家族になろうよ!
ルメル族の男たちは昨日の朝に狩りに出てから、二日後の昼間に集落に帰ってきた。彼等が主に狩っているのはアルト高原に原生する最大の草食動物ファルシ・ルーだ。
羊と牛が合体したようなこの生物は、肉が柔らかく臭みも少ない。そして毛皮が暖かく、彼等の服に加工したり、街に行って売り払うとそこそこの値段で売れるため、彼等にとっては絶好の獲物だった。
ただ警戒心が強いため、家畜化が非常に難しく、ルメル族は長い間ファルシ・ルーを狩猟する方針で生計を立てている。
その狩人の一人、まだ若手のウニクは、集落に戻ってからというもの落ち着くことが出来ないでいた。というのも彼の妻が、息子が昨日から行方不明だと言うからだ。
子供と云えど、ルメル族の男であれば、このアルト高原で迷うことは有り得ない。集落のすぐ側で在れば、香を焚いているため狼は寄り付かないし、山岳地帯の蠍に刺されるようなことも、まずあり得ないだろう。
ルメル族の子供たちは小さいときから、狩りのやり方と生活の知恵を教え込まれるので、蠍の毒の恐ろしさを十分に理解しているからだ。
だがそうなれば、余計に疑問は募っていく。自分の息子は、一晩の内に一体何処へ消えてしまったというのか。
ウニクの妻は一日中泣き続けている。
「フルダぁぁぁ!! 私がちゃんと見ていなかったから……! きっと獣に食べられてしまったのよっ……!」
「そんなことはない! フルダはルメル族の男だ、簡単にはやられないさ……きっと見つかる!」
そうは言うものの、ウニクも不安に押し潰されそうだった。こんな時に頼れるのは集落の長であるルカン・テレシューだけだ。族長のゲルに向かうと、既に男たちが集まっていて、話し合いをしていた。
「皆の者……すまない。儂は何か間違いを犯したような気がしてならないのだ……昨日の異邦人からもっと話を聞いていれば……」
「どういうことですか! ルカン様!」
「皆も知っておるだろう。ウニクの息子が消えた。恐らくもう───」
「なんだとっ!!」
ウニクが族長に掴み掛かる。温厚な民族である彼等は、滅多に喧嘩などしないが、この時は別だ。
「やめろウニク! 族長を離すんだ!」
「そんなっ……
フルダはまだ生きている!
絶対に生きているッ!」
その叫びに族長は沈黙を貫いた。そしてゆっくりと口を開くと、静かに語り出す。
「聞いたことがあるだろう……ファルシの伝承を。
アルト高原に“悪魔”が現れたのだ……!」
一斉にどよめきが広まる。
それもその筈、ファルシ公国を築き上げた英雄の一人、大魔術師オスロが残したと云われる予言には、悪魔の話が存在している。
それは子供を拐い、女を喰らい、男たちを残虐無比に殺す化け物の話。ルメル族の子供たちは、その話を聴くと夜も眠れないほど恐怖する。
しかし、それはあくまでもお伽噺である。この局面でその話は、ウニクの神経を逆撫でするだけであった。
「ふ、ふざけるな……!
悪魔など存在しない!
フルダはまだ生きているんだッ……!」
そう言い、ウニクはゲルを飛び出して自分の馬に乗ると、アルト高原を走っていった。
(何が悪魔だ……!
何が“ドゲド”だ……!
俺は信じないぞ……
フルダはきっと生きてる筈だ……!)
預言されたアルト高原の悪魔。
その名を『ドゲド』という。
後に大陸を滅ぼすと云われる災厄の怪物である。
◇ ◇ ◇
「くくく……中々に精強だなぁ。俺の軍隊は───」
山岳地帯の奥地、落ちれば即死するほどの高さの崖があるような場所。その渓谷で、伊月が手を広げている。
その先に居たのは、150体もの混合獣たち。この地区一帯は、既に粗方の生物を狩り尽くしてしまったので、これが今の最大戦力なのだ。
「こうなってくると、神々しさすら感じるな……くくく」
彼等は涎を滴ながら、獣特有の唸り声を上げて伊月の声に答える。主の命令で獲物を狩ることこそが、彼等にとっての使命であり、喜びである。
伊月が手を叩いて彼等の注目を集めると、こう言った。
「お前たちはまだまだ頭が悪いから、単純な命令だけを下すぞ。ここから先、5km地点に人間の住む集落がある。もうやることは分かってるよなぁ?」
「「「「「ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ!」」」」」
獣の声が重なる。
獲物を狩れるのを、今か今かと待ち続けている。
「よしよし、お前ら──
ちっ……」
伊月が言葉を中断する。何か、自分たち意外の気配がしたからだ。既に8レベルまで成長している伊月は、『詮索』というスキルを特に理由もなく獲得出来たので、それに何者かが引っ掛かったのだ。
長い間、静粛の中で息を潜めると、相手が痺れを切らしたのか、先制攻撃が飛んでくる。
「風牙の速弓ッ!!!」
その叫びと共に、得体の知れない塊が、風を切るようにして伊月に向かってくる。風魔法を応用した独自の技だろうか。
速度がかなり早い。
避けきれないと感じた伊月の前には、蠍が十匹以上も配合された、鉄の鎧を持つ混合獣が飛び出してきて、盾となり立ち塞がる。
そして、それが混合獣に当たると魔力の塊が弾け飛び、力が霧のように消えていく。
「な、なんだと……っ!」
「うーん、不合格だな。大した威力じゃない」
伊月が警戒を解いて、大きな岩に腰を下ろすと、男は直ぐ様飛び掛かるようにして、鉈を振りかざしてくる。
その刃は伊月の首を───
「───阿呆めが」
「ぐわぁっ……!!?」
刎ねることが出来なかった。
後ろから小型の混合獣がウニクの脚を引っ張り、前のめりになったところへ、伊月が顔面に足蹴りを食らわしたのだ。
急所に対する打撃により、ウニクは激痛に襲われる。
「お前、どういう神経してるんだよ。
普通この軍勢を見て、一人で襲おうなんて思わねえだろ。どうかしてるぜ」
「ううっ……貴様……
貴様だな……フルダを拐ったのはっ……!」
ウニクは拳を握り込み、再び立ち上がる。右手には鉈を力強く持ち、伊月に相対する。
「拐った? 何のことだ?」
「黙れ……! 白を切るな、異邦人めがっ!
俺の息子を何処にやった!」
「くくく……そういうことか……」
伊月は笑い声を上げながら、口に手を当てている。心の底からの笑いが、一向に止まらないからだ。
「な、何が可笑しい……!」
「いや、すまない。こちらの世界に来てから日が浅いものでな。どうも調子が戻らないんだ。くくく……」
「貴様っ……!」
ウニクが伊月に飛び掛かる。
「そりゃ愚策だろうよ」
脚を組みながら言った、伊月の呟き。
その次の瞬間、ウニクは地面を見る。
「うぉっ!?」
混合獣たちが一斉にウニクの背中を押し倒し、彼を地面に押し付けている。これでは、身動き一つすることが出来ない。
このままでは、待ち受けているのは窒息死の運命だけであろう。
「許"さ"ね"え"!!」
そんな叫びを聞き、伊月が言った。
「おい原人、そんなに会いたいなら会わせてやるよ。くくく……確かフルダっていうガキだったよな?」
「フ、フルダがいるのか……!?」
「ああ、いるとも。出てこいフルダ」
その掛け声と共に混合獣たちの群れの中から、一際身体の大きな個体がのっそりと歩いてくる。
「ウウゥゥゥゥ………」
頭には羊のような角、腰からは蠍のような尻尾が生えている。そしてその身体は全身が裂けており、骨や内蔵が飛び出しているため、強烈な異臭を放っていた。
そのあまりの腐敗臭のため、ウニクですらも吐き気を催す。
フルダは昨日から何度も狩りに行かされ、遂には野生の獣に食い殺されてしまったため、そこで終わる筈の運命であった。
しかし一度素材にしたものを、再び使えるか、否かの実験に使われてしまい、再び甦ってしまったのだ。
それからは更に素材を組み合わせられ、何処まで進化する事が出切るのかを観察する為だけの実験動物となり、幾つものスキルを所有する化け物になっていった。
今や、フルダは原型を留めないほどの醜悪な怪物となり、人間の生理的な嫌悪感を、これでもかと刺激するような存在なのである。
ウニクはそれを見て、どんな感情からか、涙を流していた。
「フ、フルダ……なのか……?
フルダ……お、お父さんだよ……」
「ウウゥゥゥゥ……」
「大丈夫……どんな姿になったとしても……
お前は俺の……」
フルダの顔が更に裂けて、その切れ目が口のようになると、ニタァと笑い出す。
「オトウチャン、アソボ!」
「フ、フルダ! うわあぁぁぁ!!
やめろおぉぉぉぉ!!!!」
フルダがウニクの身体を貪る。全身の骨という骨を突き刺し、顔全体に散らばった歯で肉を喰らい、悪臭を撒き散らしていく。
伊月はそれを遠目に眺めると、直ぐに興味を失い、集落の方向に目を向ける。
「ありゃ失敗だな……絵面が酷え。あと臭え。
集落の方は物量で押して、さっさと蹂躙するか……」