17話 原初の魔女
不安を抱いたまま、森を走り抜ける。
段々と空気中に土埃が舞い、焼け焦げたような臭いが立ち込める。
嫌な予感に駆り立てられて足を早めると、最初にエイルが符丁を叫んだエクール神殿の目の前に辿り着く────はずだった。
「──────────────」
誰もが絶句した。
道も見違えてない、きちんと帰ってきたはずなのに。
エクール神殿がなかった。
辺りにはエクール神殿『だった』瓦礫や折れた柱が散乱し、美しい祭壇は見る影もなく破壊されていた。
ディオネ教の聖地であり最高の神殿であったこの場所は、無残な姿に変わり果ててしまった。
言葉も表情も無くなるほどの衝撃の中、ただ一人。
「久しぶり、魔王さま♪」
にこやかな笑顔で、少女が瓦礫の山に立っていた。
足首が隠れるほど長い薄紅色の髪を揺らしながら、妖艶さを秘めた紫色の瞳を細めている謎の少女。
大きく胸を見せるトップスにはレースがあしらわれ、スカートは布を巻いただけの簡素な物。魅力的な肉体を惜しげもなく露出させた、なんとも攻撃的な衣装だ。
「り、リリス!こんなところで何やってんだよ!!」
「リリス?」
エアがただ一人、場違いな笑みを浮かべる少女リリスに怒鳴る。
一方のリリスは余裕の笑みを浮かべるだけで何も語らない。
「エアさん、この人もしかして───」
エアと知り合いのようだが、知己の仲というわけでも無さそうだ。
そう一言で言うなら…。
「元カノ?」
「ちげぇよ!!どこをどうみたら昔恋人だった風に見えるんだ!?」
「じゃあ、今カノ?」
「昔も今もそんな事実ないしありえない!!」
大声で否定するエア。
リリスはわざとらしく涙ぐみ、
「あぁー魔王さまったら酷いー。あの情熱的な夜を忘れまして?もう、あんなにも私を熱い目で見たのにぃ…超ショックぅー」
「や、やめろ!変なこと言うな、誤解されるだろ!それに情熱的な夜なんて一夜もなかっただろ!おまえが俺のことからって変なことしてきだけであって───」
「変なこと?」
「ああああああ!エイルにはまだ早い!聞くな!」
「ねーお嬢ちゃん、大人の秘密、知りたくなぁい?」
「やめろおおおおおおお!」
「─?─?」
リリスがいる瓦礫の下でエアが懸命に喚く。
残念なことにエイルはリリスの言う『大人の秘密』もエアが必死に隠そうともがく『変なこと』もよく分からなかったため、キョトンとするだけだった。
レイナだけはリリスを睨み付け、敵意を剥き出しにしている。
「そ、そんなことどうでもいいんだ!神殿を壊したのはおまえか、リリス!!」
「そうだよ?本当は聖女も潰したかったけど」
エアの問いに悪びれもなく、あっさりと答えるリリス。
目の前に広がる瓦礫の山。これら全てがリリスという少女の手によって作られたものであることが、エイルには信じられなかった。
「あ、もしかしてあなた、私を人間だと思ってる?」
突然、リリスがエイルの方を向き、話を振ってきた。
まるで心を読んだように、リリスがエイルの考えを当てた。
それ以上に気になったのは、自身は人間でないと暗示するようなリリスの口ぶりだ。
「まあ、私のことは知らなくて当然かな?今までわざと人間には姿を見せてこなかったわけだし」
軽やかに、スカートをひらめかせてリリスが瓦礫の下に着地する。
そっとスカートを持ち上げ、恭しくお辞儀しながら、
「それでは改めまして。私の名前はリリス。神への反逆者にして人類の天敵、魔王軍の長であるアプス様の眷属でございます。もちろん──魔王さまより格上のね」
風がエイルの髪を揺らした、その瞬間。
リリスがエイルの横を通りすぎ、手にいつの間にか握られていた槍の刃をエアの心臓に突き刺す。
───カッキィィィィィィ!!
剣と槍がぶつかり、火花が飛び散る。
咄嗟にレイナが間に割り込み、銀の剣を振るわなければ、今頃エアの命はなかった。
「いきなり襲うなんて、礼儀がなってないわね」
「あらら、防がれちゃったー!」
リリスは仕切り直しと何度も槍を振るうが、レイナは的確に猛攻を防ぐ。
レイナに押し返された反動を利用し、リリスはバク転で後方に下がる。
「そこのポンコツ、おまえ達の仲間じゃないわけ?」
リリスに注意を割きつつ、レイナは横目でエアをちらりと見た。
数日とはいえ魔王だったエア。ゆえに魔王軍の一員であるリリスは仲間であるはずなのだが、リリスはエアに対する殺意をさらけ出している。
エアは何も言わない。
ただ、リリスの行動に驚き、呆然と立ち尽くすだけだ。
一瞬だけ、かつての仲間を見たリリスはつまらなさそうに、
「仲間?うーん仲間というよりは──」
無邪気に、そして残酷に言った。
「囮、かな」
呼吸がとまった。
確か勇者に封印された時、部下に裏切られ、逃げられたと言っていた。でも心の底では信じていたのかもしれない。少なくとも、魔王軍の一員として信頼していたのかもしれない。
だが、リリスの言葉によって希望は打ち砕かれた。
「私たち魔族は人間を殺すために襲う。でも、人間は王国に結界を張るから魔族は侵入できない。裏でこっそり対策を練ってる間、表で人間の目を引くために用意したのが、魔王さま達だよ。魔族じゃない、ただアプス様からお遊び程度の力を貰っただけの可愛い道化ちゃん」
「…………………」
言葉が出てこない。
魔王軍を恐れていたエイルも魔王を討伐していたレイナも、魔王であったエアすら手のひらで転がされていただけの道化。
その事実が重くのし掛かる。
「でも、結界を破壊する手段が完成したからもういらない。勇者に封印されたままでよかったのになぁ…何の因果で解けたのか知らないけど。あーでも、魔王さまを始末するためにシュムガルを一番に使わせてもらえたのはちょっぴり嬉しいかも!」
人間の全く同じの外見。だが内面は恐ろしいほど歪んでいる。
愛らしい顔も魅力的な身体も、なにもかもが狂気に染まっているように見える。
「……酷い」
口から絞り出した言葉はたった一言。
でもそれで十分だ。
ようやく、エイルは目の前の少女が人類と敵対する魔族であると理解できたのだから。
「だからね、魔王さま。余計なことをいう前に死んでほしいな」
とびきりの笑顔を浮かべ、リリスがエアに飛びかかった。
エアは抵抗も、逃げることもしなかった。
ただ、リリスが高く上げた槍が迫るのを眺めてるだけ。
しかし、またしてもリリスの槍はエアを貫かなかった。
レイナの銀の剣が槍を阻み、槍の刃先を受け止める。
「勘違いしないで」
エアに背中を向けたまま、レイナはいい放つ。
「魔族の思い通りに事が進むのが嫌なだけ。勝手に死ぬなんて、それこそやつらの思うつぼだわ」
「……わりぃな」
小さく礼を言い、エアはうつむいた。表情は見えないが、だいぶショックを受けているようだ。
リリスはエアを狙い、槍を振るっていく。
だが、レイナは的確に打ち返し、徐々に攻めていく。
最初は攻めていたリリスも守ることに手一杯になり、後ずさっていく。
そしてついに、槍が弾かれ、リリスの手から離れる。
槍は地面に突き刺さり、リリスは武器を失った。
そのまま喉元に剣先を突きつけられ、もう打つ手はない思われたが、
「ねぇ勇者、背中の大剣は抜かないの?王子様の『形見』のさぁ?」
その一言で、レイナに動揺が走る。
「……黙れ」
正確に獲物を捉えていたレイナの剣が初めて鈍った。
感情のままに振るった剣をリリスは簡単に避け、レイナから距離を取る。
倒壊したエクール神殿の瓦礫の山に軽やかにジャンプし、
「おいで───!」
まるで胸に迎え入れるに、両手を広げた。
すると、
─────ァァァァ………!
聞き覚えのある音、いや鳴き声だ。
何かに遮られているように曇っていて、聞き取り難いが確かに聞こえた。
これは。
「レイナさん、土の中です!下に何かいます!」
咄嗟に叫んだエイルの声に、レイナははっとしたようにその場を離れた。
その直後、地面が割れて巨大な『何か』が飛び出し、レイナがいた場所を食らう。
鋭い歯が生え揃った口から涎を垂らし、真っ赤な瞳を忙しく動かしている目の前のモンスターは。
「ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「ふふ、この子の名前はウシュムガル。人類を滅ぼす巨神の孤児」
エイルにとっての因縁の相手。
ウラム村を襲った楽園の獣が、再びエイルの前に現れた。
作者のTwitterの方に、主人公エイルの立ち絵を載せてあります。
よければご覧下さい!
気力があれば、他のキャラの立ち絵も少しずつ載せていきます。
要望とかあったら、是非どうぞ!
@udon835