家庭訪問!
ファルシ公国は今から800年以上も昔に建国された国だ。南北を山脈に囲まれ、湧き水が豊富なことから農業によって成り立つ辺境の小国。だが近年では隣国のアランドール王国の情勢不安により、国の存亡が危ぶまれている。
アランドールの事実上の属国であるファルシは貿易が制限されており、自由な外交が出来ない。そのため万が一にでもアランドールが倒れれば属国の属国として最底辺の扱いを受けることになるだろう。
その波乱に満ち溢れた国で英雄と呼ばれる者の子孫は、暖炉の前で寒さに身を窶す。とは言ってもこの季節は指して寒い訳でもないのだが、この男が極度の寒がりのため専用の暖炉が稼働されているだけだ。
オスロ11世。
別名ネルケローネー•ダル•オスロ。
「寒ぃよォ……何でこんなに寒いんだよオォ……!!」
オスロ家は代々魔術師の家系であり、ファルシ公国においては宰相の地位を与えられている。だがネルケローネーにとっては国の先行き等どうでも良い。名誉よりも食い扶持を、民の平和よりも私腹を優先する宰相の鏡である。
そんな彼が唯一の悩みとも言えるものを抱えている。東の島からやって来たという異邦人のことだ。名前を向井ハルキというやつだったか、あの少年の処遇について、ネルケローネーは扱いに困っているのだ。
今から一年ほど前、突如この大陸にどの国にも属さない人間が現れた。彼らはこの大陸のどんな言葉でも完璧に操り、特殊なスキルを必ず一つは持っているらしい。
突然の事態に各国の政府は大混乱、というほどではないが、一部の人間は既に動き始めている。例えば西にある帝国では異邦人をかき集めて軍隊に取り入れようと目論んでいるとか。
つまりは少なからず、彼らはどの国でも目立つ存在であるのは確かだ。
少しずつ、だが確実にこの世界の何かが変わろうとしている。
時代の流れがそういう風になっているのは仕方ないが、小国の宰相という微妙な立場のネルケローネーからすると、関わり合いになるのは御免被りたいのである。
しかし、しかしである。
あの少年は我がファルシ公国の領土内に現れてしまった。しかも他人のスキルをランダムに奪い取るという前代未聞の凶悪なスキルを携えて。そんなスキルを持っていれば、当然年老いたファルシ王は興味を持つし、我が国の兵力として取り入れようとも画策する。それはいい、それ自体は別にいい。
問題はあの少年自体の性格にある。王は子供だと思って甘く見ているようだが、やつの性格は酷く醜悪なのだ。王の前では礼儀正しく接するものの、侍女や一般兵にはかなり横柄な態度を取っているらしい。それから姫様に対しても厭らしい言動を繰り返している。まるでアランドールの貴族そのものだが、これだけでは終わらない。
城下町で強姦未遂の被害が報告されているのだ。犯人こそ捕まっていないが、ほぼあの異邦人で間違いないと踏んでいる。小国であるが故、仲間意識が強いファルシ公国は極めて治安がいい。ほとんどの国にある筈のスラム街が存在しないのもそれが理由だ。
やるとすれば他所から来た者しかあり得ないだろう。ファルシに来る商人たちはほぼ全員がアランドールからの常連なので、必然的に容疑者は絞られていくからだ。
「あいつ事故に巻き込まれて死んでくれねえかなぁ」
端的に言ってネルケローネーは面倒ごとが嫌いなので、向井ハルキとは関わりたくないのである。
そんな折、ネルケローネーの部屋に一報が届いた。
分厚い石灰樹の扉越しから、大きな声で呼ぶ声がする。
「オスロ様! オスロ様は居ませんか!?」
「ん? 何事だ、騒がしい……」
「オスロ様! 奴です! 向井ハルキが帰ってきました!」
「何ッ!?」
つい先日、向井ハルキは誰にも報告することなく旧市街を抜けて、町の外へと出て行ったと衛兵からの報告を受けている。しかも今回だけではなく、二週間前にも同じことが起きていた。しかし奴は国王のお気に入りであり、この国にとっては無視できないスキルを持った異邦人だ。
当然、国内とはいえ無許可での外出が許される訳がないのである。この件は既にファルシ王に報告済みだが、ネルケローネーからは厳しい処罰を下すように進言してあるので、奴が帰って来たとなれば、今までの態度も含めて罰するつもりだ。
それを踏まえて、ネルケローネーは寒さを気にもせず、勢いよく扉をあけ放った。
「どこだ! どこにいるのだ!」
「そ、それが……」
ファルシ公国の有する由緒ある建築物の一つであるファルシ城には、長年培ってきた医療技術と国境紛争で苦しむ兵士のために作られた医務室が存在する。その部屋に並べられた藁とアカシアの木で出来たべッドに横たわる少年が一人。
「う、うわああ……うっ!」
彼が発見された時、東側の砦にいた衛兵はその惨状に思わず口を覆った。急いでいたのか、ズボンを履かずに下半身を露出していたハルキ。その痛々しい局部の裂傷が数時間に及ぶ馬での移動によって完全にズタボロになっていたのである。
本人も気力だけで動いていたのか衛兵を見るや、馬から地面にずり落ちて医務室に運ばれ今に至る。
「ひゃー……」
これには流石のネルケローネーもドン引きである。多少は医療にも精通しているネルケローネーだが、これは助からないだろうと感じた。
というのも傷口が既に化膿を始めており、異臭を放っているのでそのうち腐敗が始まるからだ。腕や足ならば焼き鏝で傷口を塞ぐこともできるだろうが、局部にそれをやるとなると、この少年が耐えられるとは思えない。
大国ではやれ瀉血などという血を抜く治療が有るらしいが効果があるとはとても思えないのだ。今できるのは薬草を塗り込み傷口を消毒する位だろう。王は残念に思うかもしれないが、ちょうど良かったとネルケローネーはほくそ笑んだ。
◇ ◇ ◇
「しょうがねぇなぁ」
夜明け前、伊月は未だに村に留まっていた。というのも夜に一人だけで行動するのは、得策ではないからだ。それにファルシ公国に向かうのはいいが、装備をある程度整えてから行った方が効率的に進むことが出来るだろうと思ったからだ。
伊月はまず、干してあった服を漁り、新しい服装に着替えることにした。上下とも麻に似た素材で出来た民族衣装のようだが、はっきりいって中国製の方がマシなレベルで粗悪なものだった。しかし現地に馴染み、尚且つスーツを汚さないようにするためには、現状最善の策である。
次にダサい服を手に入れた後は、武器を新調することにした。
便利なことに戦闘用のサーベルが一本額縁に飾ってあったので強奪し、他にも投げナイフを三本見つけて手に入れた。あとは食料だが、これはあまり乏しい戦果は得られなかった。缶詰めが存在しないこの世界で、保存食など皆無に等しいのである。
しかし、ランプを持って村中の家を漁り回っている間に一軒だけ異臭のする家を見つけたので、伊月は中に入り込んだ。見たところ牛舎のような場所らしく、中には大量の藁と異臭のする肥溜めがある。
伊月はそれを見るとほんの少しだけ繭を顰めて、嘲笑った。
「なるほどなぁ、道理で村人が居ねえ訳か」
その肥溜めには老若男女問わず、この村で暮らしていたであろう村人たちが死体となって捨てられていた。恐らくはスキルを奪われて用無しとなったので殺されたのであろう。これを全て、あの少年が一人でやったのだ。飛んだイカれ野郎である。
別に恐怖だとか、可哀そうだとか、そんな感情は沸いてこなかったが、代わりに伊月には不思議な感情が芽生え始めていた。
「くくく……奴は俺がぶっ殺してやるよ」
伊月はどす黒い笑みを浮かべると、持っていたランプを藁に投げ込み馬舎をまるごと焼き払った。