14話 聖なる神殿
「酷い。何が酷いって全部酷い」
「それは言わない約束です……」
エクール神殿。天空の女神ディオネを祭った神殿。
そこへ辿り着くために、二人は多くを犠牲にした。
まず、エクール神殿というのはニップルの奥にある丘の頂上にある。ニップルは広いため、馬車を使わなければならず、エイルの僅かな給料が犠牲になった。
到着した後、さっそく丘を登ろうとしたのだが、
「なーにーがー小布施だちくしょう!!!」
神聖な場所であるためお清めが必要だなんだと麓のディオネ教教会で忠告され、言われるがままによく分からない神父の説教を聞き、身体を清めるために塩を全身に振りかけられ、心を清めるために女神ディオネの彫刻の前で一時間祈り、最後に大量のお布施を要求された。
エクール神殿に辿り着く前に二人の心身と懐はボロボロだ。
今思えば、教会のお清めとやらは悪質な観光客詐欺だったのかもしれない。
「で、でもなんだか心も身体もスッキリしましたね!これなら安全に登れる気がします!」
「スカートに塩、まだついてるぞ」
「なっ!?」
エイルは慌ててスカートから塩を払う。
そのまま懸命に澄まし顔で平静を保ったが、なんだか猛烈に悲しくなった。
「これだけやったんだから、何かしら効果ないと怒るぞ……まったく」
ブツブツと文句を言いながら、丘を登り始める。
丘道は非常に整備されているため歩きやすい。
だが整備された道を一歩出れば、木々が生い茂った森が広がり、薄暗くなっている。
「ニップルとは思えないくらい静かですね」
エクール神殿の周辺は自然が多く、中心部の騒ぎとは程遠い。
涼しい風がエイルとエアの髪を優しく揺らし、木々のざわめきが心地よい。
歩き続けて数十分で荘厳な神殿の一部が見えてきた。
あと一踏ん張り、二人は早足で頂きを目指す。
そして、
「着きました!エクール神殿です!」
「でっかいな…。まあ、女神様の神殿だもんな」
目の前にそびえ立つ立派な神殿。
何本もの巨大な円柱が並び、短い階段の先には祭壇が堂々の面構えで置かれている。
床には高そうな絨毯が敷かれ、壁には槍や剣などの武器の他に絵画が掛けられていた。
ディオネ教の財と繁栄を示すエクール神殿にエイルとエアはただ驚くばかりだ。
そしてなんと、二人以外に誰もいない。
「おいここ、ディオネ教の重要な神殿なんだろ。なんでこんなにがら空きなんだ」
「……たぶん、麓の教会のせいかと」
「……だな」
エアのバイト代とへそくりを一瞬で溶かした小布施をどうにかしないかぎり、永遠にこのがら空きが続く気がする。
だが、二人には好都合だ。
「で、なんか合図とかあるのか?聖女様に伝えるための」
「はい、ガルーさんから聞いてきました!ええっと確か──ん?」
ふと気配を感じ、エイルは後ろを振り返った。
だが、後ろには誰もいない。
「どうした?何かあったか?」
「いや……今後ろに誰か……」
エアもつられて後ろを振り返るが、やはり誰もいない。
「気のせい…かな」
気を取り直して、エイルは正面を向きなおす。
すう、肺いっぱいに大きく息を吸い、
「働きたく────ないでござるー!!!!」
『ござるーござるー』と語尾にエコーがかかり、エイルの魂の叫びが森に響き渡る。
一息ついた後、エイルが爽やかな顔で、
「ふう……これが符丁です!」
「え?これが?」
ただの働きたくない宣言にしか聞こえないが、聖女が指定した立派な符丁である。
これで聖女が神殿の中から現れる……と思いきや、
「……なんか、変な音しないか?」
ぼよーん、ぼよーん、何か弾力のあるものが弾む音。
背後にはっきりと感じた気配に振り返ると、そこには。
「ぼよーん。ぼよーん。ぼよよーん!」
大きくて透明なゼリーが元気に跳ねている。それも一メートルくらい。
よく見ると、ゼリーの中には胃袋のような臓器が浮かび、表面には目と口があった。
紛れもない、低級モンスターのスライムだ。
「ぼよーん!ぼよよおおおおん!!」
スライムは上機嫌で鳴き、跳び跳ねる。どうらや興奮しているようだ。
エアはスライムに近づき、ゼリー状の体をツンツンとつついた。
「こうして見るとけっこう愛嬌あって可愛いな」
スライムの目はつぶらで中々愛らしい。
今までモンスターというだけで悪印象を持っていたが、それは早合点だったかもしれないと思い始めてきた。
さらにエアがツンツンしていると、
「ぼよーん!───ペッ!!!」
スライムがつぶらな瞳のまま、口から何か『ドロッ』としたものを吐き出した。
異臭を放つ、ヘドロにも似たジェルはエアの顔を直撃し、強靭な粘着力で顔に張り付いた。
エアは固まったまま動かない。
スライムは後ろを向き、挑発するようにお尻を振る。
長い空白の時間の後、エアはゆっくりと顔についたジェルを手で払い、
「確か……神殿にスライムが大量発生して困ってるんだよなぁ?」
「(あ、やばい)」
感情が全くこもっていない声、目が笑っていない笑顔を見てエイルは直感した。
初めて会ったときから、エアには魔王感がなかった。
だから今まで気さくに話しかけれていたわけで、怖くもなかった。
だが、今。
「腸、晒しやがれえええええええ!!!」
笑顔を一瞬で鬼の血相に変えたエアの手には風の剣が握られており、ウラム村の化け者と戦っていた時より風の強さと勢いが増している気がする。
この瞬間だけならエアが魔王に見える、むしろ魔王以外に見えない。
そしてエイルは思った。
絶対にスライムに腸なんてない、と。
スライムは軽々と高くジャンプして風の剣を避け、そのまま道の外れにある森に逃げていく。
「待ちやがれえええええええええこの単細胞野郎おおおおおおお!!!」
エアもスライムを追い、森に駆け込む。
「え、エアさん!どこいくんですかー!?、」
一瞬エアを追うか迷ったが、これだけ騒いでも聖女は神殿から現れない。
一旦聖女と極秘クエストを置いておき、エイルも森に入り、一人と一匹を追いかけた。
「────────あいつは」
その背中を、誰かが見つめていたことに気がつかずに。