取引に行こう!
日が陰り薄暗くなった街並みの風景。寒くなることを見越してローブを被り顔まで隠す伊月。現在、アスラとゴッゾのみを従者に付けてバスカル地区の商人のアジトに向かっていた。ここの地区は昼間でさえ陰鬱な雰囲気が漂っているのだが、夕方ともなると一層影が増す。
犯罪者にとっては好ましい場所だが、普通の感覚を持った人間ならばまず出歩こうとは思わないだろう。少数で移動しているのは、なるべく面倒を起こさないように身軽に動ける最大人数だからだ。
「旦那、この辺は早く渡りましょう。一番危険な区域です」
とゴッゾが言った通り、ゴミや尿が広がっているのは当たり前で、道端にはナイフでめった刺しにされた犬の死体や、泡を吹いて倒れている浮浪者が二人もいた。
「まるで足立区みたいだな」
「どこですか、それ? とにかく急いでください」
アスラに急かされて、歩く速度を上げていると次第に舗装された道が見えてきた。バスカル地区の郊外、そこはあえて治安の悪い地区に豪邸を立てる者たちが住むエリアだ。
通常、富裕層は治安のいい場所に住む傾向があるが、そこに住んでいる人間たちはヴェストの民でありながらアーバンモローの中心街には入れない者たち、もしくは脱税や闇の商売で形成を立てている者たちだ。
貧困の街でありながら、そのエリアだけは管理されており小さな宮殿と呼べるほどの豪邸がたち並んでいる
。その奥にあった一つの豪邸は飛びぬけて絢爛豪華で、貴族が住んでいてもおかしくはないほどだった。
どうやらここが目的地らしい。
「いいですか、旦那? 今から会うのはバスカル地区でトップを争う闇商人のゴウマンです。くれぐれも問題は起こさないでくださいね!」
「おう、まかせとけ」
「……」
アスラから疑いの目を向けられながら、伊月はゴウマン宮殿の正門へと向かっていく。左右の柱にはガーゴイルのような怪物が彫刻された像が座っている。経験則から考えると像を自宅に置くやつは大抵見栄っ張りで、煽り耐性がゼロなのだ。それにこのセンスから考えれば生まれは相当な貧乏な筈だ。
伊月のイメージではゴウマンとやらは典型的な成金犯罪者で、趣味が最悪で短気で怒りっぽく、ハゲでデブで口の臭いチビ、というところまで推測していると扉の奥から二人の男が歩いてくる。
どちらも筋肉質で見るからに強そうな装備を身にまとっていた。なるほどこいつらがここの用心棒か。そう思っていると片方の男が言った。
「貴様ら何者だ」
かなり高圧的な態度だが、伊月は気にもせず扉の鍵を指さして言った。
「ここ開けろよ、開けねえとぶちころs」
「ちょっと待ってね旦那ァ!」
アスラが慌てて伊月の言葉を遮って前に出る。そして伊月の肩を持つと、用心棒たちから少し距離を取って小声で話す。
「なんだよ」
「なんだろう、とりあえず人殺そうとするのやめて貰っていいですか?」
「仕方がなかったってやつだ」
伊月としては話に応じようとしない相手は、時間をかけるだけ無駄なので早めに処分したいのだが、アスラは伊月の方針には不服のようだ。
「アスラ、そこまでいうならお前のやり方でやってみろよ」
「え。そ、それは…」
伊月の無言の視線に心臓がキュッと締め付けられるアスラ。そうだ、自分で言いだしたからには自分で対処せなばならない。当然のことだ。相手はバスカル地区の元締めの一人、ゴウマンの部下だ。下手なことを言えば、会うことすら難しくなる。
「あの、僕たちはゴウマンさまと取引をしたくてですね、ここに来たんですが」
「失せろ、タナト人のクズ共とは取引はしない」
二人の筋肉だるまに、鉄柱の門越しとはいえ睨みつけられたアスラはたじろいでしまう。そしてその横では死んだ魚のような目でアスラを見つめる伊月がいた。後ろで見ていたゴッゾでさえ、その異様な雰囲気に恐怖を感じていた。
「暴力、恐喝、誘拐」
伊月が言った。
「どれもが犯罪者の使うカードの一つに過ぎない。アスラ、覚えておけ。お前はまだ経験が足りていないんだ。だから、俺の見ている世界との違いを教えてやる」
伊月は鉄柱の門を両手で握ると、眩い光が閃光のように輝き、ぐにゃぐにゃと門が変形していく。スキルによって素材として扱われた鉄の門は水銀の様に溶けて中央に集まっていく。現れたのは人面樹のような顔を持ち、鋼鉄の鞭をしならせる化け物だった。
「貴様今すぐ消えろ! さもないとッ!? ガァッ!!!?」
「くくく、さもないと、何だってんだよ?」
呻き声を上げたほうの用心棒は自分の身体が一瞬、マグマに落ちたような熱い感覚に支配された気がした。“刺された”そう思ったのは間違いではなかったが、自分が思ってるような刃物で刺された訳ではなかったので余計に混乱した。
それは指輪だった。黒髪の少女が中指に付けた指輪の一つ。マチ針のような細かい針が、四角いリングに無数に仕込まれていたのだ。それで刺されたのは理解できたが、体を硬直させ屈強な男を地面に倒すほどの威力があるとは到底思えなかった。
「な、何だ……! 何が……! ノヴォ! 早くあいつを倒…」
ノヴォという名前で呼ばれた用心棒は既に鉄柱の化け物に上半身を削り取られ、手足をバラバラにされている途中だった。おかしい、時間が立つのが早すぎる。さっきまで二人とも無事だったのに。その疑問を解消する暇もなく二人の屈強な用心棒は絶命していた。
ただ後ろで見ていたアスラとゴッゾは、何が起こったのか分からないまま唖然としている。なぜあんなにも強そうな男が大して威力もないパンチで死んだのか、なぜあんな化け物が一瞬で誕生したのか。理解できないということは人間にとって、本能的に恐怖だった。
「アスラ、ゴッゾ。俺は今、暴力というカードを切った。それが必要だと判断したからだ。世界を支配しようと思ったら、相手の土台に乗っちまったらダメなんだぜ」
「「はい、ボス…」」
「不利益を生むやつがいたら、何があっても殺せ。害虫と同じように潰してジャムみてえにするんだよ」
「「はい、ボス…」」
アスラとゴッゾは体中から湧き出る冷や汗で、全身の体温が急激に下がっていくのを感じた。だめだ、逆らってはいけない。そう思ってはいたが、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなるほどの恐怖を感じていた。
「分かったら行け、裏口を探してこい」
「「行きます!」」
走って屋敷の裏側に向かっていく二人の背中を見ながら、伊月は肩の骨を鳴らす。
「案外うまくいったな、この新兵器は……」
伊月が付けている指輪の一つ、6枚の翼を持つ天使を彫刻したリング。それにはギミックが仕込まれており、表面の彫刻を外すと、無数の針が飛び出す仕掛けになっている。そこへ塗ったのは半ばレギュラーと化した毒草〈トリカブト〉の毒液ではなかった。
アコニチンは確かに強力な毒性を持つが、効果が出るまで最低5分はかかる。今回使ったのは別の毒だった。
オーストラリアの海域には巨大な殺人海月が生息している。その名はキロネックス。最悪レベルの毒性を持ったこのクラゲの神経毒は、触れただけで激痛を起こし、あまりの痛さでショック死させるほどだ。
例え即死しなかったとしても、血清のないこの世界では触れただけで動きを封じ、相手を地獄のような苦しみの中で死に至らしめる猛毒となる。
トリカブトは飲み物や食べ物に混ぜて暗殺するのに向いているのに対し、この毒は近接戦や弓矢での攻撃など直接的な戦闘で猛威を振るうことだろう。ただしあまりに毒性が強すぎるので扱いには注意が必要だ。
今回は実験的に使ったが、あまり使いたくはない。万が一触れてしまうと、伊月ですら死にかねないからだ。
「ふぅ、これで逃げ道は塞いで、後は正面からご挨拶だな」
それから腰に付けていたポーチからキューブを取り出して潰すと、二人の死骸を吸収してから、中央の広場へと向かっていく。
一方その頃、屋敷の主人であるゴウマンは自分の身に危険が迫っているとも知らず、呑気に性奴隷を侍らしていたのであった。