう。
弟にはまたバカにされるかもしれない。
気が狂ったと言われるかもしれない。
それでも古の伝説にすがるしかなかった。
「深淵に沈む厄災、世界を見守る巨神、あなたの力をお貸しください。歯向かう反逆者を滅ぼす力を」
魔法陣は血で塗られ、準備は整った。
そして、静かに唱える。
「その方位は西、ほうき星の加護。水の精霊に命じる──《ウンディート・アクア》」
前文は神を賛美する詞、後文は水属性の呪文。
西は水を司る方角、ほうき星は魔法陣の中心に描かれた魔法的な記号。
これらを組み合わせることで魔法は発動する。
だが、
「…………………………無理だよね」
長い沈黙の末、エイルは落胆のため息をついた。
いや、もしかしたら何かが違うのかもしれないと無理矢理楽観的に考えてみる。
もう一度魔法書を眺めると、
「あれ、生け贄の血のほかに供物……貢ぎ物が必要……?」
どうやら少し足りなかったらしい。
しかし、捧げ物なんて今のエイルは持ち合わせていない。
何かないかとポケットをあさると、綺麗な水色の小さな水晶が出てきた。
「そういえば、出店のおじさんから百フォリスで買ったんだっけ。……これでいいかな」
とりあえず魔法陣の中心に水晶(投げ売りの百フォリス)を置き、再び呪文を唱えようとしたその時、
「ゲコッ!!!」
いきなりエイルの顔に何かがへばりついた。
プニプニとして生温かい、カエルのような何かが──
「ふごッ!?」
先程の復讐なのか、腹を傷つけられたヘクトはエイルの元へ戻り、顔に全力で張り付いている。
「は、離れなさい!うぬあああ!」
エイルは両手でヘクトを掴み、無理矢理顔から引っ張る。
これはたまらない、ヘクトはそう判断したのか、迅速にエイルの顔から離れ、手から逃れる。
しなやかにヘクトが血の魔法陣の上に着地した、その瞬間。
───辺りは光に包まれた。
1フォリス=1円です。
作中では説明できませんでしたので、後書きに追記させていただきます